黄金の魚
俺はえらいぞ、と威張る人はいくらもいるが、中央の魚の威厳は大した物だ。威光は彼自らの内容から溢れて出ているように見える。彼はもはやこの世界で王と名乗る必要さえない絶対的な存在であり、周囲の魚はその姿を正面から見ることさえできず、すごすご退散していくしかない。ここでも、クレーの光の表現の充実は見事だ。
しかし、黄金の魚の目もどこか不安げであり、周囲を蹴散らしていく自分を悲しんでいるようにも見える。谷川俊太郎さんは代表作のひとつ「クレーの絵本」の中でこの絵の印象を次のように表現している。絵とともに忘れられない一節である。
……
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない
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