アメフトの反則問題に関して

嶺北シニア事務局石丸です。
スポーツ、特に団体スポーツは、チームメイトはもちろん相手へのリスペクト無しには成り立たない。それを忘れた勝利など一文の値打ちも無い。
大学アメフトの悪質な反則問題に対する日大内田監督の対応を見て、最近覚えがないくらいの怒りが込み上げてきた。
自分の立場が天から授かったものでもあるかの様に勘違いして、弱い立場の人に横車を押し、弄ぶなどという態度は、人間として最も低劣なものだ。
指導者なら、本来、そのスポーツの良さを伝えたい、そのスポーツを好きになってほしいと願うものではないのか。内田も最初はそうだったはずだ。しかし、周囲から持ち上げられ、自分の権限が増えてくると、悲しいかな、勘違いが始まる。勝利至上主義というのとも違う。自分の権限を振り回すこと自体が目的なのだろう。
高校野球でもそういう例は残念ながらなくならない。中には、殴ってもらって嬉しかった、ありがとう、という選手や保護者も聞くが、そういう奴隷根性が好きなら、スポーツの外でやってほしい。
被害者も「加害者」も将来を嘱望された選手だった。「加害者」の青年は、自分にはアメフトを続ける権利がないと言い切った。反則プレーを強要された後テントの中で一人号泣していた彼に、言葉に乖離があったなどと言って逃げるのは大人のすることではない。「最初から思い切ってあたれ」と普通の言葉で言えば済むことを「QBを潰せ」に言い換えるなどあり得ない。
被害者の青年もまた、事件後父親にアメフトをするんじゃなかったと漏らしたという。彼らを追い詰めた理由と責任はどこにあるのか。内田が監督を辞任しただけで幕引きさせては絶対にいけない。
厳しい練習も、レギュラー争いも、選手である子どもが主人公であればこそ、である。僕たちは、明るい野球、明るいスポーツの実現のために、どんなときでも、権威主義や暴力とたたかっていく。

卒業式日和

今日は、福井市の公立中学校の卒業式。
青空が広がり、今では雪もすっかり少なくなった。
僕らは日ごろ見慣れない学生服の報告が次々とLINEで届く。
まったく、この代ほど練習熱心な子どもたちは見たことが無かった。高校球児になれば、がむしゃらになるものだが、中学生で、卒団した後でさえ、これだけ自立的に、そして楽しそうに練習をやっているのは、珍しいんじゃないか。見てる僕らも嬉しくなった。
僕らの力不足で、あまり勝たせてやることができなかったが、間違いなく力はついて来ているし、彼らのひたむきさは、きっと高校で大きな花を咲かせるだろう。
改めて野球の楽しさを教えてくれたのは彼らだった。ありがとう。

まさか、で流してはいけない

グロテスクな光景だと思った。この一事を持って、少年野球やシニアリーグ全体に演繹するのは、現場を知らない無責任な主張だが、関東連盟の開会式をめぐるアクシデントは、そう言われてもやむを得ない出来事だと思う。
ネットの動画を通して全国の人が目撃したのは、公開の暴力であり、被害者が「神対応」したからそれで終わりとするべきではない。
そもそも、なぜ開会式に彼女の始球式を導入しようと決めたのか。シニア出身者として招聘するなら、ユニホームを貸与し、厳粛な雰囲気で行うのが筋ではないか。関東は全国のシニアリーグでも、規模もレベルも抜きん出た地域だ。そこで選ばれた選手が真剣勝負をする場を、どういう方向に盛り上げようとしたのか。
シニアリーグでは、この数年、女子野球の支援に具体的に取り組み始めた。私たちのチームも福井工大福井の女子野球部の皆さんと練習試合をしていただくことがあるが、彼女たちの真剣さ、規律の素晴らしさにはいつも感動を覚える。彼女たちを一プレーヤーとして対等に見る姿勢が関係者に本当にあったのか、残念ながら疑いたくなる。
同時にシニアリーグは、一切の暴力の追放を掲げていたはずだ。怖いのは、普段暴力とは無縁だと思っていた人間が、特殊な場に置かれると、簡単に加担してしまうことだ。球場には各チームの指導者も役員もおり、スタンドには見守る保護者もいた。それでも止めようとしなかったのは、暴力に加担しているのに等しい。
人が何かをなしたいと思ったとき、本人の能力以外でそれを阻むものがあれば、それを暴力と呼ぶのが、現代の平和学の到達点である。殴る蹴るは論外だが、互いを尊敬しあい、自分の好きなことに取り組める感謝を大人も子どもも再確認する努力を怠っていたら、暴力追放のスローガンは、形だけのものになってしまうだろう。
中学生だからといって、許されることではない。しかし、それを助長しているのはわれわれ大人である。私たちは、何のために野球というチームスポーツに関わっているのか、地域を越え、もちろん嶺北も含め、シニアリーグに参加するすべての大人が自問しなければならない、と思う。

37年ぶりの豪雪

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福井嶺北シニア事務局の石丸です。
いちばん下の写真は、わが家の入口。すぐに出入りできなくなってしまう。
雪に慣れている福井の人間でも相当きつい今回の豪雪だ。一度に降った雪の量もひどいが、これだけ長期間降り続くのもあまり経験がない。雪を捨てる場所もない。そこらじゅうで、腰が痛いという声を聞く。
8号線の立往生に巻き込まれた方の消耗はいかばかりかと思う。雪は、じっと耐えているわけにはいかない。放っておけば雪に埋もれて閉じ込められてしまうので、どんなに疲れていても雪かきの手を休めるわけにはいかない。しかもかいた後から雪は積もってくる。冬装備をしていない車は論外だが、たとえ冬装備をしていても、運転に慣れていても、これだけの雪では何が起きるか分からない。立往生のきっかけについて、まるで誰か犯人がいるかのような取りあげ方をしているTV番組があったが、雪国の実情を知らない無神経な発言としか思えない。
そんな中でも、福井の人たちは、協力しながら頑張っている。車が立往生すれば、見ず知らずの人でも必ず手を貸すし、雪かきも自分の家の前以外でも進んで行う。こういう時、人間って素晴らしいな、と思う。夜を徹して救援作業をしてくれた自衛隊隊員の方、その他支援して下さった方々にもこころから感謝しかない。
しかし、マイカー通勤が当たり前で、公共交通の整備が手薄だった福井の弱点がこういう時に出てきたという気がする。燃料の補給もギリギリの状況。水道の凍結が起きたりしたら、と思うとぞっとする。
宮本名誉顧問からは、状況を心配してお電話をいただいた。
こういう状況になって、改めて、毎年野球ができるありがたさに気づく。
どんなときにも感謝の気持ちを忘れず、嶺北一同、雪に負けずにがんばります!

人間のスポーツ

 審判、特に主審ほど割に合わない商売はない。炎天下時には2,3kgも体重が減る重労働なのに、判定にクレームがつかない試合は稀だ。
 一方、メジャーの審判は、試合を作っているのは選手よりも審判だ、という位の誇りを持って日々研鑽しているそうだ。確かに経験の豊富な審判だと試合がスムーズに運ぶし、主審のドラマチックなジェスチャーが士気を高めてくれる場合もある。いい試合は、選手審判の間に尊敬と信頼関係が感じられるものだ。
 ところが、ビデオ判定を積極的に導入してきたメジャーリーグが、今度は、主審のロボット化を検討していると聞き、不安になった。正確さは、審判に求められる要件のひとつでしかない。
 個人競技であれ、団体競技であれ、対戦相手や審判に対する尊敬と信頼はとても重要なものだと思う。ロボットの審判を誰が尊敬するだろうか。センサーによる客観的な評価だから異議が出ないとは限らない。微妙な判定では機械の信頼性を疑われる場合もあるだろう。
 野球は、ボールをゴールに入れるのではなく、生身の人間がダイアモンドを一周し、ホームに帰ってくることで得点する変わったスポーツだ。主役は白球ではなく、常に人間なのだ。だから、次の打者を信頼して「犠牲」になることもできる。この原則を崩してほしくない。
 時短のために、敬遠のルールを変えたり、プレー間の礼を省略したりするのも、矛盾が多い。ホームランでベースを一周するのを省略する提案もあった。そんなことをしても、10分も試合時間は短くならないだろう。試合が長引くのは、たいていどちらか、あるいは両方のチームの実力不足でアウトが取れないせいではないのか。
 人間を信頼し、それに従う。表面的な正確性よりも、もっと大事なことがあると思う。

負けて終わる

福井嶺北シニアの石丸です。
シニアの大会前に縁起でもないと言われそうだが、どんな大会でも、1チーム以外は負けて大会を終わる。
野村克也さんが、松浦静山の剣術書「剣談」から引用して、「負けに不思議の負けなし」と説かれるように、負けには必ず理由がある。自分たちの未熟さを素直に直視しないと、次の成長が無いだけでなく、相手に失礼だ。試合当日の勢いだけで形勢が逆転するほど、野球は甘くない。たいていの場合は、やはり勝つべきチームが勝ち、負けるべきチームが負ける。番狂わせは、現場を知らないヤジ馬の頭の中だけにしかない。
一方、1チーム以外は負けて終わるのも、否定できない事実だ。最後の結果だけにとらわれていると、大事なものを見失うおそれがある。2試合、3試合と勝ち上がって、その次に負けたのなら、勝ち上がった理由も、指導者はちゃんと見てあげる必要がある。
ところが、最後の試合の悔しさばかり印象に残って、「負けて終わる」ことがある意味当り前であるのを忘れている指導者はいないだろうか。監督として成果を残すことが、選手の成長を喜ぶことに優先してはいけない。なぜ負けたかを考えるのと同じくらい、なぜその前までは勝ったのかを考えるのは大切なはずだ。
ささやかではあるが、嶺北も公式戦2大会続けて16強まで勝ち上がることができるようになった。春はもちろんその上を目指すが、この5年間、「負けて終わ」り続けた蓄積が今の選手たちに繋がっていると信じたい。

沢村栄治と「今しかできないこと」

福井嶺北シニア事務局の石丸です。
NHK「知恵の泉」で沢村栄治を取り上げていた。
沢村の偉大さは今更説明するまでもないが、ワンバウンドするかと思われた球が打者の近くですっと伸びてストライクになる、ときくと、鳥肌がたつ。スピードガンのなかった当時の球速について、いろんな分析があるが、メジャーリーガーから9三振を奪ったことを考えれば、159キロのストレートというのは決してひいき目の数字ではないと思う。しかも、残された写真では大きく見えるが、沢村は、174cm、71kg、と今では小柄に属する体格でこのスピードを出しているのだ。
いろんなトレーニング情報や道具が容易に手に入る今と違い、どうやったら強くなるかは試行錯誤の連続だった。その中で、常に「今しかできないこと」を勇気をもって選択することで、彼自身だけでなく、その後90年近く日本の野球人を引っ張り続けてきた。私たちのチームのスローガン「今やらなければならないことを全力で」というのも、その長い道のりの延長にある、と思った。
野球の素晴らしいのは、100年以上、基本的なルールと習慣が変わっていないことだ。こんなスポーツはそう多く無い。だから、私たちは沢村や、ベーブ・ルースの凄さを、同じ土俵でリアルに感じることができる。あの選手たちと同じ夢や悩みをもってたたかっていると感じることができる。
同時に、この才能を手榴弾投擲の為に消耗させ、27歳の若さで戦死した無念を、私たちは決して忘れるべきではない。毎年夏の甲子園で黙祷を捧げるのが、形式的な儀式であってはならない。

がむしゃら

福井嶺北シニア事務局の石丸です。
練習は必死に。試合は楽しんで。
そうだな、と思う。でもなかなかそれができない。
冬場にあれだけ追い込んできたんだもの。堂々と打席に立てばいいのに。何故か落ち着かない。打てなかったらどうしよう、と思ってしまう。甘い球でもバットが出ない。立ち合いで相手に負けている。
守備でも、球への執着の前に、足が一歩遅れる。ノーバン捕球に行って取れなかったらかっこ悪い、なんてどうでもいいことが気になる。俺に任せろ。いいところ見せてやる、って覚悟を決めないから、エラーしても大きな声で「ゴメン」が出ない。
がむしゃらにやらなければ、壁は越えられない。結果を先に心配するのは、逃げ道を用意するのと同じだ。積極的な失敗を叱る指導者は、この嶺北にはいない。
試合中は、すべてを捨てて勝利にどん欲になろう。周囲にどう見えるかではなく。勝利は誰も用意してくれない。勝利は君自身しか手繰り寄せられない。
一生のうちのたった数秒が、そのあとの君を支えてくれるときがある。そんな一瞬をつかみ取ろうじゃないか。

球春まぢか

 福井嶺北シニア事務局の石丸です。
 野球にかかわっている者としては、センバツの出場校が発表されると、春が近づいた気がする。
 新聞の地方欄やスポーツ欄では、毎日出場チームや選手の紹介がされている。それ自体はわくわくもするのだけれど、エンターティメント的な過剰な表現には違和感を感じる。高校球児は商品ではないし、謙虚さを欠いたアスリートになってほしくない。
 さだまさしの「甲子園」という佳曲に、印象的な歌詞がある。「3000幾つの参加チームの中で/たったの一度も負けないチームはひとつだけ/でもたぶん君は知ってる敗れて消えたチームも/負けた回数はたったの一度だけだって事をね」
 地方大会の1回戦で散ったチームと甲子園で優勝するチームとの間には、天と地ほどの違いがあるように見える。でも、青春を野球に賭けてきたことに、どれほど本質的な差があるだろう。予め感動的な結末が用意されたドラマのような予定調和は、現実にはほとんどない。悔しいこと、納得いかないことに押しつぶされそうになりながら、一筋の光を信じて続けてきた、そんな球児が多いのではないか。
 練習は噓をつかない。それは本当だ。嶺北でもその心構えは変わらない。しかし、努力の結果が人生のどこで花咲くかは分からない。野球に取り組む者にとって甲子園は共通の目標であり、夢であり、憧れだ。それでも、それがすべてではない。
 私は、自分の息子に60歳まで野球にかかわり続けてほしいと思う。もちろんその頃私はこの世にいないだろうが、それができれば、息子は人生の勝者といえるのだろう、という確信がある。
 4月には、シニアの春季大会が始まる。

入団説明会を終えて

 嶺北シニア事務局の石丸です。
 センター試験というと、何故か雪が降る。共通一次2年目だった自分のときも大雪だったし、長女の受験もそうだった。北陸や東北では家じゅうで雪を心配しなければならない時期に子どもの将来を決める試験を行う制度は、何とかならないものか。
 今年も、この土日、福井市内でも日中の体感気温はおそらくマイナス3度を下回っていたのではないか。受験生は本当にご苦労さんだし、そんな日に入団説明会を開いたのも申し訳ない。
 それでも、ありがたいことに、大勢の方が参加して下さった。入団を希望されているが参加できなかった方もいるため、今日で、今年も1年生の大会に参加する目途はたったと思う。
 ブルペンでのバッテリー組の練習にも熱が入ってきた。見学された方は、子ども達の気合を受けとめていただけたと思う。ただし、今年の目標は、この程度ではない。今週から週末は練習会場を3会場に分け、選手の役割や現段階での到達レベルに合わせて、更に徹底的なトレーニングを行う。、
 チームワークは、単なる仲良しとは違う。勝つためにひとりひとりが努力する中でぶつかる壁を、尻を叩きあって乗り越えるとき、本物のチームワークが生まれる。嶺北球児たち、仲良しを超えて行け!

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