シンディ・シーハン:7月4日はわたしにとっても独立記念日となった
シンディの休養発表からもうすぐ3週間が経ちます。
最初にこのニュースを知った時は、悲しみと悔しさばかりが先行しましたが、今は、これまでのアメリカの運動を振り返り、わたし達に活かしていく総括の機会が与えられた、という風に感じています。
インタビューもいろいろなメディアが行っていますが、シンディが休養しようと思ったきっかけだけでなく、そもそもどういう経緯で、どういう気持ちで声をあげ始めたのか、その原点を紹介する記事を教えていただきました。
かなり長文ですので、なかなか仮訳にも手がつけられなかったのですが、これから何回かに分けて紹介していきます。
それにしても、休養するといってから、様々なインタビューに、しかも玉石混交にすべて丁寧に対応しているシンディのタフさには敬服するばかりです。
==================================================
【シンディ・シーハンは、平和運動家の顔から降板します】(1)
Cindy Sheehan Steps Down as the Face of the Antiwar Movement
By Amy Goodman, Democracy Now!. Posted May 30, 2007.
http://www.alternet.org/waroniraq/52654/
■AMY GOODMAN(以下GOODMAN):
この2年間イラクでの戦争に対しアメリカで最も目覚しい批判を続けた後、平和運動から退くと発表したばかりのシンディ・シーハンさんにお会いしています。技術兵の任務についていた24歳の息子ケイシーが、2004年4月4日イラクのサドル・シティ(【訳注】バグダッド市内北東部の人口密集地)で殺されてから、彼女はイラク侵略と占領に反対の声をあげはじめました。2005年8月、クロフォードの農場で休暇をとっていたブッシュ大統領に対し、会って話をするよう、シンディ・シーハンさんがキャンプを設営して要求したことは、世界中で大見出しで取り上げられました。
月曜日、シンディ・シーハンさんは、反戦運動の顔としての役目を終えたいと発表しました。その中で彼女は、戦争に協力したと批判されたことで彼女を攻撃した民主党から離党すると言いました。
シンディ・シーハンさんはまた、彼女の生命がたびたび脅かされたこと、健康と彼女の家族の負担、平和運動の内部分裂についても触れました。彼女は、「わたしが共和党にしていたのと同じ基準で民主党の責任を追及しはじめたとき、わたしの主張に対する支持は減っていき、『左翼』は右翼がそうしたのと同じようにわたしにレッテルを貼り中傷し始めたのです。。『平和と人間の理不尽な死に関する問題は、<右か左か>ではなく、<善か悪か>の問題です』とわたしは言いましたが、誰も耳を傾けてくれなかったと思います。」と書いています。
あなたにお会いできて光栄です。あなたは昨日飛行機に乗って、カリフォルニアの家に帰ってきたばかりですね。あなたの決意をわたし達に話してください。戦没者追悼記念日に、この国いえ世界中の人々があなたの悲しい手紙を受け取りました。それを読むと、少なくとも当分は、アメリカの平和運動であなたが指導的役割を果たすことはないとおっしゃっているように思えます。
□CINDY SHEEHAN(以下SHEEHAN):
たやすい決断ではありませんでした。テキサスのクロフォードに行ったときなら、本当に、迷わずすぐに決意したのですが、ええ、上手くいくかどうかなんて分からないままにね。でも、それはうまくいきました。
わたしは1年間、命を落としかけた昨年夏以来、運動から退くことを少しずつ考えていました。ご存知のように、健康が回復したらわたしはすぐ全力の活動に戻りました。でも、こんなにバラバラになった運動の中で活動するのはとても難しい。そう、内部にはネガティブなエネルギーがたくさんあって、わたしの気力をどんどん流し去ってしまうのです。まだたくさんの方々が支援してくださるのは分かっていますが、今の左翼は実際は中心から少し右に寄っていて、そういう人たちがわたしを非難し始め、右翼と同じような言葉を使って攻撃し始めた時、もう考え直す時、つまり退く時が来たと思いました。そして、これからどの方向へ向かったらいいのかよく考えたいと。
■GOODMAN:
シンディ。昨年病院でお会いしましたね。わたしはその時あなたが病気だということも知りませんでした。何が起きたのか教えてください。
□SHEEHAN:
そうですね。わたしは婦人科の疾患を持っていて、24時間以内に体の半分の血液を失うところでした。だから入院が必要だったのです。輸血が必要でした。結局わたしは2つの緊急外来にかかってそのときに深刻な伝染病にもかかってしまいました。それで、数日で再入院しなければなりませんでした。
そして、文字通りわたしの生命はわたしから流れ出ていったのです。わたしが生きていくための血液が。しばらくわたしは、生死の境をさまよっていました。やがてわたしは回復しましたが、それは大手術でした。この病気はわたしの弱点です。それなのに、わたしはそれ以後も十分時間をとって休養しなかったのです。
■GOODMAN:
シンディ、とても辛いことだと分かっているのですが、2004年4月4日のことを話してもらえないでしょうか。あなたが、アメリカで、そして世界中で、このことを何度も話してきたのも知っています。でも、あなたの著作の副題「A Mother's Journey Through Heartache to Activism」の通り、あなたの旅について話しましょう。あなたは、ケイシーさんが殺されたことをいつ知ったのですか?
□SHEEHAN:
ケイシーが殺されたのは、そう、カリフォルニア時間で朝8時少し前でした。私は9時に起きました。その知らせは私を打ちのめしました。ケイシーが亡くなって最初の日、私の心は一点の光もない闇に閉ざされてしまいました。私が起きた時、外は穏やかな日曜日でした。家を掃除したり、洗濯をしたり、買い物をしたり、来週着る服を用意したり、いつもどおりの日曜日の家事をしていました。
そして、私と前の夫、そうあなたも知っているように、ケイシーが死んだ時わたし達はまだ夫婦だったの、わたし達は座って夕食を食べながらCNNを見ていました。その日何を食べたかも覚えています。フィレミニョンでした。そして、CNNのあのニュースを聞いたのです。バグダッドで、その日ハンヴィー(【訳注】米軍の代表的な軍用車)が炎上し、8人の兵士が殺された、と。
わたしはパットを見て、「ケイシーがその中にいるわ」と言いました。パットはすっかり動転して、まくしたてました。「馬鹿な。ケイシーがバグダッドに着いてまだ数日だぞ。知ってるだろう。あそこには何十万人もの兵士がいるんだ。よりによってケイシーがそんな目にあうはずがない。殺されたのがケイシーだった可能性はほとんどない。僕たちはケイシーが今どこにいるかも知らないんだから」それでも、わたしは言いました。「あなたが何を言っているのか分からない。ケイシーの名前があったのよ」そして、約4時間後、恐れていたことがアメリカ軍によって確認されたのです。
■GOODMAN:
その日から始まったあなたの旅について話してください。あなたはどんなことをしてこられましたか?
□SHEEHAN:
わたしは犬に散歩をさせて家に帰ってきました。そうしたら、軍の人たちが居間に立っていたのです。わたしはその場で床に崩れ落ちてしまいました。泣いて、泣いて、泣き叫びました。察していただけると思いますが、わたしはどうしたらよいか分かりませんでした。人々が家に訪れ始めました。その時からずっと、時間は曇ってしまいました。ケイシー、あなたはお酒をたくさん飲んだわ。それによく笑ったわね。生きていた頃の楽しかったことを覚えてる。でも、その恐ろしい瞬間あなたをとらえたのは、想像もできない衝撃。身体も心も粉々にしてしまうほどの。
その晩は眠りませんでした、次の晩も眠りませんでした。眠って目が覚めるのが怖かったのです。眠ってケイシーが死んだことを忘れたくなかったし、目が覚めたとき再び死を知らされる経験を繰り返したくなかったのです。ケイシーが殺されたと聞いた後、月曜日の朝6時ごろ玄関の揺り椅子に座って、仕事に出かける人々を眺めていました。わたしはその人たちに叫びたかった。わたしの息子が死んだというのに、あなたたちは平気で暮らせるの?って。
命が奪われ、ケイシーの住む世界、そう世界そのものが破壊されようとしているとき、そんな世界のあり方に、彼は怒っているでしょう。ケイシーは、わたし達とは違う世界に行ってしまいました。そして、8か月か9か月が過ぎました。わたしのショックも癒え始めました。悲しみに沈んでいる昔の自分を見つけられたら、それは、現実の痛みが落ち着いた時なのです。
■GOODMAN:
シンディ。あなたは、あなたが意見を表明するようになるまで、どうやって個人的な悲しみをわたし達が共有する問題にしていったのでしょうか。ケイシーが亡くなってからあなたが初めて意見を表明したのはいつでしたか?
□SHEEHAN:
2004年7月4日、ケイシーが殺されてちょうど3ヶ月後でした。わたしは、カリフォルニア、バークレーのユニテリアン派ユニヴァーサリスト教会に行きました。もうひとりのゴールド・スター・マザー(【訳注】アメリカで国家に殉職した息子を持つ母親に与えられる)、ジェーン・ブライトに会いに行くためでした。彼女の息子エヴァン・アスコットは2003年7月にイラクで殺されました。
ジェーンが集会で発言するため、支援に行ったのです。わたしは、そこで初めてケイシーが殺されたのと同じ日に同じ事故で息子のマイケルを殺されたビル・ミッチェルに会いました。わたしは最初から発言をしに行ったのではありませんが、何か言わないわけには行きませんでした。それ以来、わたしは黙っていられなくなってしまったのです。それが最初です。お気づきの通り、今思えばとても意義深いことでした。アメリカの独立記念日に、わたしもわたし自身の声を見つけたのですから。たくさんの人に破壊をもたらしているこの国から、わたしはまさに独立(自立)を手に入れたのです。
*以下つづく…*
(仮訳 どすのメッキー 17 June 2007)
==================================================
インタビューで紹介されている、シンディの著作は、残念ながら邦訳はありませんが、原著はAmazonで購入可能です。
Peace Mom: A Mother's Journey Through Heartache to Activism
http://tinyurl.com/3bwoa2
(2006/9/19刊)
ゴールド・スター・マザーについては、以下のサイトをご参照ください。(英語)
http://www.goldstarmoms.com/agsm/Home/
| 固定リンク

コメント