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2009/01/19

「一方的停戦」の意味 ~ 清水愛砂さんの告発とともに

 無能で恥知らずな政治家にとって、「敵」ほど必要なものはない。それは、「一方的」にいくらでもつくることができる。911の直後、「ディア・エネミー」という一冊の絵本の原画が世界や日本を巡回した。今どれだけの人が覚えているだろうか。

 ハマスが議会で多数を獲得して以来、その転覆に失敗し、汚職がらみで支持の低迷した現与党が2月の選挙で勝利するため、ありとあらゆる破壊の限りを尽くした後、オバマが就任する直前に「一方的」停戦。すべて筋書き通りなのだろう。イスラエルにとっても、そしてオバマにとっても。

 「停戦」とは名ばかりで、イスラエル軍は今後もガザに駐留する。検問所が解放されたわけでもない。日常として継続される「一方的」占領に置き換えられただけだ。

 日本の報道は、封鎖されたガザの情報を何とか取ろうとさえしてこなかった。それでも、分かっているだけでも1300人もの死者、残虐兵器の使用、医療設備の破壊、などは知っているはずなのに、「イスラエルは少し過剰ではないか」「憎しみの連鎖を生まれることが心配だ」とか、面倒くさそうに、アリバイのようにしか話せないテレビの出演者は、いったい血が通っているのか?私は、ジャーナリストの資質などという高尚なことを要求しているのではない。人間の生命に対する感性を問題にしている。

 「深刻な人権侵害」ということに異論はない。しかし、そういう定義をしないことには声を上げてもらえないほど、パレスチナの人の生命は軽いのか。

 「一方的」という言葉の意味を、清末愛砂さんが告発している。以下、その全文を転載させていただいた。ただし、改行は、画面で見やすいように私が修正した。ご了承お願いしたい。

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■「停戦」、あるいは「一方的」という言葉は何を指すのか。

 2009年1月18日

 イスラエル「一方的な停戦」が伝えられました。すでに新聞等の報道で知った方も多いと思います。朝、BBCのウェブニュースを読んでいるときに、一番最初に目に入ったもの。それは、ガザ南部のラファの写真でした。破壊されて、廃墟となってしまったラファ。すぐさま、明日の授業で学生たちに見せるために、ダウンロードしました。3週間にわたる激しい空爆や砲撃のなかで、ガザは再び(いや、再び、再び、再び・・・)「グラウンド・ゼロ」になってしまいました。

 ガザ住民を一方的に責め続け、生身の身体をミサイルで粉々にし、生活空間を破壊しつくし、これ以上の血と涙が出ないほど惨い攻撃をしたあとに、イスラエルは何一つ譲歩せず、「一方的停戦」を勝手に宣言。その内容とは、イスラエル軍が「停戦」の名のもとで、ガザに地上軍を残すというもの。こんなもの、許されるはずがない。殺人マシーンがそのまま居残るということなど。封鎖が続くということ。筆舌に尽くしがたい地獄を経験させられたあと(いや、今もしている)もなお、形を変え、パレスチナ人を支配する。ガザ住民にとっては、そんなもの屈辱以外なにものでもありません。

 ハマースは交渉を拒絶しているわけではありません。交渉の条件として、占領の終結を訴えているのです。占領下・支配下にあって、どうして、その支配者と交渉ができるというのでしょうか。

一切の耳を傾けないのがイスラエルの方なのです。拒否しているのは占領者・支配者であるイスラエルなのです。「一方的撤退」というのはそういう意味です。支配下においている者の声は一切聞かない、という通告です。

 三週間におよぶ激しい爆撃の下で、ガザ住民は持てる最後の尊厳をもって、団結し、生きのびようとしてきました。生きのびることが、残された彼・彼女たちの闘いでした。ガザの住民の68%が1948年のイスラエルの建国の過程で、パレスチナの豊かなコミュニティを育んできた故郷を喪失した難民です。それらの人々を含むガザ住民は、一年以上にもわたって封鎖されてきた空間―それはまさしく「野外監獄」です―で世界の目があるはずのなかで、殺され続け、あるいは残された最後の可能性を探して避難しようとするなか、ミサイルの雨を落とされ続けたのです。そして、残された人々は、これからもイスラエルによって支配され続けるというのです。

 自分をのぞいて家族の誰一人も残っていない男性の叫び。子どもたち全員を殺され、半狂乱になっている親たち。同僚たちが殺され、遺体が地面に転がっているなか、生きのびた男性が放心した顔で「神は偉大なり」と言い続けている姿。

 これらは、世界が許した戦争犯罪でした。ガザ住民は<私たち>を許してはくれないでしょう。許せるはずがありません。

 ガザは、私に「人間であることの恥」を教えてくれた土地でした。2000年に初めてガザを訪問した私は、占領がガザ住民に与え続けているむき出しの暴力を目にしたとき、人間が人間に対して行っているあまりの残酷さに声をうしないそうになりました。砂の一粒一粒にすら、占領の暴力が刻まれている、そう思わせた土地でした。人間は理性など持ち得ていない、と確信させた地でした。それから9年の間、ガザの状況は悪化するばかりでした。2000年がまだましだったと言えるほどに。

 マス・メディアの多くは、「一方的停戦」をポジティブに報道しています。なぜ、内実を見ないのでしょうか。なぜ、イスラエルによる国家テロを批判しないのでしょうか。イスラエルのメディア戦略に、わざわざだまされてあげるのでしょうか。三週間、留まることなく進行し続けたエスニック・クレンジングをなぜ批判できないのでしょうか。答えは簡単です。そうしないことを「恥」だと感じないからでしょう。「一方的」という言葉を聞くと、2005年のことを思い出します。イスラエルはポーズとして、「ガザから入植地を撤退」させました。あのときも「一方的撤退」という言葉が使われたでしょう。その後のガザは、徐々に徐々に封鎖され、2006年のパレスチナ評議会の選挙でハマース(イスラーム抵抗運動)が勝利し政権についたあと、欧米諸国(日本も含む)がハマース政権に制裁を加えただけでなく、猫の額ほどしかない小さな小さなガザが封鎖されたのです。パレスチナ人が民主的な手段を行使したことに対する罰として。

 自分たちが気に入らない政党が選挙で民主的に選ばれると制裁を加え、その一方で、「中東唯一の民主国家」等といいながら、イスラエルを擁護する。イスラエルは「民主的な国」。そうかもしれない。では、誰にとって民主的だというのでしょう。それはイスラエルのユダヤ人に対してのみです。イスラエルの占領下にあるパレスチナ人は、あるいはイスラエル国籍を持つものの二級市民扱いをされているイスラエルのパレスチナ人は、それを権利として行使することすらできません。

 今回の攻撃で、ガザの人々は何もかも破壊され、命を奪われ、これ以上の地獄はないというほどの醜い状況を一方的に押しつけられた挙げ句、要求は何一つ受け入れられなかったのです。「一方的」という言葉を使うべきところは、ここにあるのではないでしょうか。

 長文を読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

 清末愛砂 拝

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 おそらく、ガザの人々や清水さんが告発する言葉の何分の一も私は分かっていないに違いない。そうした言葉で伝えられる限界を超えるような虐殺、抑圧は、これが最初の一度きりのことではない。清水さんの文中にあるように、60年間、「再び(いや、再び、再び、再び・・・)」繰り返されてきたのだ。そして、その実態も明らかにされてはこなかった。

 かつて、アムネスティがこれ以上の人材は考えられないとまで信頼していた国連人権委員長メアリ・ロビンソンは、パレスチナの虐殺の徹底調査を主張したため、ブッシュ政権によって事実上職から引きずりおろされた。「停戦」自体はずっとわたし達が求めていたものだ。しかし、「停戦」というここちよい響きによって、世界の関心がガザから遠ざかることがあってはならない。

 イスラエル軍をガザから完全に撤退させ、その戦争犯罪を徹底して調査させるのは、わたし達が告発する側としてだけでなく、告発される側の痛みも甘受して実現させなければならないことだと思う。そうでなければ、1300人の犠牲者は「犠牲」ですらなくなる。

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