2009/04/19

Six Days in Fallujah が受け容れられる土壌

 アレン・ネルソンさんが亡くなってもう4週間がすぎました。壮絶な人生を終えたネルソンさんが今は安らかな世界に生まれ変わっていることを願わずにはいられません。

 先日たまたま中島敦の「山月記」を読み返して、初めて虎としての所業を実感した李徴の気持ちが、ふとネルソンさんや、イラク帰還兵と重なりました。戦場において人間は本当にどんな所業でもなし得る、しかし同時に、人間一人ひとりの中には、戦闘規定よりも、憲法よりももっと根源的で強い良心が住んでいることに衝撃と感動を覚えずに入られません。この世界に縁あって生まれてきたからには、人間を生かしあうために生きたいと誰でも思っているはずですが、この世界は残念ながら内心の声を掻き消し、眠らせ、歪めることばかりに血道をあげているように見えます。

 この4月、米国のコナミグループ関連会社で、ビデオ・ゲームや携帯コンテンツ等の清製造販売を行う Konami Digital Entertainment,Inc.(KDEI)が、「Six Days in Fallujah」(ファルージャの6日間)というタイトルの戦闘ゲームを2010年に発売すると発表しました。このゲームの情報は、ネットを探せばいくらでも見つかります。

 その名の通り、2004年11月にアメリカ軍が行ったファルージャ「掃討」作戦を題材にしたものです。アメリカ軍は、米傭兵殺害の報復として「武装勢力掃討」を口実にイラクのファルージャ市を包囲し、ライフラインを断って兵糧攻めにした後、無差別攻撃を加え、少なくとも6000人以上の市民を直接的に殺害しました。イスラエル軍のガザ攻撃で最近批判を浴びた白燐弾も使われました。

 日本人人質事件の引き金にもなったこの虐殺については、何をおいても、以下を読んで下さい。

 ■ファルージャ 2004年4月
 (ラフール・マハジャン、ダール・ジャマイル、ジョー・ワイルディング、
  エイミー・グッドマン著、益岡賢+いけだよしこ編訳、現代企画室)
 http://tinyurl.com/cqblta

 私も、家族もビデオ・ゲームを全くやらないし、関心もないので、この業界がどういうものか知識がありませんが、それでも、許せるという代物ではないでしょう。コナミ・グループの企業理念「世界じゅうの人々への『価値ある時間』の創造と提供」とは、こういうことなのでしょうか。

 コナミの発表を受けて、帰還兵や、戦死した遺族から、すぐに抗議と発売中止の要望が起こりました。

 元英国軍大佐でイラク戦争の勲章も持つティム・コリンズ氏は、いまだ終結を見ていない現実の戦争はビデオ・ゲームに取り上げるのは軽率な反応で容認できない、と反対の立場を表明しましたし、2003年、イラク戦争で息子を亡くしたレッジ・キース氏は、デイリー・メールに対し「これら恐ろしい出来事は、歴史の記録に閉じ込められるべきだ。ゲームにスリルを求める娯楽として矮小化すべきものではない」と語りました。英国の市民平和団体ストップ戦争連合のタンシー・ホシキンス氏は「戦争犯罪に関するゲームを作り、何千人もの死傷者の上に利益を得るというのは病んでいます。ファルージャの虐殺は、エンターテイメントによって美化されるべきではなく、恥と恐怖として記憶されるべきです」と批判の声を上げています。

 しかし、ゲームのリアリティを高めるために30人の帰還兵がヒアリングに協力していることからも分かるように、一方ではこのゲームに期待する人たちもいるのです。海兵隊の一等軍曹ジョン・マンディ氏は、このゲームが補助的な訓練に役立つと言い、「このゲームを海兵隊は、戦闘それ自体の知識を得るだけでなく、隊員に戦闘規定を考えさせるツールとして利用できる。隊員が一緒にプレーできて、いくつかのことを学べるように、使われるだろう」と述べています。元陸軍軍曹ケビン・スミス氏は、帰還兵が日常への復帰に苦しみ、自殺率も高い現状を憂慮した上で、この戦争が市民にとって実際どのようなものだったのか理解を深めることで、帰還兵への支援が強まることを期待しています。「ゲーム愛好者がこのゲームを通して何かを『体験した』後に、このゲームが肯定的に報道され、退役兵に対する共感が高まることを本当に願っている」と彼は語りました。

 ゲーム制作会社のアトミック・ゲームズと配給元のコナミが、予想される批判等のリスクを冒しても製作や、その公表に踏み切ったということは、市場調査の結果この事業に勝算がある、つまり結局は売れて利益が見込めると判断したことを意味しています。私には、そのことが最もショックでした。

 アトミック・ゲームズのピーター・タムテ社長は、「私達の挑戦は、エンターティメントでもあるゲームの中で戦争の恐怖をどう伝えるかだが、人々に歴史の一場面を目撃させ得る手段はビデオ・ゲームだけなのだ」「私達の目標は、この事件の最中、海兵隊員でいるとはどういうことか、その町の市民でいるとはどういうことか、反政府武装組織でいるとはどういうことか、その洞察を人々に与えることだ」と、意味づけしていますが、言い訳にしか聞えません。結局イラク人を倒せば勝ちなのでしょう?

 アレン・ネルソンさんは、米国人は決して弾に当たらず、戦地の住民からも尊敬されるハリウッドの戦争映画を、全く虚構だと批判していました。たとえ反戦の意味が込められていても、そこには臭いがない、もしあの死臭が映画で表現できれば、椅子に座ってジュースを飲んだりしていられるはずがない、と。

 歴史に対する洞察を与える手段はビデオ・ゲームだけと言う発言は、随分な思い上がりか無知のように思えます。ドキュメンタリー映画「冬の兵士」や昨年邦訳が出版されたジョシュア・キーの「イラク―米軍脱走兵、真実の告発」は、もちろんわたし達は擬似的にでも戦場を体験することなどできませんが、そこで起こったことに対してわたし達が何をすべきか「洞察」を与えてくれないでしょうか。帰還兵の苦しみは、別の手段で支援すべき問題ではないでしょうか。

 ゲームに限らず、デジタル技術の発達によって、表現のリアリティが最優先の価値のひとつに置かれるようになりました。しかし、誤解してならないのは、画面の画素数が何億ピクセルになろうと、CPUの処理速度が何ギガヘルツになろうと、それは現実そのものではないし、相手の人生や心の中を描きつくせることはできない、ということです。それは、機械まかせにしないわたし達の想像力で補っていく問題なのです。

 以前、ネット上で動くゲームで、こんなのがありました。多分イラクあたりを想定した街の風景からテロリストを探してミサイルを撃ち込み、全滅させるというものです。キャラクターは漫画的でリアルではありません。最初に10人くらいテロリストがいるのですが、狙ったつもりでもどうしても民間人に当たってしまいます。爆発の後遺族がやってきて暫く泣き崩れていますが、突然小銃を手にしたテロリストに変身します。こうやって、撃っても撃ってもテロリストが増えていくので、ゲームを終えることができません。終了する唯一の方法はプレーを止めることです。

 このゲームの方が、「Six Days in Fallujah」より遙かに「洞察」を与えてくれます。

 コナミに対する抗議、要望先は以下をご覧下さい。

■コナミ・グループ(日本)の意見受付フォーム
 http://www.konami.co.jp/ja/siteinfo/product.html

■Konami Digital Entertainment,Inc. 連絡先一覧(電話とFAX)
 http://www.konami-digital-entertainment.com/contact.html

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【追記】 27日付朝日新聞等の報道によれば、コナミは、「米国での反応や、電話やメールで寄せられた意見を見て、数日前、取り扱わないことを決めた」とし、少なくともコナミからは米国でも日本でも販売されないことが決まったようです。

 こういう産業は、一般人にどれだけ受け容れられるかで採算を判断しますから、わたし達が正気を保っていれば、発売を断念させることもできるわけです。しかし、別の配給元がハリウッド映画のように巨額の宣伝費をかければ、どうなるかはまだ分かりません。実際日本のゲーム愛好家の中に発売が楽しみだという意見も多く見られたのです。

 ゲームの商品化に反対するだけでなく、「ファルージャの6日間」の真実を忘却させない、歪曲させない努力がこれからも求められています。(2009.4.27)

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2009/03/03

兵士一人ひとりにも取り替えられない人生がある ~ DVD「冬の兵士」を観て

 田保寿一さんの誠実な編集が感動的な「冬の兵士」を、胸が詰まる思いで観ました。

 いかなる主張であれ、選択であれ、その行き着くところは、個人一人ひとりの命でなければならないと思います。平和は、抽象的なものであってはいけませんし、平和を求める意志は、たとえ憲法があろうとなかろうと、それが現実的であろうとなかろうと、わたしやあなた個人の情熱から生まれるものでなければなりません。

 イラクで殺された子ども達一人ひとりに名前があり、短くても取り替えられない人生があるように、イラクで人を殺してしまった兵士一人ひとりにも、取り替えられない人生があります。

 DVD「冬の兵士」は、その事実を、平和運動に参加していると自称するわたし達でさえ、ときに実感を失っている事実を、強い説得力で語りかけてきます。

 人間が、自分の意思に反して進路をかえたり、能力の発揮を妨げられる時、そこに暴力がある、とガルトゥングの平和学は教えます。最大の暴力が戦争であることは論を待ちませんが、その暴力は、戦闘行為の直接の犠牲者だけにあてはまるものではありません。戦争は国家が行うものですから、国民の生活すべてを動員します。その中で誰しも加害者にも被害者にもなり得るのです。

 自衛隊が世界有数の軍備を備え、海外派兵への道が徐々に大きくなっている今でも、わたし達日本人が戦場で戦う兵士というものを想像するのは難しい。どうしても、血の通わない戦闘機械のような見方に傾き勝ちです。しかし、彼らも、わたし達と同じ世界に住む人間なのです。

 戦争が人間性を破壊すると言いますが、戦争と言う抽象的な魔物が魔法をかけるわけではありません。戦前の日本軍兵士は、貧しい農村からじゅうぶんな訓練も受けていないまま、補給路も確保されていない戦地に送られました。洗脳のように植えつけられたアジアの人々への差別意識が、最初から略奪が前提の様な作戦で何をもたらすでしょう。南京虐殺やマニラの火あぶり等等は、そうした具体的問題が集積した必然として起こったのです。

 目を覆うようなイラクでの米軍兵士の残虐行為も、交戦規定の軽視、中東の人々やムスリムの人々への差別意識の擦りこみ、デマによる恐怖の植え付け、指揮系統の混乱、過剰な装備の投入など、政策の誤りの必然として惹き起こされたものであり、兵士個人の暴走でかたづけてしまっては、公正とはいえないと思います。

 片足だけでなく、PTSDの発作によって仕事も家族も失い、何度も自殺を考えたマイク、二度目の召集で自殺を図るまで追い詰められながら戦友に対する負い目に苦しむクリストファー、テロと戦争の違いはどこにあるのかと問うリアム…。彼らはアメリカを愛し、自分の人生を他人の幸福のために使いたいと思って志願した人達です。しかし、アメリカは、ブッシュは、殺されたイラクの人の命にも、アメリカ兵の壊された人生にも責任を取りません。この作品が訴えるように、ブッシュは、イラク人、アメリカ人含め、この世代をまるごとぶち壊したのです。政権が変わっても、真の敵はまだ、手の届かないところでほくそ笑んでいます。

 ウィンター・ソルジャーを開いた反戦イラク帰還兵の会は、イラクからの軍の即時撤退、帰還兵の福祉の実現、イラクへの賠償を要求しています。アフガンへの増派や、イラク撤退の大幅延期を発表したオバマ大統領には、彼らの叫びが聞えていないかのようです。

 わたしは、以前宮沢賢治の童話「北守将軍と三人兄弟の医者」の作品論で、殺されることはもちろん辛いが、人を殺してそれが罪に問われないことはもっと辛いかもしれない、と書いたことがあります。身体的、経済的、精神的に苦しむ帰還兵がありのままの事実を人前で話す苦痛と勇気は、わたしが想像できるような容易なものではありません。

 戦争の生き証人である彼らの声を聞けば、戦争は例外なく酷く、汚いもので、「よい戦争」「悪い戦争」の区別などあり得ないことが、改めて胸深く刻みこまれるでしょう。

 あなたの大切な人と、彼らの声を聞きましょう。何度でも向かい合うべき作品だと思います。

 この作品が、一人でも多くの人に鑑賞され、やがて、平和を求める日本市民とアメリカ市民の連帯へと繋がっていくことを願ってやみません。

■「冬の兵士」ホームページ

 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html

 上記から、DVDを購入できます。個人と団体の区別なく、上映会で使用する場合でも1本3000円です。3分の予告編も視聴できますので、どうかアクセスしてみてください。

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2009/02/23

DVD「冬の兵士-良心の告発」

 「チェンジ」の美名の下に、あるいは資本主義の最も脆弱で醜い面をさらけ出した未曾有の経済危機の下で、これまでの価値観が取捨選択なく壊されようとしています。しかし、「よい戦争」と「悪い戦争」の区別などありえないという真実は、変えるわけにはいきません。

 家に帰れば、普通に家族や友人を愛する人々が、戦場でどのような残虐な行為に追い込まれ、あるいは進んで行うようになるか、わたし達が知っている限りでも何度繰り返されたことでしょう。大規模な戦闘でアメリカやイスラエルがジュネーブ条約を遵守した例があったでしょうか。また、「殺す側」にたたされた人々の傷が、「殺される側」より必ずしも癒しやすいものとは限りません。今進められているアフガン増派に見られるように、アメリカ政府や軍は、自国の兵士の命や人生さえ使い捨てにして顧みないのです。

 わたし達は、いつまで権力者の思うまま殺し合いを続けなければならないのでしょうか。

 今、全国で上映や普及が進められているDVD「冬の兵士」をご紹介します。目をそらしてはいけない事実がここにあります。

(以下呼びかけの転載、一部改行調整、URL挿入)
**************************************************
 田保寿一さん制作の「冬の兵士-良心の告発」についてのお知らせです。

1.「冬の兵士」DVDについて初めてお読みいただく皆さんへ
2.どういうものかご存知でまだ視聴していない皆さんへ
3.すでに購入してくださった皆さんへ

1.「冬の兵士」DVDについて初めてお読みいただく皆さんへ

「冬の兵士」は昨年3月、米国で4日間にわたって開催されたイラク帰還兵らの証言集会を軸としたドキュメンタリーです。911以降、従軍、服務する中で、反戦の決意を固めるに至ったイラクとアフガニスタンの帰還兵によって結成された反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War)

 http://ivaw.org/

が、3月13日から16日まで、イラク戦争の実相を語る公聴会をワシントンDC郊外の全米労働大学で開催しました。田保寿一さんは、イラク戦争を加害者の言葉によって検証する目的で米国にわたり、この公聴会に遭遇、そのすべてを収録しました。帰国後、これら帰還兵らの証言とイラク現地での独自取材、帰還兵へのインタビューなどで構成したのがこの作品です。

 罪の意識に苛まれ、戦争を告発する仕事をやりぬくことで人間性を取り戻そうとする若者らの真摯な姿は、あらゆる年代、立場の者が共有すべきあるものを提示しています。

 この作品は視聴する側の受け止め方により、戦争一般の否定、「対テロ戦争」の虚偽の暴露、人間の良心への信頼、などさまざまな解釈が可能です。証言した兵士らの発言内容も田保さんの作品のつくりも、後々の歴史的資料としての使用に耐える、真実の記録となるようにと、細心の注意をもって構成されています。

 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html

 ここに「冬の兵士」ホームページがあります。3分の予告編を視聴できますので、どうかアクセスしてみてください。

 またこのサイトから購入申込もできます。

2.どういうものかご存知でまだ視聴されていない皆さんへ

 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html

 このサイトにアクセスしてみていただけましたでしょうか。現在、3分間の予告編を視聴できるようにしています。どうかご覧になってください。

 また上映会の予定も掲載していきます。
 2月は千歳烏山で24日に開催されます。案内のチラシが上記サイトに掲載されています。

 個人と団体の区別なく、上映会で使用する場合でも

 1本 \3,000-

です。

3.すでに購入してくださった皆さんへ

 ご覧になっていかがだったでしょうか?
 感想や改善案をぜひ
 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html
のメール機能を使用して「冬の兵士製作委員会」までお寄せください。

 また広めたいと思われる方、アイデアをお寄せください。
 大量に販売する場合などもご連絡ください。
 上映会をなさる方は上記サイトにも情報をお寄せください。

●「冬の兵士」DVDの最初のバージョンは昨年末に完成し販売を開始しました。現在販売しているバージョンは1月20日に改訂したものです。
大筋は変わりませんが、よりよくなっていることは確かですので、上映会で使用される場合は最新バージョンと交換の上お使いくださるよう、お願い申し上げます。無料で交換いたします。上記サイトからお申し込みください。上映会はしなくてもご自分で何度もご覧になる場合も、交換サービスを利用されることをお薦めいたします。
お手間をかけて申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

(最新バージョンは盤に「1.20」と印刷してあります)

******

 米国大統領がオバマに代わり、米国でも日本でもイラク戦争は忘れ去られそうな気配です。もはやイラク戦争に義があったとは誰もいわない。占領はやがて必ず終わるだろう..しかし世界の、そして日本の有権者は、アフガニスタン攻撃に続きイラク戦争に踏み切ったときのものの考えかたを完全に批判・払拭できたのでしょうか。

 イラク戦争を最初から批判していたというオバマ大統領は、今、アフガニスタンへの増派を語っています。イスラエルを支持しています。日本は海賊退治に自衛隊を出します。イラク、アフガニスタン、パレスチナで市民の殺戮が続いています。

 この作品が日本の多くの有権者や若者に視聴され、イラク戦争について、テロを戦争でなくそうという路線・宣伝について、正しい認識を培うことができることを願います。

 冬の兵士製作委員会普及班一同

「冬の兵士」ホームページ
 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html

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 以下もご覧下さい。

■高遠菜穂子さん「iraq hope diary」の記事
DVD『冬の兵士 良心の告発』
http://iraqhope.exblog.jp/10384537/

■TUP速報 791号
田保寿一の「冬の兵士」公聴会取材記録
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/824

 また、DVD「冬の兵士」とは直接関係ありませんが、以下も、同じテーマを考えるのに有益だと思います。

■「イラク―米軍脱走兵、真実の告発」
ジョシュア・キー、ローレンス・ヒル(著)、井手真也(訳)
合同出版 (2008/08) \1,680-
(出版社紹介文から)貧しい人びとをだまして戦地におくる、アメリカ格差社会の現実。イラクでの蛮行の数々。そのすべてを元兵士が書いた。
 http://tinyurl.com/bvr2z3

■岩波文庫「ベトナム帰還兵の証言」(陸井三郎訳・編)
・歴史的名著ですが既に絶版。以下で復刊リクエスト中です。
 http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=24265
(どすのメッキー紹介文から)アメリカ政府が実施した政策を暴露するために、100人以上のベトナム帰還兵が、戦場で行った戦争犯罪を自ら告白した記録の要約。任意に設置できる自由発砲地帯、捕虜の虐待、ソンミだけではない村落の殲滅、農地の破壊、組織的な強姦、などの戦争犯罪を、アメリカ軍部は「上官の命令」として設定し、その遂行のために、兵士達を非人間化する体制をつくっていった。

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2009/02/17

「チェ・39歳別れの手紙」を観て

 先日、映画「チェ・39歳別れの手紙」を観て来ました。見終わって暫くは、辛くて言葉が出ませんでした。ゲバラがなそうとしてきたこと、そして実際になしてきたことに対して、あまりにも不釣合いな最期でした。

 この世の中は決して善なるもの、謙虚なものにいつも幸いがあるようにはできていません。

 ゲバラとその多くの同志は、そんな世界を変えようとしました。そして、救おうとした農民に裏切られて殺されました。ボリビアの農民は、単に軍の脅迫や懐柔に屈したというより、余りの貧しさゆえに、当時未来を描く想像力をも奪われていたのだと思います。

 「もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。そのとおりだ、と」は、ゲバラの言葉の中でも最も好きな言葉です。理想は空想ややけっぱちとは違います。そうでなければ、同志に同じように命をかけさせることはできないでしょう。

 ボリビア潜入時、すでにゲバラの名はカリスマ化していました。ボリビア政府は、世論を有利に導くために、ゲバラの名前を出すタイミングを慎重にはかります。しかし、ゲバラ自身は、最後まで、カリスマをかさに仲間を統率することはなかったと思います。悲観にも楽観にも偏らず、どんな状況にあってもあるべき世界の姿がぶれずに見えていたからこそ、あの過酷な状況下で(脱落者はいたにしろ)ゲリラ部隊が崩壊することはなかったのではないでしょうか。

 ゲバラ達と地元の牧師が話をする場面がありました。牧師は、いかなる暴力にも反対だし、自分達が住む場所で暴力を行使してほしくない、と言います。それに対し、ゲバラ達は、権力が行う暴力は認めるのにか、と聞き返します。鉱山労働者がわずかな賃上げ要求のデモを行っただけで、無差別に虐殺される国で、消極的な非暴力主義は意味を成しません。

 わたしがこれまで主張してきたことと矛盾すると受け止められるかもしれませんが、革命前のキューバや、当時のボリビアの状況で、不正義に目を瞑り自己保身に走りながら暴力を否定することが果たして誠実な行動なのか。例えば、日本でも長らく暴徒と蔑まれてきた秩父困民党の蜂起のような出来事が、権力や国家が行う暴力と同じように括られることが果たして公正なのか、わたし達は回答を避けることはできないと思うのです。

 シンディが怒りを込めて語っていたように、正義の戦争などいうものはありません。戦争~それは国家が行うものです~は例外なく邪悪です。わたしは、人類がこれまで築いてきた土台の上に、現在、徹底して武力でない選択肢が模索されるべきだ、という考えを変える積もりは、全くありません。

 しかし、大国から貧しい国、権力から一般市民へ間のほとんど一方的な暴力の行使にあたっても、喧嘩両成敗の判断を機械的に下すことには抵抗を覚えます。平和を求める主張が、結果として権力の犯罪を既成事実化したり、虐げられた人々に最後の一撃の様な重荷を負わせることであってはならないと思います。まず、虐げられた人たちの声を聞くことが始まりでなければなりません。武力を行使せずに紛争を解決することの困難さを心に刻んだ上での、平和主義、戦争放棄であってこそ、値打ちが輝くように思うのです。

「硝煙の中に身をおきたい」としたゲバラの生き方を何らの留保無しで賛美することはできません。しかし、ラテンアメリカや世界の人民の解放のためにためらいなく2度も自分の人生を捧げた一途さ、たった一度だけ来日した際、靖国参拝の誘いを断ってヒロシマを訪れた倫理観、そして彼の根底に流れる温かさを否定することはできないでしょう。

 処刑される前夜、見張りの若いボリビア兵と交わす会話が印象的です。共産主義の国でも宗教はあるし多くの人は神を信じていると話すゲバラに、兵士は、あなたはどういう神を信じているのか、と尋ねます。するとゲバラは、「わたしは人間を信じている」と答えるのです。信じていた人に裏切られ、仲間を殺され、自分も間もなく殺されることが分かっているとは信じられない心の清澄さではないでしょうか。この言葉にゲバラが旅してきた人生が凝縮されているような気がします。

「わたしは人間を信じている」

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2009/01/14

「We Will Not Go Down」(わたし達は負けはしない) 字幕つき動画 → ぜひ広めてください!

 以前ご紹介した、マイケル・ハート(前回は最初「マイケル・ハーツ」とご案内しましたが訂正します)の歌"We will not go down"

 http://hope.way-nifty.com/a_little_hope/2009/01/post-a200.html

の反響が広がっています。

 知人の笠井一朗さんが、日本語と英語の字幕つきのビデオクリップを作成してくださいました!

 ↓ ↓ 下記URLをクリック! ↓ ↓

 http://www.geocities.jp/IraqNewsJapan/avi/WeWillNotGoDownForGazaXviD12.avi

 私は、見ていて涙が止まりませんでした。

 マイケルさんの了解を取っておりませんが、マイケルさんの趣旨と事態の緊急性を考え、このビデオクリップをぜひ普及したいと思います。どうか、あなたの力を貸してください。

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【追記】マイケルさんのサイトを見ると、この曲は自由に配布していいそうです!そのかわり、UNRWAなどしかるべきところに寄付するなどガザを支援してほしいとのことです。

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 学習会の冒頭などで見ていただいても意味があると思います。ガザで起きていることが、自分たちとは関係ない遠い世界のこと、あるいは、情勢が不安定な地域では避けられない対価のように考えている多くの人に、まず、このビデオを見てもらってください。

 ただし、このビデオは、DivXという形式で圧縮されています。これは、Windowsで近年普及した長編動画用の圧縮形式で、CD1枚に約120分の動画をかなりの画質で保存可能です。ただしストリーミングには現在対応していません。

 もし、上記URLをクリックしても、あなたのパソコンのプレイヤー(WindowsならMedia Player等)で音声しか再生されない場合は、DivXに対応するCodecがインストールされていないためです。

 動画に対応する手っ取り早い方法は、フリー・アプリケーション"DivX7 for Windows"を、以下の日本語サイトからダウンロードすることです。私もこのアプリケーションで再生しています。

 http://www.divx.com/ja/products/software/windows/divx

 インストール後、上記URLをクリックすると、Media Player等で動画の再生がスタートするはずです。画像に説明は不要と思われますが、白燐弾の爆発と思われるものも含まれています。

 Macの場合、QuickTimeにプラグインを追加することになるようですが、詳細は知識がありませんので、下記ページなどをご参照ください。

 http://ascii.jp/elem/000/000/033/33324/

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2007/05/19

氷原に映る生命の悲しさと美しさ 「白くまになりたかった子ども」を観て

 デンマークの巨匠ヤニック・ハストラップ監督のアニメーション映画「白くまになりたかった子ども」を観る機会を得た。観終わった後、現実の騒々しさから突き放された深い静けさに浸った。昨年観た「キリクと魔女」といい、ヨーロッパのアニメーションに彼らの持つ思想の底力を見る思いがする。

 イヌイット達が暮らす極北は、本来生き物を受け付けないところだ。四季の恵み豊かな日本に暮らすわたし達にとって、その風景や流れる時間はあまりに単調である。屋上屋を重ねたような複雑過剰な文明の中で、わたし達が生き物としての自分を発見する機会は少ない。しかし、一面白色の氷原の上では、生命というものが、頼りなく、そしてグロテスクな、生の姿のまま投げ出される。ひとつでも条件が欠ければ死に直結する氷原で、何のために生きるのかといった抽象的なことに思い巡らす余裕はない。大きく美しい熊は、そうした世界でも生命の火を燃やし続けるよりどころとして、偉大に見えたに違いない。昔から、世界各地で熊は神としてあがめられ、人間と交歓する物語がつくられてきた。

 しかし、その熊とて、生命の悲しさという点では、弱弱しい人間と少しも変わらないことを映画は残酷に描き出す。今の日本のように、人間中心の開発の邪魔者としてでもなく、人間を超越した神としてでもなく、過酷な世界で生き続けなければならない対等の存在として、熊は人間と交流し、そしてたたかう。譲り合うことのできない思いのぶつかり合いの下で、少年は自分自身を見失いかける。

 しかし、物語は、熊や人間一人ひとりを安っぽい善悪で裁くことをしない。普通に考えれば人間の子どもを奪った熊の父親が間違っているのであり、少年が人間の子どもとして育てられるのが幸せだと結論してしまうだろう。だが、人間を含めた生き物は、理屈では律しきれない感情や行動をとる場合がある。実写を上回る緻密な性格描写が、理屈を超えて、少年が熊になりたいと願う切実さにわたし達を共感させる。

 勇敢な人間を救うのが鯨の掟であり、ムリを承知で手を差しのべるのがジャコウジカの掟であったように、ぎりぎりの最後の判断においては、新しく生まれてくるあるいは育っていく生命を優先させるのが、すべての生き物の掟ではなかっただろうか。子どもを失った悲しみを熊と共感できた時、人間の親も、少年の自由への願いを受け止めることができた。凍てつく星空に消えていく少年を見送る両親の表情は悲しく、美しい。中島敦の「山月記」をひくまでもなく、生き物は、与えられた運命を理由も分からずおとなしく受け取って生きていかなければならない。しかし、生命と言うものは、何かの生命を犠牲にしなければ受け継いでいけないものなのだろう。そこを納得できた時にのみ、悲しみは幾分かは癒されるのだと思う。

 少年が本物の熊になる、すなわち自由を獲得するために挑戦しなければならなかった最後の試練が、強大な力を身につけることでも、勇敢さや忍耐を示すことでもなく、孤独に耐えることであったのは象徴的だ。氷原でなく、コンクリートに囲まれたヒートアイランドで暮らすわたし達も、孤独と無縁ではない。むしろ、大勢の人にもまれていた方が一層孤独を感じることさえある。

 このアニメーションはCGの技術を駆使してはいるが、それを前面に押し出してはいない。あくまで人間の手で描いた筆の感触を残している。サクセス・ストーリイで結論を押し付けることのない見事な演出は、極北の氷原と言うキャンバスの余白を通して、自分自身の心の奥を静かに見つめなおさせるかのようだった。

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2007/01/21

納豆だけならまだいいが…

 ダイエットは、真面目に考えれば食べる量を減らして適度な運動をする以外王道はないのですが、人間は私も含めて横着ですから何か楽な方法があれば、お金を払ってでも飛びつきたくなります。しかも何度失敗しても。有象無象の健康食品・器具メーカーや自称健康評論家にとって、これ以上美味しい市場はありません。

 フジTV系「あるある大事典」の納豆ダイエットのデータ捏造の件。まあ、お粗末なもので、部分的に誤魔化したというのでなく何も根拠がなかった、というのに等しいですね。 日本のTVでは、似非実験を演出に使うハウツー番組があふれています。しかし、科学番組としてETVが供給している一部を除いて、残念ながら信頼できるものはまずありません。実験と呼ぶからには、最低限、第三者が再現できる客観性が必要ですが、制作者は悪意があるなしにかかわらず、そういうイロハを知らないのではないでしょうか。

 ところが、公共の電波で有名なタレントが紹介する効果と言うのは絶大で、私の住む地域のスーパーでは、放映の翌日午前中には、棚から納豆が売り切れ空の状態になりました。食品のブームは多々あれど、ひとつの食品がこれほど集中して売れるのは滅多にある話ではありません。それ以後、女性週刊誌なども、納豆の効果を追認するような記事を掲載したものですから、品薄状態はなかなか改善されず、もともと納豆好きの私の家族が閉口していたら、この顛末です。

 もともと納豆は安くて身体によい食品の代表みたいなもので(循環器系に疾患を持つ方等は避けたほうが良い場合もあります)、欧州でも今ブームだそうですから、食べて損をした人はいないでしょう。今急に納豆をやめると、いかにもTVに踊らされたのがばれますから、市場が落ち着くにはもう少し時間がかかるかもしれません。

 で、何を言いたいか、というと、人はこんなに簡単に騙されるということです。(+メディアはこれほどまでにいい加減だということです)納豆業界の方はいい迷惑でしたでしょうが、これが、人の生命にかかわる話だったらどうでしょう。わたし達が、もっと大事な話なら慎重になるというのは楽観的過ぎます。むしろ、大事な話ほど不安感が募り、理性的な判断が出来なくなるのが人間です。関東大震災でデマを信じて普通の人々が朝鮮の人を虐殺した事件は、デマを流した者の犯罪性もともかく、人間の理性がいかに弱いかを実証しています。

 最近の例を挙げましょう。

 世界的に権威のある科学雑誌「ネイチャー」が、日本政府が横田めぐみさんの遺骨を鑑定した結果は信頼できないと、その威信にかけて指摘したのに、北朝鮮捏造説をかんたんに信じてしまいませんでしたか?子どもの自殺の件数はこの30年近く変化していないし、少年の凶悪犯罪件数は減り続けているのに、最近の子どもは生命の尊厳を理解していない、という主張に頷いていませんでしたか?サダム・フセイン元大統領の処刑がイラクの民主化の第一歩と聞くと、そうかもしれないと思いませんでしたか?イラクに結局大量破壊兵器はなかったのに、それを理由に攻撃が始まろうとしている時、そんなことは上の人が確かめることだと傍観していませんでしたか?日本国憲法の草案は紛れもなく鈴木安蔵ら日本人が作成したのに、GHQの押し付けだという宣伝を鵜呑みにして、たったそれだけで改憲を支持していませんか?

 特定の立場や条件の人にあまりに都合の良すぎる話は、ねずみ講でなくても、一遍は眉につばをつけて検証してから信じても、決して遅すぎることはありません。特に自分に有利な言説ほど疑ってかかるくらいがちょうどいいのです。あなたを騙すのは、意識的な敵ばかりではないのですから。

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2006/10/01

輝きのない人生なんてない 「純情きらり」の生き様の余韻

 昨日、NHKの朝の連続TV小説「純情きらり」が終わりました。最終週をBSで一気に見て、なんだか胸が浄化されたような想いでした。

 平和への真摯な表現で注目を集めたドラマですが、それだけでなく、主演の宮崎あおいさんの演技力はびっくりするほどだし、脚本がとにかく素晴らしかったです。制作者自体の実世界に対する感度が低く、既存ドラマの再生産でしかない昨今の多くのドラマでは、筋を知らなくてもああこの次はこう言うな、と予想できてしまうものが多いのですが、「純情きらり」では、ひとつひとつの言葉が生きていました。特に、人間が意を決して言う時の言葉や、言いたくてもどうしても言えないでいるときの言葉が美しい。

 脚本家浅野妙子さんは、以前インタビューに答えてこんなことを語っておられました。これは安倍首相の「再チャレンジ」社会と対峙する感覚ではないでしょうか。

 『従来の連続テレビ小説は、女性のサクセスストーリーで気持ちよく終わるというものが多いようですが、世の中には、名もなく、はかなく終わった女たちの一生がたくさんある。そんな人生にも意味がある。そこを描けたらすてきじゃないか、って思っています。』(赤旗日曜版9月3日付記事から)

 輝きのない人生なんてない、人生の中で無意味な1日なんてない、というメッセージは、格差を拡大し、グローバリゼーションに奉仕する人間以外は価値がないとでも言いたげな安倍政権の姿勢に、深いところで待ったをかける力があると思います。

 主人公の桜子は、戦争を生き抜き、よき伴侶と結婚し、やっと好きな音楽ができると思った矢先に結核に冒されます。無理を承知で男の子輝一を出産しますが、産んだわが子を一度も抱きしめることなく、ノートに書いたメッセージを夫の龍彦に託して世を去ります。一般的な意味での母親らしいことは何もできない状態でも、何より輝一に生命を与え、寂しい時は音楽の中に母親がいると曲とメッセージを残した生き様は、どんな運命も、人間がもう一人の人間を愛することを奪い去ることはできないことを教えてくれました。

 人生の輝きは、その人が社会的に何らかの形で成功したかどうかで決められるものではなく、以前教えてもらった言葉を借りれば「志の美しさ(「高さ」ではない)」がもたらすことのように思います。わたしは、人生の輝きという言葉で、トナミ運輸を内部告発し、ずっと差別されながらも「窓際」で勤務を全うしこの9月20日に退職された串岡弘昭さんを連想しました。

 そういう人間のひたむきさと共感が、うそを見抜き、かつそれを許さない世の中を少しずつつくっていくことを願っています。

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2006/07/30

「キリクと魔女」 たたかいとは真実を知ること

 福井子ども劇場の企画で「キリクと魔女」の上映会があり、家族で観にいきました。その感動は、涙が出てくる、という手のものではないし、深く静かに心の底に定着する、といったものです。

http://www.albatros-film.com/movie/kirikou/

 このフランス製アニメーションは、1999年フランスで大ヒットし、2003年にジプリの配給で全国公開されましたから、すでにご覧になった方も少なくないと思います。私は、当時この作品の存在さえ知らず、何の予備知識もなしに鑑賞できたことは、ある意味幸運だったかもしれません。

 まずは、見慣れた日本やアメリカのアニメとは異質の映像に引き込まれました。知的で透明感のある色彩が最後まで貫かれ、B級冒険ものにありがちな幼稚な色使いはまったくありません。植物の描き方や群集のポーズのとり方が、私の好きなフランス人画家ルソーに少し似ているな、と思って、帰ってから調べたら、ミッシェル・オスロ監督がそのようなことを意識した由語っていました。登場人物の表情も、凛として美しい。

 アフリカの寓話が素材ということですが、映像も音楽もアフリカ的な匂いを強調(非人間的な存在としての呪い鬼は、そのロボット的な不気味さをアフリカ伝統芸術の形象化でより深めています)しながら、むしろ地球上のどことも限定できない人間始原の物語にまで高められている気がします。

 主人公のキリクは、自分の力で母親のお腹から生まれるやいなや、村を苦しめている魔女とたたかいに出かけます。

 その社会が深刻な危機に瀕した時、子どもや若者が彗星のように現れて救世主となる、というパターンは世界各地の伝説に共通して見られますし、歴史上も、ジャンヌ・ダルクや、天草四郎等がいます。しかし、その中で、子どもに大人ができない何を託したか、という点では様々です。名作童話「ぺにろいやるのおにたいじ」では、無垢な少年ぺにろいやるの前に鬼は暴力を恥じ、子どもに戻ってしまいますが、キリクに託されたものは、単なる無垢な魂だけではありませんでした。

 キリクは、何よりも「真実は何か」ということを納得できるまで知りたい、と願ったのであり、キリクのたたかいの目標は魔女を打ち倒すことではなく、なぜ魔女がいじわるをするのか、を自分の力で確かめることだったのです。極論すれば、大団円は、その結果にすぎません。

 村の人たちが味わっている理不尽な苦しみは、魔女という絶対的な存在に対する無力感から倍増します。しかし、その絶対的な存在は、それ自体がどこか別の世界からやってきたものではなく、自分たちがつくりあげたものにすぎない。絶対的な悪を支えているのは、普通の村人の間の不信や疑惑であり、迷信に頼り自立しようとしない弱い心だったのです。

 ですから、世界をありのままに見て語る賢者としての祖父に村人を近づけさせないよう、魔女は真実と村人の間に自ら結界をつくって監視していました、真実は、必ずあるものだけれども、それは努力をしてかち取らなければならない、そこでこそ、人間は自由になれる、という寓話をこれだけ分かりやすく映像化した作品は少ないでしょう。

 平和を求めるたたかいも、キリクのように、どこまでも真実を探し出そうとすることが何より重要であると改めて思いました。そのためには、もう大人になってしまった私たちは、誰が考えても分かるような迷信だけでなく、自分が自分自身の偏見のとりでから世界を見ていないか、いつも謙虚に自分自身を見つめなおさなければなりません。

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2006/05/20

ネルソンさんが語る「9条の力」

「世界平和は米国がつくるものではない。国連に任せておけばいいものでもない。また、ヨーロッパから起こるというものでもない。ここに集まった皆さんの中からはじめるものだと思います」(アレン・ネルソン、2006/5/20)

 今日は、アレン・ネルソンさんを福井に迎えた講演会「子供達を戦場に送りたくない」(福井たんぽぽの会、福井弁護士9条の会準備会共催)が開かれました。私は、妻と中二の娘と、それからちょっと難しいかなと思いましたが小一の息子も連れて聴きに行きました。

 アレン・ネルソンさんについて改めてご説明する必要はないでしょう。以下の本は家族みんなで読みました。

 ■「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」(2003、講談社)
  http://tinyurl.com/jjaz4

 ネルソンさんは"REAL WAR"という言葉を何度も使います。美しい音楽の下でヒーローが正々堂々と敵を倒す"MOVIE"の世界で描かれる戦争との対比を強調するためです。メディアのおかげで私たちは兵士の役割を誤解している、とネルソンさんは言います。兵士はソーシャル・ワーカーではない。老人や子どもを救け、病院や学校を建てるのが兵士の目的ではない。兵士の第一の任務は、"KILL"に他ならないのだ、と。
 そのために、海兵隊員は敵を人間と思わず確実に殺害する暴力性を徹底的にたたきこまれます。沖縄に駐留している海兵隊の若者は毎日そうした訓練を受けているため、市街へ出掛けるときだけ暴力性を基地に置いていくという風にはいかない。記録されていないものも含めて沖縄で米兵が起こし続ける犯罪は、軍隊の目指す人間像の避けられない帰結ということなのでしょう。

 しかし、ネルソンさんは、沖縄や海外の米軍基地、アフガンやイラクに派遣される兵士のほとんどが、貧しい労働者の子ども、あるいはスラム街出身で、生活のために選択の余地なく兵役を選んだ若者であることを忘れないでほしい、と訴えました。対テロ戦争を遂行するブッシュ大統領の娘が戦場に駆り出されることはない。イラク攻撃が始まったとき小泉首相はすぐに支持を表明したが、彼の息子がイラクに行くことはない。憲法9条をなくそうと画策している国会議員の子どもや孫が前線に送られることはないのです。どんな戦争でも貧しいものどうしが殺し合いをさせられている、と語りました。これは、マイケル・ムーア監督の「華氏911」でも、いちばん強調されていた点ですね。
 ネルソンさんは、本国では、アメリカで最も貧しい国であるカンデムという都市に住んでいます、ここでは、暴力や麻薬売買などが頻繁に起こり、学校には教科書すらない状態だといいます。これにつけこんで学校では軍隊のプログラムが組み込まれており、兵士たちの重要な供給源となっています。親たちも麻薬犯罪に巻き込まれるよりはマシ、という理由でこのプログラムを消極的に支持しています。ネルソンさんは、貧しい子どもたちが金持ちの子どもに負けない学力をつけてほしいと、この街で私塾を開いています。

 世界最強の軍事力と経済力を維持しながら、ニューヨークでは、子どもを含め毎日3万人を超えるホームレスの人たちがシェルターや街頭で寝ている、それに政府は金を使わない、それがアメリカの現実です。また、ネルソンさんは初めてヒロシマ・ナガサキを訪れとき、米国の学校で教えられていた原爆の知識がまったくデタラメだったこと、アメリカこそテロリストの王であることを知ったと語りました。何の告知もなく、逃げる間も与えず民間人が暮らす街に原爆を投下した行為は、ブッシュ大統領が非難し利用する911テロと同質のものだと批判しました。

 ネルソンさんにとって、戦場のもっともリアルな記憶のひとつは、死体から発する匂いだそうです。今でもそれを思い出すと吐き気がするといいます。戦争映画でも、単にヒーローものでない作品はあるが、この匂いが伝えられない限り、観客に"REAL WAR"は伝わらない。観客はキャンディーやジュースをほうばりながら戦場の場面を見ているが、もしこの匂いを再現する映画ができれば、そんな余裕があるはずはなく、戦争なんかもう嫌だと誰もが思うに違いない、と、私たちの想像を超える戦場の酷さを語りました。

 そのネルソンさんは、日本国憲法9条についてかたるとき "Power of Article 9"というフレーズを何度も使いました。政治家は次々に新しい脅威をあおって国民を煽り、敵は同じ人間ではない(イラクの戦争では、イラク人のことを米軍は「砂漠の猿」と蔑称したそうです)と信じ込ませ、軍備を拡張するが、軍備で安全は確保できない。9条こそが、安全を確保する力(POWER)を持っている、と繰り返しました。戦争の残酷さ、空しさを知っているネルソンさんの口から出る"Power of Article 9"という言葉は力強く、勇気付けられるものでした。

 息子は途中で退屈しながらも、最後まで聴き通し、アンケートには「せんそうはこわいと思いました。ぼくは人を殺したくありません、(…云々)」の感想と、ネルソンさんの似顔絵をかいていました。

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