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2010/03/13

肩書き

 肩書というのは妙なもので、会ったこともない、顔も知らない人でも、耳になじんだような肩書が付いているだけで、安心してその人の言動を信用してしまうらしい。資格もないのに「医師」や「弁護士」を名乗れば法に触れる。落語が話せないのに落語家と言ったらすぐばれる。しかし、著述業、ナントカ研究家、ホニャララ・コーディネーターとかは何の規制もないから、自分さえそう思えばいい、お金もかからないから気楽なものだ。その最たるものが「平和運動家」だろう。何をもってそういうのか、私には全く分からない。「家」とつくなら、狭義に物質的なものでなくても、何かを生産して社会に貢献しなければなならないだろう。彼らは何で貢献しているのか?

 今は隠遁しているが、かつて寝ても覚めても平和問題を考え発言していた時期も、私は、基本的に「一労働者」、そういうカテゴリーがなければ「会社員」と名乗っていた。どんなに活発に活動していても、それによって1円も利益を得ていないのだから当然だが、話す前から肩書で相手に対して優位に立とうという卑怯な人間に見られたくなかった。平和は個々の生活の中から生まれてくるのだから、真摯に平和を求めようとするなら、相手が本音を言いやすい肩書なしにあえてなるのが自然だ。

 まして、無責任な情報を流して、それで利潤を得ている口実に「平和運動家」という肩書が使われているなら、それは犯罪的行為であろう。もし私が何かの気まぐれで、以前にもまして活動にのめりこみ、定職を辞したとしても、決して「平和運動家」とは名乗るまい。仏の前の肩書は「人間」ひとことでじゅうぶんなのだ。

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