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2007/06/24

国際手配される犯罪人をわたし達は代表には選ばない ~ フジモリ元ペルー大統領擁立の動きに怒りをこめて抗議する

 さて、参議院選でまたぞろおかしな候補者が立候補していますが、このニュースには唖然としました。

【<参院選>国民新党のフジモリ氏擁立 なぜ、いま?】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070623-00000038-mai-pol
(毎日23日)

「『いまの日本の政界にフジモリ氏ほどのサムライがいるかね』。在ペルー日本大使公邸占拠事件から10年、フジモリ氏とかねて親交のある亀井氏は折に触れ、そう語っていた。悲願だったペルー大統領に返り咲く道が断たれていたフジモリ氏も第二の故郷、日本で政治家に転身する意欲を持っていた。両者の思いは合致し、参院選の『サプライズ候補』にすべく水面下で折衝を続けていた。
 フジモリ氏は熊本県出身の両親が1934年にペルーに移住したあと、38年にリマで生まれた。日本大使館に出生届が出されたため、日本国籍を持つ。日本に居住していなくても被選挙権はあり、参院選に立候補することに法的な問題はない。」

 亀井静香氏は、死刑廃止やイラク戦争協力反対など部分的に協力関係を結べるのではと思っていたのですが、がっかりです。

 フジモリ氏は、大統領職の職務放棄、公金・寄付金の横領、コカイン密輸組織との癒着、「ゲリラ掃討作戦」時の市民虐殺等21件の犯罪で、国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、国際手配されている人物です。ペルー国会も、市民虐殺等に関連して、フジモリ氏を殺人罪の容疑で告発しています。

 二重国籍を認めない場合、国際結婚などで子どもに不利益が発生しますので、多くの国は二重国籍を認めていますが、日本はそれを認めない少数派の国です。フジモリ氏がペルーの国籍を持たずに大統領になったとは考えられませんから、国籍に対して頑な姿勢をとり続ける(先日も、暴力的な父親から避難中に生まれた少女が日本国籍を取得できず、パスポートの発行を拒否されたというできごとがありました)日本政府であれば、フジモリ氏の日本国籍は認めないのが当然です。

 ところが、フジモリ氏が2001年11月日本を訪れると、日本政府は、フジモリ氏が日本で出生したことを根拠に、日本国籍をたてにとって、彼の引渡しに応じない旨をチリ大使館通じ、チリに通告しました。

 フジモリ氏のように、国際条約に規定された犯罪については、国際条約を批准した国であれば引渡しを行わなければなりません。 まして、フジモリ氏の場合、そもそも日本国籍の所持自体がインチキなのです。ペルー人であり、犯罪者であるフジモリ氏を日本政府が保護する根拠はありません。

 アムネスティも当時「アルベルト・フジモリ元大統領を送還しなければならない」とする声明を発表しています。

 フジモリ氏を極秘出国させた日本政府に対し、チリのラゴス大統領は、フジモリ元ペルー大統領のチリ入国を巡り、「国際手配されている人物が出国したのなら、知らせてくれた方がいいのは当然だ」と遺憾の意を表明しましたが、これに対し、小泉首相(当時)は、「時間がない」と、予定されていたラゴス大統領との会談を中止する報復で応えました。

 当時、ペルー労働者総連合(CGTP)は、フジモリ元大統領が処罰を逃れようとする企ての渦中で、民主主義を守り腐敗とたたかえ、と国民行進を呼びかけています。

 CGTP議長のMario Huamanは、「歴史を繰り返してはなりません。そのため、私たちは独裁者の全ての犠牲者に対し、この市民抗議に加わるよう促しているのです」と主張した。Huamanは、国の腐敗とたたかった人権活動家および著名人とともにデモの詳細を検討していると語り、「フジモリが引き渡されるまで、私たちは連続して抗議行動を起こすでしょう」と述べました。

 ワシントン・ポストの広告、北朝鮮とインド・パキスタンに対する核の二重基準(銃撃された故伊藤前長崎市長は、これに抗議して政府に意見書を出していたらしいです。)、クラスター爆弾の擁護、などなど、国際舞台での日本の無軌道ぶりは、安倍政権になってから目に余るものになっています。安倍首相がいくら「美しい国」を叫んでも、国際社会は益々相手にしないでしょう。シンディ・シーハンは、腐敗した2大政党制に替わるシステムを私達が見つけなければ、代表民主制は死に絶え、ファシストが統治する荒野へと急速に転落していくだろう、これは冗談みたいな話だ、と言いましたが、日本と言う国家はそれどころではなく、その名前がが軽蔑のアイコンとして使われる日も遠くないかもしれません。

 さて、フジモリ氏の人気を一躍高めた10年前のペルー大使館事件で、フジモリ氏は犯人全員殺害の命令を出していました。投降したものも含めて、全員、です。

 さらに、この作戦は人質が救出されたからいいようなものの、一歩タイミングを誤れば銃撃戦もありえた訳なのに、日本の政治家や経済人は異常とも思えるテンションで、作戦とそれを指揮したフジモリ氏の「決断力」を絶賛しました。それは、ペルーで歴代政権が貧富の差を拡大し民衆を弾圧してきたことを不問に経済援助を続けた日本の責任、大使館の危機管理も何もできていないお粗末さを覆い隠す宣伝でした。同時に、強行突破こそが解決の美学とする、そしてそれを国民が認めてしまったことが、911以後、日本が右傾化を強める土壌を作っていったのです。

 まさに、このときのフジモリ氏の対応と、日本が何をすべきだったかについて、以前、9条に関する講演で辛淑玉さんが以前語った言葉が、示唆を与えてくれると思いますので、一部転載して再掲します。

(以下転載)

 憲法9条が求めた人間とはどういう人なのか。サンプルがひとつあると思います。それは「ペルー日本大使公邸人質事件」の時に人質を助けた人です。

 フジモリさんが大統領だった時、日本は橋本首相でした。ペルーで日本大使公邸が占拠され,多くの人が人質になりました。あのとき橋本さんは木村屋のあんパンを持って行きました。何の役にも立たない。そしてフジモリさんはゲリラを全部殺戮した後に、防弾チョッキを着てピースサインをしました。多くの人が,フジモリさんが人質の命を守ったと言います。

 嘘です。本当に人質の命を守ったのは,国際赤十字のミニングさんです。

 彼は,最初人質の中にいました。自ら手を挙げて『私が交渉します』と言いました。そして彼は,赤十字のゼッケン1枚つけて,権力側の銃口と,ゲリラ側の銃口の間にあって,臆することなく,いつも下をむいてバギーをがらがらがらと。威張ってないわけですよ。威張らなくて,そして,何回も何回も往復し、人質を励まし,食料を運び,宗教者を連れて行き,そして夢を語り希望を語り,自分は素手でずっと何回も何回も行き来していました。

(転載おわり)

 フジモリ氏といえば、もうひとつわたしが決して忘れないのは、1997年10月、流域の監視所に立ち寄らず南米アマゾンの川下りに挑戦した早稲田大学探検部員2人を、ペルー国軍兵士が監禁殺害した上、現金1200ドルを強奪し、遺体をバラバラにして投棄した事件です。

 この2人は十分な調査と訓練を積んで計画を実行しており、さらに、明らかに武器も何も持たない民間人が殺されたにもかかわらず、日本国内でさえ、知りもしないで彼らを無謀と見なし、自己責任を押し付ける世論が大勢でした。ちょうど、イラクでの日本人人質事件のときのように。

 この事件の報告を受けた橋本首相(当時)は、「ペルーはMRTAだけでなくほかにもテロ組織があって、当然政府軍との間でピリピリしている。十分事前に準備ができていたのか。冒険好きな僕からしても疑問に思う」とコメントし、「我が国の実状と違ったイメージを生む可能性がある」とごまかしたフジモリ大統領に謝罪さえ求めませんでした。

 あらためて、フジモリを担ぎ上げる人々、それに無批判に追従する人に、全身の怒りをこめて抗議します。

 フジモリ氏の行ってきたことについては、以下をご参照ください。

【ペルーの人権問題とフジモリ元大統領の責任を考える会】
http://homepage2.nifty.com/ai152hannah/pddhh.htm

【ペルー年表 その4 フジモリの時代】
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/peru4.htm

■狙われる日本―ペルー人質事件の深層(伊藤千尋著、朝日新聞、1997)
 http://tinyurl.com/2ub9qs

■センデロ・ルミノソ―ペルーの「輝ける道」
(カルロス・I・デグレゴリ著、現代企画室、1993)
 http://tinyurl.com/2qx4mk

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2007/06/17

シンディ・シーハン:7月4日はわたしにとっても独立記念日となった

 シンディの休養発表からもうすぐ3週間が経ちます。

 最初にこのニュースを知った時は、悲しみと悔しさばかりが先行しましたが、今は、これまでのアメリカの運動を振り返り、わたし達に活かしていく総括の機会が与えられた、という風に感じています。

 インタビューもいろいろなメディアが行っていますが、シンディが休養しようと思ったきっかけだけでなく、そもそもどういう経緯で、どういう気持ちで声をあげ始めたのか、その原点を紹介する記事を教えていただきました。

 かなり長文ですので、なかなか仮訳にも手がつけられなかったのですが、これから何回かに分けて紹介していきます。

 それにしても、休養するといってから、様々なインタビューに、しかも玉石混交にすべて丁寧に対応しているシンディのタフさには敬服するばかりです。

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【シンディ・シーハンは、平和運動家の顔から降板します】(1)
Cindy Sheehan Steps Down as the Face of the Antiwar Movement
By Amy Goodman, Democracy Now!. Posted May 30, 2007.
http://www.alternet.org/waroniraq/52654/

■AMY GOODMAN(以下GOODMAN):

 この2年間イラクでの戦争に対しアメリカで最も目覚しい批判を続けた後、平和運動から退くと発表したばかりのシンディ・シーハンさんにお会いしています。技術兵の任務についていた24歳の息子ケイシーが、2004年4月4日イラクのサドル・シティ(【訳注】バグダッド市内北東部の人口密集地)で殺されてから、彼女はイラク侵略と占領に反対の声をあげはじめました。2005年8月、クロフォードの農場で休暇をとっていたブッシュ大統領に対し、会って話をするよう、シンディ・シーハンさんがキャンプを設営して要求したことは、世界中で大見出しで取り上げられました。

 月曜日、シンディ・シーハンさんは、反戦運動の顔としての役目を終えたいと発表しました。その中で彼女は、戦争に協力したと批判されたことで彼女を攻撃した民主党から離党すると言いました。

 シンディ・シーハンさんはまた、彼女の生命がたびたび脅かされたこと、健康と彼女の家族の負担、平和運動の内部分裂についても触れました。彼女は、「わたしが共和党にしていたのと同じ基準で民主党の責任を追及しはじめたとき、わたしの主張に対する支持は減っていき、『左翼』は右翼がそうしたのと同じようにわたしにレッテルを貼り中傷し始めたのです。。『平和と人間の理不尽な死に関する問題は、<右か左か>ではなく、<善か悪か>の問題です』とわたしは言いましたが、誰も耳を傾けてくれなかったと思います。」と書いています。

 あなたにお会いできて光栄です。あなたは昨日飛行機に乗って、カリフォルニアの家に帰ってきたばかりですね。あなたの決意をわたし達に話してください。戦没者追悼記念日に、この国いえ世界中の人々があなたの悲しい手紙を受け取りました。それを読むと、少なくとも当分は、アメリカの平和運動であなたが指導的役割を果たすことはないとおっしゃっているように思えます。

□CINDY SHEEHAN(以下SHEEHAN):

 たやすい決断ではありませんでした。テキサスのクロフォードに行ったときなら、本当に、迷わずすぐに決意したのですが、ええ、上手くいくかどうかなんて分からないままにね。でも、それはうまくいきました。

 わたしは1年間、命を落としかけた昨年夏以来、運動から退くことを少しずつ考えていました。ご存知のように、健康が回復したらわたしはすぐ全力の活動に戻りました。でも、こんなにバラバラになった運動の中で活動するのはとても難しい。そう、内部にはネガティブなエネルギーがたくさんあって、わたしの気力をどんどん流し去ってしまうのです。まだたくさんの方々が支援してくださるのは分かっていますが、今の左翼は実際は中心から少し右に寄っていて、そういう人たちがわたしを非難し始め、右翼と同じような言葉を使って攻撃し始めた時、もう考え直す時、つまり退く時が来たと思いました。そして、これからどの方向へ向かったらいいのかよく考えたいと。

■GOODMAN:

 シンディ。昨年病院でお会いしましたね。わたしはその時あなたが病気だということも知りませんでした。何が起きたのか教えてください。

□SHEEHAN:

 そうですね。わたしは婦人科の疾患を持っていて、24時間以内に体の半分の血液を失うところでした。だから入院が必要だったのです。輸血が必要でした。結局わたしは2つの緊急外来にかかってそのときに深刻な伝染病にもかかってしまいました。それで、数日で再入院しなければなりませんでした。

 そして、文字通りわたしの生命はわたしから流れ出ていったのです。わたしが生きていくための血液が。しばらくわたしは、生死の境をさまよっていました。やがてわたしは回復しましたが、それは大手術でした。この病気はわたしの弱点です。それなのに、わたしはそれ以後も十分時間をとって休養しなかったのです。

■GOODMAN:

 シンディ、とても辛いことだと分かっているのですが、2004年4月4日のことを話してもらえないでしょうか。あなたが、アメリカで、そして世界中で、このことを何度も話してきたのも知っています。でも、あなたの著作の副題「A Mother's Journey Through Heartache to Activism」の通り、あなたの旅について話しましょう。あなたは、ケイシーさんが殺されたことをいつ知ったのですか?

□SHEEHAN:

 ケイシーが殺されたのは、そう、カリフォルニア時間で朝8時少し前でした。私は9時に起きました。その知らせは私を打ちのめしました。ケイシーが亡くなって最初の日、私の心は一点の光もない闇に閉ざされてしまいました。私が起きた時、外は穏やかな日曜日でした。家を掃除したり、洗濯をしたり、買い物をしたり、来週着る服を用意したり、いつもどおりの日曜日の家事をしていました。

 そして、私と前の夫、そうあなたも知っているように、ケイシーが死んだ時わたし達はまだ夫婦だったの、わたし達は座って夕食を食べながらCNNを見ていました。その日何を食べたかも覚えています。フィレミニョンでした。そして、CNNのあのニュースを聞いたのです。バグダッドで、その日ハンヴィー(【訳注】米軍の代表的な軍用車)が炎上し、8人の兵士が殺された、と。

 わたしはパットを見て、「ケイシーがその中にいるわ」と言いました。パットはすっかり動転して、まくしたてました。「馬鹿な。ケイシーがバグダッドに着いてまだ数日だぞ。知ってるだろう。あそこには何十万人もの兵士がいるんだ。よりによってケイシーがそんな目にあうはずがない。殺されたのがケイシーだった可能性はほとんどない。僕たちはケイシーが今どこにいるかも知らないんだから」それでも、わたしは言いました。「あなたが何を言っているのか分からない。ケイシーの名前があったのよ」そして、約4時間後、恐れていたことがアメリカ軍によって確認されたのです。

■GOODMAN:

 その日から始まったあなたの旅について話してください。あなたはどんなことをしてこられましたか?

□SHEEHAN:

 わたしは犬に散歩をさせて家に帰ってきました。そうしたら、軍の人たちが居間に立っていたのです。わたしはその場で床に崩れ落ちてしまいました。泣いて、泣いて、泣き叫びました。察していただけると思いますが、わたしはどうしたらよいか分かりませんでした。人々が家に訪れ始めました。その時からずっと、時間は曇ってしまいました。ケイシー、あなたはお酒をたくさん飲んだわ。それによく笑ったわね。生きていた頃の楽しかったことを覚えてる。でも、その恐ろしい瞬間あなたをとらえたのは、想像もできない衝撃。身体も心も粉々にしてしまうほどの。

 その晩は眠りませんでした、次の晩も眠りませんでした。眠って目が覚めるのが怖かったのです。眠ってケイシーが死んだことを忘れたくなかったし、目が覚めたとき再び死を知らされる経験を繰り返したくなかったのです。ケイシーが殺されたと聞いた後、月曜日の朝6時ごろ玄関の揺り椅子に座って、仕事に出かける人々を眺めていました。わたしはその人たちに叫びたかった。わたしの息子が死んだというのに、あなたたちは平気で暮らせるの?って。

 命が奪われ、ケイシーの住む世界、そう世界そのものが破壊されようとしているとき、そんな世界のあり方に、彼は怒っているでしょう。ケイシーは、わたし達とは違う世界に行ってしまいました。そして、8か月か9か月が過ぎました。わたしのショックも癒え始めました。悲しみに沈んでいる昔の自分を見つけられたら、それは、現実の痛みが落ち着いた時なのです。

■GOODMAN:

 シンディ。あなたは、あなたが意見を表明するようになるまで、どうやって個人的な悲しみをわたし達が共有する問題にしていったのでしょうか。ケイシーが亡くなってからあなたが初めて意見を表明したのはいつでしたか?

□SHEEHAN:

 2004年7月4日、ケイシーが殺されてちょうど3ヶ月後でした。わたしは、カリフォルニア、バークレーのユニテリアン派ユニヴァーサリスト教会に行きました。もうひとりのゴールド・スター・マザー(【訳注】アメリカで国家に殉職した息子を持つ母親に与えられる)、ジェーン・ブライトに会いに行くためでした。彼女の息子エヴァン・アスコットは2003年7月にイラクで殺されました。

 ジェーンが集会で発言するため、支援に行ったのです。わたしは、そこで初めてケイシーが殺されたのと同じ日に同じ事故で息子のマイケルを殺されたビル・ミッチェルに会いました。わたしは最初から発言をしに行ったのではありませんが、何か言わないわけには行きませんでした。それ以来、わたしは黙っていられなくなってしまったのです。それが最初です。お気づきの通り、今思えばとても意義深いことでした。アメリカの独立記念日に、わたしもわたし自身の声を見つけたのですから。たくさんの人に破壊をもたらしているこの国から、わたしはまさに独立(自立)を手に入れたのです。

*以下つづく…*

(仮訳 どすのメッキー 17 June 2007)

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 インタビューで紹介されている、シンディの著作は、残念ながら邦訳はありませんが、原著はAmazonで購入可能です。

 Peace Mom: A Mother's Journey Through Heartache to Activism
 http://tinyurl.com/3bwoa2
 (2006/9/19刊)

 ゴールド・スター・マザーについては、以下のサイトをご参照ください。(英語)
 http://www.goldstarmoms.com/agsm/Home/

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2007/06/16

シンディはツイン・タワーについて何か語ったのか?

 911自作自演説と言うのは、直後にはわたしも疑ったことがありますが、今流布している陰謀論は支持できませんし、特にペンタゴンに突入したのが民間機でないという主張は道義的に許容できません。

 それでも、表立って明確な批判をしてこなかったのは理由がありました。陰謀説の矛盾は指摘されつくしており、同じ内容を改めて繰り返すのは、少なからず日本の運動に持ち込まれている混乱を助長することになると考えたこと、また、大きな事件で陰謀が持ち出されるのは珍しくなく、911自作自演説もやがて終息するだろうと楽観視していたからです。

 しかし、以下の記事は、これまで素人なりにシンディ・シーハンの発言をとりあげてきた者として看過できません。結構あちこちに流れているようですし。

 Prison Planetには文字情報としては要約しか提供されておらず、全文は音声で聞き取るしかないのですが、[TUP-Bulletin] 速報710号が、全文の日本語訳を提供していますので、これを日本国内での原典とさせていただきます。

■ 「シンディー・シーハン『ツイン・タワーの崩壊は制御爆破のように見える』反戦運動の象徴、9/11の新たな調査要求を支持」
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/735

■"Cindy Sheehan: Twin Towers' Collapse Looked Like Controlled Demolition Anti-war icon supports move for new investigation into 9/11"
http://www.prisonplanet.com/articles/may2007/310507cindysheehan.htm

 シンディの「引退」表明を受けて30日にこのインタビューを行っているアレックス・ジョーンズ氏は、911自作自演説の急先鋒ですが、彼の主張の根拠について議論するのが目的ではありません。

 問題は、インタビュー内容全体を代表する見出しとして、"Cindy Sheehan: Twin Towers' Collapse Looked Like Controlled Demolition. Anti-war icon supports move for new investigation into 9/11"が妥当かどうかということと、シンディが「引退(実は休養)」を宣言した直後に、ジョーンズ氏のインタビュー内容が相応しいかどうかということです。

 まず、インタビュー中、ツインタワーの件について話題になっているのは2割強くらいで、しかも「ツイン・タワーの崩壊は制御爆破のように見える」というのは、シンディが持ち出した主張ではなく、ジョーンズ氏に促されて、否定はできないと答えているに過ぎません。原文を聞き取らないと断言できませんが、ジョーンズ氏の「デフォルト(あらかじめ設定されたもの)ですよね。」というダメ押しにも、シンディははっきり返事をしていません。彼女がアメリカ政府に要求しているのは、911について公開で国民が納得できるような調査を徹底してやって欲しい、と言う至極当然なことだけです。確かにシンディは「わたしにもあれは確かに制御爆破解体だったように見えます。」と言っていますが、同時に「わたしはとにかく調べている時間がなかったんです。」と断っているわけです。

 彼女の闊達で率直な物言いに慣れている者からすれば、少なくともその発言がインタビュー全体を代表するような重みを持つとは思えません。タイトルを発案したのがジョーンズ氏なのかポール・ワトソン氏なのか知りませんが、編集者としてアンフェアな態度だと思います。シンディは専門家ではありませんし、おそらく本当に時間がなかったのだと思います。ですから、ツインタワーの崩壊プロセスについて専門家がどうだと言われれば、あえてそれに反論する根拠を持たない、程度の話ではないでしょうか。これで、自作自演にお墨付きが増えたと解釈してもらっては困ります。

 ネットで検索すると、シンディが、チャーリー・シーンとともに、映画「ユナイテッド93」に批判的だったらしいコメントが見受けられます。シンディの直接の書き込みを見ていませんが、反応から推察すると、この時期に、アラブ系の人々に敵意を煽るようなエンターティメントは相応しくないと思っていたようで、これも、別に不自然ではありません。(実際に映画を観たわたしの印象ではその心配は杞憂だと思いますが…)すべての人の生命に比重をつけないシンディが、遺族会を無視してこの話を虚構だと主張していたとは考えにくいです。

 シンディが、なぜ血のにじむようなメッセージで「引退」を発表したのか、それはこれまでご紹介してきたように、イラク戦費法案が撤退期限無しに成立してしまったからであり、彼女と残された家族の身体的精神的疲労が限界を超えたからです。彼女が、あの「引退」メッセージの最後で、すべてはあなた達次第なのです、と言った意味は何だったのでしょうか。ツイン・タワーの崩壊原因を見直せ、と言っていたのでしょうか。そうではないでしょう。何よりも、1日も早くイラクから米軍を撤退させ、米国の若者もイラクの子ども達も死の恐怖に脅えなくてすむ世界を実現したいということだったのではないでしょうか。それを責任を持って伝えることこそが、シンディの悲しみに応えることです。シンディとそれに続く母親の悲しみをもう繰り返さないことが、シンディが残した最大の願いであって、それは911が自作自演であったかどうかには関係ありません。

 シンディにイラクから再び連帯の挨拶を送ったIFCのサミール議長は、「Eyes Wide Open(目を開け)」で、イラクは毎日が911なのだ、と訴え、わたし達の敵はひとつだと強調しました。壇から降りたサミール議長を、旧知の友人のように抱きしめたシンディは、このたたかいの「敵」が、ブッシュのパーソナリティや911という事件でさえなく、グローバル資本主義というもっと大きなものだ、と気付いています。

 わたしが寝る時間を削って提供する訳文などは、専門家から見れば間違いだらけでしょうし、断片的なものにしか過ぎません。でも、DAVID BRANCACCIO氏とジョーンズ氏のインタビューを比較すると、ジャーナリストとしての誠意や温かさに大きな距離があるのを感じないでいられません。

 911直後は報復一色と言われた米国市民が、徐々に冷静さを取り戻し、米英のイラク侵略前には、直接の被害を受けたニューヨーク市がイラク攻撃反対の決議を可決するまでになりました。それまでには、家族をテロで失いながら、人の命が奪われることはどこの国の人でも、どんな時でもつらく悲しいことだ、と全米を旅して主張したピースフル・トゥモロウズの人たち等の努力がありました。そして、マイケル・ムーア監督の「華氏911」が、アフガンやイラクの市民を殺し、米国の若者を戦場に追いやった根本は911テロ後の世界の不安定さではなく、戦争を継続するため貧困を固定化している米国社会そのものにあることを示しました。何より戦争に反対するわたし達日本市民は、日本国憲法前文や第9条に謳われた思想を根拠として、報復の連鎖を止めようとしてきたはずです。イラク侵略前夜世界中でおこった空前の抗議行動には、陰謀説は不要でした。

 わたし達にできるのは、同じことを未来に繰り返さないため、根っこの生えた思想を鍛えていくことだけです。発端が陰謀であれ、何であれ、他者の生命を奪うことも自らの生命を放棄することも拒否する、という一致点を、粘り強く主張していくしかないのです。

 わたしが生涯の師と(勝手に)仰ぐ故カール・セーガン博士は、民主主義と科学が人類を進歩させる両輪だ、と語りました。けだし名言だと思います。民主主義は不可欠ですが、それだけでわたし達が正しい道を選択できるとは限りません。事実を客観的に検証する姿勢が伴ってこそ、伝統や歴史や宗教が異なっても共通の物差しを持つことができ、ひいては他者への思いやりも生まれてくるとわたしは信じます。

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2007/06/14

これが「美しい国」のやることか? ~ 国のいじめに屈しない岩国に全国の支援を

 今日、岩国の井原市長名で封書が届きました。

 封書の内容は多数に紹介可とのことですので、以下転載します。

(転載ここから)

ご依頼

 いつもお世話になっています、岩国市長の井原勝介です。岩国の窮状を知っていただきたくお便りをしました。

 国と言う大きな力に小さな岩国は押しつぶされそうになっています。空母艦載機動部隊の移駐により、市民の平穏な生活が奪われようとしています。十分な説明責任が果たされないままに、建設中の市役所新庁舎に対する補助金の突然のカット、米軍再編特別措置法による「交付金」など、アメとムチで市民の意思を抑えつけようとする手法は、到底納得できません。

 こうした国の不当なやり方に屈せず、市民の心意気を示すため、有志による新庁舎建設の募金活動が行われています。

 地方の自立のために、「民意」が尊重される新の民主主義の実現を図るために、ご支援をよろしくお願いします。ご友人などにもご紹介いただければ幸いです。

 岩国市長 井原勝介
 メール VEP00350@nifty.com

 岩国新庁舎募金の会「風」
 代表 岡田久雄
 ブログ http://iwakuni-kaze.weblogs.jp/blog/

 郵便振替
 口座番号 01310-2-96617
 口座名称 岩国市新庁舎募金の会

(転載ここまで)

 在日米軍再編に伴う基地移転、あるいは強化に対しては、昨年前半全国規模で反対運動のおきなうねりが起こりました。該当自治体の大部分で、市民だけでなく、首長や議会も明確に反対の意思を示したのは、最近にない画期的なできごとでした。

 しかし、その後政府自民党はあらゆる手段で運動の切り崩しをはかり、岩国の井原市長のように現在でも市民の意思を尊重して自治を守り抜こうとしている首長はほとんど残っておりません。

 国が、基地移駐を受け容れない場合、市役所新庁舎建設のための補助金を計上しないという、ヤクザでも驚くような脅迫に打って出ると、岩国市議会総務委員会(宗正久明委員長)は3月19日、不足する35億円に合併特例債を充てることを盛り込んだ市の新年度一般会計当初予算案を否決。さらに同22日には市議会公明党議員4名が基地移駐容認に転向し、それまで容認派と反対派が拮抗していた議会は一気に容認へ傾きました。公明党議員は民意が変化した等と釈明していますが、戦闘機の騒音に対する苦情件数は昨年06年度過去最高となっています。

 国やごろつき議員達は、有権者の半数が反対を投票した住民投票の民意を無視し、そしてそれ以上の得票で当選した井原市長を兵糧攻めに合わせて、基地移転を飲み込ませようとしています。このような手法が許されるなら、国の専権事項さえ振りかざせば、地方にはいくらでも犠牲を押し付けられることになってしまいます。明日はわが身です。

 本当に、とんだ「美しい国」ではありませんか。

 ぜひ皆さんのお力添えをお願いいたします。

【岩国の投票結果をどう受け止めるか、日本の民度と立憲主義が試される】
 http://hope.way-nifty.com/a_little_hope/2006/03/post_3ec9.html
【54,144人の人の心に灯った灯】
 http://hope.way-nifty.com/a_little_hope/2006/04/54144_a020.html

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アメリカはあなたを必要としている ~ IFCサミール議長のメッセージ

 イラクの占領軍撤退と主権回復、政教分離の民主的政府樹立を求める運動として、2005年3月に設立されたイラク自由会議

 http://www.ifcongress.com/English/index.htm

は、武装闘争によらない国民的運動を目指し今も活動を続けています。

 上記ホームページの壁紙は、1958年カーシム准将による民衆革命で王制が崩壊、イラク共和国が成立したことを記念して、ジャワード・セリームが制作した幅50mにも及ぶ巨大レリーフ「自由のモニュメント」です。イラク近代美術の先駆者セリームはこのモニュメントを残して41歳で急逝しましたが、彼のレリーフをかかげ、8か国語でメッセージを発信していることにも、イラク自由会議の決意が表れているように思います。

 議長のサミール・アディル氏は、海外にも積極的に協力の輪をひろげており、日本にも何度か来日していますが、彼がシンディの「引退」声明を知り、5月30日にHPで公開書簡を発表しています。逃げる場のないイラク国民として、シンディには過酷にも思えますが一方で温かい配慮の感じられるメッセージですので、仮訳しました。

 メッセージの直接のあて先はシンディですが、これは、アメリカの市民全体への檄ととらえるべきだと思います。私達日本の市民も、自分達への檄と受け止める時期ではないでしょうか。

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【シンディ、さよならは言わないで下さい。
 アメリカは、犯罪者や盗賊ではなく、あなたを必要としています】

"Cindy: Do not say good-bye
The U.S. needs you, not the criminals and thieves"
http://www.ifcongress.com/English/Letters/to-cindy.htm

 親愛なるシンディ

 私は、あなたが運動から退きイラクの戦争と占領に反対する戦いの舞台から降りると宣言した声明を読みました。

 私達は2度お会いしましたね。最初は2006年5月ワシントンで行われた「Eyes Wide Open(目を開け)」の期間中に、2回目は2007年(訳注:2006年の誤記と思われる)12月USLAW(アメリカ反戦労働者の会)のデモで。どちらの機会でも、私達は互いに支援し励ましあい、アメリカとイラクであなたたちやそれに続く何万人もの母親達の悲劇を繰り返させないため、アメリカとイラクで人道をかかげてたたかい続けようと誓い合いました。今この時期に撤退してしまえば、米政権や血塗られた企業どもがこのたたかいに勝利することになります。今米政権は、あなた方の国の反戦運動の打撃に苦しんでいます。そして、あなたは、運動のリーダーのひとりとして異彩を放ち象徴にもなっているのです。アメリカ合衆国だけでなく、イラクや世界中の人々に利益をもたらす勝利を目指すたたかいから、どうして今手を引くと宣言できるのでしょう。

 親愛なるシンディ。イラクの私達を思い出してください。私達だけで何ができるというのでしょう。占領軍は毎日何百もの犯罪行為を犯しています。彼らの意に沿わなければ、逮捕、拷問、無差別殺人、破壊、放火、強姦、そして強盗や盗賊が野放しになっています。あなたの息子ケーシーと同じくらいの年頃の若者が何十人も拉致される私達の気持ちを察してください。占領軍が子ども達の目から微笑みや喜びを盗み取り、何百万もの家族が難民にさせられることをなんと言ったらいいでしょう。彼らが私たちから毎日希望を奪い去っていることは?占領軍がもたらすこれらあらゆる災厄と困難さにもかかわらず、占領を終わらせるまで私達はたたかい続けることを決意しました。一緒に出席したコンファレンスで私が指摘したとおり、戦火が広がりそこらじゅうを破壊するのを安全な場所から見おろすのか、それとも、イラクとアメリカ合衆国で人道を守るたたかいを続けるのか、私達に選択の余地はありません。

 親愛なるシンディ・シーハン。私達の前線はひとつ、敵もひとつです。そして私達は同じ運命を共有しています。犯罪者や盗賊に屈服させられてはいけません。手に手をとり、肩を組んで、たたかい続けましょう。アメリカ合衆国にはあなたが必要です。あなたが声明で触れていた通り、アメリカが自然に変わることはありません。市民の努力と反戦運動の拡大によってのみ、アメリカは変わるのです。

 ブッシュ、ディック・チェイニー、そしてライスが政権を握っているかぎり、大量殺人と野蛮な行為がやむことはありません。

 彼らを引き摺り下ろして、あなたがずっと好きだったアメリカを取り戻すために、ともに頑張りましょう。

 イラク自由会議議長
 サミール・アディル
 2007年5月30日

(仮訳 どすのメッキー 14 June 2007)
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 「Eyes Wide Open」では、ワシントンの連邦議会前広場でイラク人犠牲者の靴と犠牲米兵の軍靴をならべて、静かですが強烈にイマジネーションを刺激する反戦アピールが行われました。その時点で、イラク市民犠牲は推定10万人以上、米兵の死者は2432人にのぼっていました。イベントを呼びかけたのは、米フレンズ奉仕委員会、声をあげる軍人家族の会、反戦イラク退役軍人会、ピースフルトゥモローズ(911犠牲者の会)、そしてイラク自由会議でした。来米したサミエル・アディル氏は「米の無実の人びとがかり出され、イラクの無実の人びとを殺している」「どの様な事情であれ、愛する息子を失った世界の母親の苦しみに違いはありません」と訴えました。

 その模様は、マブイ・シネコープ制作のDVD

『手をつなぐ人々~イラク・アメリカの闘いをひとつに~』
 http://homepage2.nifty.com/cine-mabui/video_reji3.htm

で見ることができます。

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2007/06/09

シンディ・シーハン「私達はもっと強くなって戻ってきます」

 ラジオの放送からずい分たってからですが、赤旗6月6日の外信頁に小さな囲みで、シンディがいつかもっと強くなって戻ってくる、と米PBSラジオのインタビューで語ったという記事が掲載されました。

 果たして、そのインタビューは、シンディの複雑な胸中を整理して私達に伝えてくれるだけでなく、全身全霊を傾けて、ベトナム反戦以来の大きなうねりを作り出した彼女に対するあたたかさに満ちた、とても心地よいものでした。

 PBSラジオのサイトにテキストが書き起こされていましたので、全文を訳出してみました。ぜひお読みください。

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【私達はもっと強くなって戻ってきます】
(米PBSラジオのインタビューの記録)
"We'll Come Back Stronger" (1 June 2007)
 http://www.pbs.org/now/news/322.html

■DAVID BRANCACCIO(以下"BRANCACCIO"):
 反戦運動から退くと発表したばかりのシンディ・シーハンさんにお会いしています。シーハンさんは、2005年、テキサスのブッシュ大統領の農場の外で野営を続けた女性として知られています。シーハンさんは、技術兵だった息子のケーシー・シーハンさんが、バグダッドで待ち伏せ攻撃を受け殺されたことについて大統領に会って話をしたいと要求しました。

 そのときから彼女はアメリカだけでなく世界中の反戦運動で、最も認められ、ときには論議を巻き起こす顔になりました。でも、今彼女はもうたくさんだと言っています。ようこそ、シンディ・シーハン。

□CINDY SHEEHAN(以下"SHEEHAN"):
 ありがとう。

■BRANCACCIO:
 あなたは、反戦運動に没頭していました。でもつい先ごろもう辞めると言いました。何があったのですか?

□SHEEHAN:
 没頭していたという言い方さえ控えめな表現かもしれないと思います。私は命を消耗してしまいました。毎日24時間私は追い立てられていました。そう、知っているでしょう、先週民主党がジョージ・ブッシュに無条件で彼の戦争を続けるための戦費法案に賛成し、ブッシュがまた何でもできるようにしてしまった【訳注1】後、私は感じました。それで、私は民主党にうんざりして、すべての関係を断ったのです。

 そして、私は、なぜ私が民主党を離党するのか伝えようと、議会に、議会の民主党に手紙を書きました。その時、私は自分がこれまで時間を無駄にしてきたと気付き、非常にがっかりしたのです。そうした途端、私は攻撃され始めました。知ってのとおり、右や左から攻撃されることは、私にとって初めてのことではありませんでした。でも、いいですか、左派の人たちが、右派の人が言うような呼び方をし始めたとき、思ったのです。「家に帰ろう」と。

 もうひとつのきっかけは、上の娘から電話をもらったことです。戦没者追悼記念日で娘も墓地に来てケーシーの墓に花を手向けていました。娘はすっかり動転していました。それを見て「家に帰って子どもと一緒にいるべきだ」と思ったのです。でも、これは思い付きではありません。去年の夏、健康を損ねて危うく死にかけたときから、ずっと考え続けてきた結果なのです。

■BRANCACCIO:
 あなたは、あなたの批判をブッシュ政権に向けさせようとする左派の圧力を感じているように見えますね。そして、今ワシントンで影響力のある民主党議員に関して何か言おうとしたら、ある意味キャンプから押し出されてしまいました。

□SHEEHAN:
 おっしゃる通りです。私の行動、主義、目標、使命は、とても一貫していたと思います。今民主党に対する努力は徒労に終わったようです。そうは言っても、私が共和党員と一緒に活動を続けられるわけがありません。彼らはもはや政治の実権を握っていません。政治を動かす力があるのは民主党です。ですから、民主党が、私達の行動を向ける対象なのです。

■BRANCACCIO:
 さっき、あなたは「努力は徒労だった」と言われました。先週の投票がイラク戦争の資金を供給し続けるかどうかを決めるきわめて重要であり、しかも、投票結果があなたの意向に沿わなかったことは分かります。でも、あなたが公然と抵抗を始めた時、私が見たある投票では戦争に反対する米市民は55%でした。最近の調査ではそれが72%になっています。つまり、あなたの立場から見ても、あなたの努力は決して無駄ではなかったと思うのですが。

□SHEEHAN:
 アメリカ社会の前面に痛みや苦しみを真正面からとりあげ、これらの戦争の代償を知らせるために、私達の行動はとても効果的でした。全国民的な舞台で彼らが生きてきた証を披露するのにも効果的でした。そうです。私の使命や行動はレンガの壁に届いたのです。
 そして、良かったことは、ブッシュの弱点を暴きだしたことです。そして、私は思うのですが、私達はそれを暴いただけでなく、できる限り宣伝しました。ジョージ・ブッシュの支持率は歴代大統領で最低になったのですからね。ええ。私がとても落胆したのは、ブッシュが国民の支持を受けていないからこそなのです。ブッシュ政権が不正のためボロボロに崩れかかっているのに、民主党は大統領にもっと意味のある法案を送ることがきなかったのです。それを拒否したらよかったのに。ひとりひとりが「派兵を支持しない」という言葉を引用して。でも、民主党は愚かな法案を可決させ大統領に送りました。この時、彼らはこの戦争を買ったのです。この戦争を承認したのです。

■BRANCACCIO:
 しかしながら、私はあなたにお聞きしたい。多くの人が、戦争を始めた理由に怒っており、戦争は間違いだったと考えています。しかし一方では、同じ人たちが、恐ろしい状況が更に悪くなるのを防ぐため、アメリカ軍は長期間にわたり駐留し続けるべきだと感じているのです。

□SHEEHAN:
 その人たちに尋ねたい。私達は、これ以上いつまでイラクと言う国を悪くさせるつもりなのかと。状況は毎日のように悪化しているのです。どんなに多くの軍隊をそこにつぎ込んでも、状況はますます悪くなります。そうでしょう?「ああ。どうにもならない」と人々が言い出す前に、何をしなければならないのでしょう。ベトナム戦争のときのように、10年も15年も戦争を続けなければならないのでしょうか。アメリカの兵士の命を6万人も失わなければならないのでしょうか。イラクという国を滅ぼしてしまわないと、私達は「この占領は失敗なのか」と気付かないのでしょうか。

■BRANCACCIO:
 あなたは、あなたに対する批判の多くが個人攻撃に終始していたことにまだ怒っていますか?あなたの率直さが軍に損害をもたらしたという人もいました。あなたが息子の死を宣伝しているとまで言い出す人もいました。それらに怒りを覚えますか?そういう人に何と反論したいですか?

□SHEEHAN:
 右派に批判されるのは予想できたことでした。私は全然傷つきはしませんでした。実際、私はそれを跳ね返してきたし、そう、楽しんでさえいましたね。

 TVでお馴染みのビル・オライリー【訳注2】が好きな人は、私がジョージ・ソロス【訳注3】から大金の支援を受けていると言います。ええ。オライリーは、私が大金で動かされているので、どうやって摘発しなければならないかについて話していたんですよ。私は、私のアシスタントを見て言ったんです。「とんでもない。ティファニー。ジョージ・ソロスに電話して、どこにそんな小切手があるのか見つけられる?」

■BRANCACCIO:
 噂のジョージ・ソロスから小切手を受け取ったことはありますか?

□SHEEHAN:
 ジョージ・ソロスからどんな支援も受けたことはありません。間違いありません。

■BRANCACCIO:
 右派からのそうした批判は跳ね返したとおっしゃいました。でも、それ以外のある種の批判には傷ついたそうですね。

□SHEEHAN:
 誰が言ったかに関係なく、私が悪い母親だという種類の批判がそうです。それは、お分かりと思いますが、私にとって多分いちばん辛いものでした。それを聞いた上の娘が、あるとき、私を呼びました。そして、こう言ってくれたのです。「ママ。あなたの子ども3人は皆んなママが大好きよ。ママは悪くなんかないわ。私達はかけがえのない大切な家族なんだもの」

■BRANCACCIO:
 あなたはまた、進歩的な反戦運動の中で、あなたが見たようにエゴがいかに露になっているかに失望したと述べていました。これは、どういうことですか?

□SHEEHAN:
 ええ。平和運動のほんの一部なのですが、私は本当は大金で経済的に支援されており、息子の死のおかげで贅沢三昧をしている、というような考え方をする人もいたのです。おそらく、私が注目をすべて集めてしまっている考えて、非常に嫉妬し、そういう宣伝を買って出るような人が左派にもいたのだと思います。中傷、嘘、それから、私について根も葉もないことを本に書く人もいました。そして死の恐怖。それは骨の折れる毎日でした。

■BRANCACCIO:
 あなたが、息子さんの死に対して支払われたアメリカ政府の補償金を投じてテキサス、クロフォードの土地を買い取り、抗議をあげる基礎をつくったのはとても有名です。今後もその土地は所有されるのですか。

□SHEEHAN:
 ああ。私はまだキャンプ・ケーシーを所有していますが、売却先を探しています。

■BRANCACCIO:
 本当ですか?もう手放してしまうと?

□SHEEHAN:
 キャンプ・ケーシーの役目は終わったと考えています。ジョージ・ブッシュは間もなく引っ越してしまうでしょう。

■BRANCACCIO:
 私は仕事でいつもアメリカじゅうを旅して、あなたのことについて、人々と語り合ってきました。あなたは時々率直に怒りをあらわします。そして、悲惨にもイラクで息子をなくした女性、信じるもののためにたたかい続けるといった女性、そう、シンディ・シーハン、あなたに心から励まされたと感じている大勢の人たちと話をしてきました。彼らはあなたに答えて欲しいと思っています。もうあなたの声を聞くことはできないのですか?シンディ・シーハンは、本当にアメリカを見限ってしまうのですか?と。

□SHEEHAN:
 玄関の揺り椅子に座っている私なんて想像もできません。私達はいったん手を引きますが、再び人を集め、より良い方法を考え、ここに戻ってくるでしょう。また、私が行ったことが人々を勇気付けることができたなら、嬉しいです。これが、もっと平和運動にかかわる人たちや、これから関わる人たちにエネルギーを与えられることを願っています。もうお分かりでしょう。私達はきっと戻ってきます。しばらく休息をとって、体をいたわってきたら、もっと強くなって戻ってこれると思います。

■BRANCACCIO:
 実際の政治の世界で何が起きることを期待しますか?あなたの努力がどんな結果に結びついて欲しいですか?

□SHEEHAN:
私は、アメリカが、市民ではなく企業に政治が支配される社会(corporately controlled goverment)【訳注4】にずるずる引き込まれている事実を、人々が納得してほしいと思います。アメリカの人たちが、国を私達に取り戻すために立ち上がらなければ、私達は永遠にそれを失ってしまうでしょう。

■BRANCACCIO:
 シンディ・シーハン。ありがとう。お疲れ様でした。

□SHEEHAN:
 ありがとう。ダビッド。あなたと話ができてよかった。

■BRANCACCIO:
 シンディ・シーハンについてもっと知りたい方は、私達のウェブサイト「PBS.org/NOW」に立ち寄ってください。

 http://www.pbs.org/now/news/322.html

私達の対話についてコメントを送ることもできます。この番組はKarin Kampがプロデュースしました。きいてくれてありがとうございました。David Brancaccioでした。

【訳注】
1.アフガニスタンも含めて合計1000億ドルに近いイラク戦費法案は、下院で280票対142票、上院では80票対14票で可決され、5月25日に成立。民主党が主張していた撤退期限は盛り込まれなかった。
2.米FOXテレビの著名キャスター。
3.ハンガリー生まれのユダヤ人投機家で巨額の資産家。自由主義的な政治運動家としても知られ、ポーランド自主労組「連帯」や、米国では反ブッシュ陣営を支援したと言われている。
4."corporately controlled goverment"の解釈については、シンディがそのたたかいの中で戦争マシンを走らせる根源がグローバル資本主義であるとの認識を深めていること、及び同様の表現がされている記事を参考に多少意訳した。いわゆる「コーポラティズム」の意味ではないと思われる。

(仮訳 どすのメッキー 8 July 2007)

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 前回訳出したシンディの「引退」宣言文を読むと、これまでのたたかいがいかに過酷で、かつ先月25日の採決に絶望したかが、痛々しいくらいでしたが、驚くべきことに、それでもシンディはまだ絶望しきっていなかったのです。

 民主党も戦費法案に撤退期限を明記させることはできませんでしたが、インタビュアーのDAVID BRANCACCIO氏が賞賛しているように、この間、イラク戦争に反対する人は55%から72%(!)にまで増えました。これは、イラク戦争の泥沼が報道されただけで自然と達成できる数字ではありません。兵士や家族、そしてイラクの人々の「痛みや苦しみを真正面からとりあげ、これらの戦争の代償」をシンディや、心ある民主党の議員達が主体的に伝えてきたからこそ、全国民的なコンセンサスが得られたのだと思います。

 ブッシュが再選した時、日本の平和運動に参加する市民の間で、アメリカの良識に失望したというような声が聞かれました。しかし、あわや、までブッシュを追い詰めるのに、どれだけの努力があったのかに言及する意見は稀でした。

 それまで政治的なことにはかかわりのなかった人まで、知り合いに電話をかけ、家を一軒一軒訪ね歩いたこと、その上で、ブッシュ再選を心底悔しがっている姿に私は心を動かされました。マイケル・ムーア監督は選挙後「リストカットするにはまだ早い」というコメントを発表しましたが、これは空虚な強がりではありませんでした。

 目新しさだけでは広範な層の支持を集めることはできません。ブッシュを追い詰めた運動は、パトリオット法などの攻撃にもひるまない、これまでの地道な活動の歴史があってこそ達成できたものだと思います。私達は、それに学ばなくてはいけません。

 米市民の運動の到達点については、マブイ・シネコープの木村修さんが、詳細に報告されています。インタビュー記事とあわせて、是非お読みください。

【シンディ・シーハン『引退表明』に思う(2)
―彼女の足跡を確かめ、到達点を共有するためにー】
 http://www.labornetjp.org/news/2007/1181361001989staff01/view

 また、この機会にシンディの歩みを振り返りたい方には、邦訳で手に入りやすい本として

【わたしの息子はなぜイラクで死んだのですか】
(レオン・スミス編著、上田勢子訳、大月書店)
 http://tinyurl.com/35qax6

や、マブイ・シネコープ
 http://homepage2.nifty.com/cine-mabui/

発行のDVD(シンディの肉声入りの動画はここでしか手に入りません)をご参照ください。

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2007/06/02

さようなら、アメリカ。 シンディ・シーハーン「引退」メッセージ全文

 シンディ・シーハーンの「引退」メッセージの仮訳が出来ましたのでご紹介します。尊敬するシンディの意図を誤解させることがないように気をつけた積もりですが、文章に関する責任はすべて私にあります。とはいえ、率直なこのメッセージは多くの示唆を投げかけており、'========'で囲んだ部分をクレジットも含めて全文転送・転載を条件に広めていただければありがたいです。

 シンディは「引退」するとは言っていない、という意見も聞かれます。メッセージ後半で、シンディは確かに「これはアメリカの反戦運動の『顔』としての私の辞職願です。古き良きアメリカ合衆国と言う帝国に傷つけられている世界中の人々を支援するのをこれからもやめるつもりはありません」と言っています。しかし、同時に彼女は、この2年間の活動で、肉体的にも精神的にもわたし達が知る以上に傷ついていることを切々と訴えており、そうした活動からいったん離れて自分自身や家族との生活を取り戻したいとはっきり宣言しています。彼女とともにたたかってきたCODEPINK、TRUE MAJORITY、TROOP OUT NOWなどのグループが彼女のリタイヤを尊重していることからも、わたしは彼女が「引退しない」と言い切ってしまうのには抵抗があります。

 もちろん、彼女ほどの人がこれを機に、社会的な視点を失ってしまうことはありえないでしょう。しかし、それと表立った活動を継続するかどうかは別の問題です。

 CODEPINKの声明にあるように、彼女はプロの活動家ではなく、まず息子を失った一人の母親として尊重されるべきであり、わたし達は、彼女の活動継続を期待する前に、彼女をそこまで葛藤させたものが何であったのか。それは日本の政治状況や運動と無縁なものなのかどうか、それを検証する必要があると思うのです。これまでの力強いメッセージとはまるで違う今回のメッセージを読んで、私は何度も胸がつかえて作業がとまりそうになりました。シンディの実績と心情を察する時「Attention Whore」という言葉をどう訳そうか最後まで迷いましたが、一般的な意味に訳出しました。

 思いおこせば、ひとりアフガン攻撃に反対したバーバラ・リーも同じような、あるいはそれ以上の中傷と生命の危険に晒されました。それからアメリカは変わったと思っていましたが、やはり人間の社会において、どろどろした動かしがたいものが短期間で払拭されるなどということはなかったのです。

 バーバラ・リーやシンディ・シ-ハーンの葛藤は、平和を真剣に目指し行動を起こしている方々なら、おそらく大なり小なり経験し、共感することなのではないでしょうか。もちろん、運動家はそれに耐えることを求められますが、人間的感性を犠牲にしてまで耐え続けることは、かえって運動を形骸化させてしまうことにもつながりかねません。

 一方で、マブイ・シネコープの木村さんが指摘されている

■シンディ・シーハンさんの「引退表明」に思う
 http://www.labornetjp.org/news/2007/1180598666334staff01

 ように、この引退宣言を持って、これまでの運動の成果を清算してしまわないよう、経過を冷静に見る必要があります。シンディは民主党の党利党略的な動きに失望して離党しましたが、イラク撤退に関して、議会で民主党が粘り強い動きをし、ブッシュ政権を確実に追い詰めていることもまた、事実なのです。

 これについては、改めて論じたいと思います。

 また、シンディは、2大政党制という「システム」の弊害、政治家個々人の力量ではなくそれがシステムとして取りこぼしてしまうものの大きさを、繰り返し強調しています。2大政党制が理想だと宣伝される日本のわたし達にとってこれは教訓とすべき指摘だと思います。

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【お詫びと訂正】(2007.6.4)

6月2日付の仮訳に以下2箇所誤りがありましたので、お詫びして訂正したします。
(※大意には影響ありませんが、すみませんもう1箇所ありました)
ご転送いただいた方々には恐縮ですが、追って訂正をご紹介いただければ幸いです。

1.(最初から第4段落目)
(誤)「平和と人間の死に関する問題は、『右か左か』ではなく、『善か悪か』の問題です」
(正)「平和と人間の理不尽な死に関する問題は、『右か左か』ではなく、『善か悪か』の問題です」

2.(最後から3段落目)
(誤)「このシステムは支援するのに抵抗が強すぎて、活動に加わる人を消耗させてしまうからです。」
(正)「このシステムから支援を受けるには抵抗が強すぎて、活動に加わる人を消耗させてしまうからです。」

3.(最初から6段落目)
(誤)私は結婚29年目の年を犠牲にし、ケーシーの兄弟や姉妹から離れて長い間旅をしてきました。
(正)私は29年間の結婚生活を犠牲にし、ケーシーの兄弟や姉妹から離れて長い間旅をしてきました。

※以下の訳文は既に訂正済みのものです。
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 (原文) http://www.afterdowningstreet.org/?q=node/23018

 ケーシーが殺されてから、私はたくさんの中傷や憎悪に耐えてきました。とくに私がアメリカの反戦運動の「顔」と呼ばれるようになってから。特に私が民主党に残していた結びつきをすべて放棄してからは、民主党の地下組織としての「リベラル・ブログ」から一層非難されました。「目立つ売春婦」と呼ばれたり「厄介払い」と言われたりするのはまだましなほうでした。

 戦没者追悼記念日のこの朝、私は胸が引き裂かれる思いで決心しました。それは、思い付きではなく、私がこの1年間考え抜いたことです。ゆっくりそしてやむなく行き着いた結論は私にとって辛すぎるものです。

 最初の結論は、私が左翼と呼ばれる人の人気者だったのは、ジョージ・ブッシュと共和党に抗議する範囲においてだけだったということです。当然、私は右派の人から民主党の「道具」とののしられ中傷されました。こうしたレッテル貼りは、私と私のメッセージを隅に追いやってしまいました。でも、この国の「二大政党制」に縛られずに、ひとりの女性がどうやって自分自身の考えを持ち行動できるというのでしょう。

 しかしながら、私が共和党にしていたのと同じ基準で民主党の責任を追及しはじめたとき、私の主張に対する支持は減っていき、「左翼」は右翼がそうしたのと同じように私にレッテルを貼り中傷し始めたのです。「平和と人間の理不尽な死に関する問題は、『右か左か』ではなく、『善か悪か』の問題です」と私は言いましたが、誰も耳を傾けてくれなかったと思います。

 私はラジカルだと言われます。共和党と同じく民主党からも支持された虚偽に基づく戦争で何十万もの人々が死んでいる時、派閥政治はわきに置くべきだと確信しているからです。驚くことに、相手の政党に対して、問題に鋭く切り込みレーザー光線のように正確に嘘、言い訳やご都合主義を見抜ける人々が、いざ自分の政党になると頑なにそれを認めないのです。どちらの政党であれ、盲目的に支持し続けるのは危険です。ジョークですが、世界の人達は、私達アメリカ人をこう見ています。あまりに広い殺人の裁量権を政治指導者に与えているので、腐敗した「2」大政党制に替わるシステムを私達が見つけなければ、代表民主制は死に絶え、チェックも均衡も決してはたらかない社会、ファシストが統治する荒野へと急速に転落していくだろう、と。人を見るとき、政党に加入しているかどうかとか、国籍がどこかとかを気にせずその人の心と向き合おうとするので、私は悪魔にしたてられています。共和党員のようにものを見、飾り立て、行動し、話し、投票している人が、自分自身を民主党員だと名乗るだけで支持を受けるにに値するでしょうか。

 私がたどり着いたもうひとつの結論は、私がすべきことをしようとするなら、私は事実自分自身を危うくするのを避けられない、ということです。私は「目立つ売春婦」なのですから。私は、平和も正義も求めない国にそれをもたらそうと、私が持っているものはすべて投げ打ちました。平和と正義を個人が望んでも、普通は、抗議の行進に加わるかパソコンのかげに座って批評を言い合うこと以上はしません。私は、息子が殺されたとき「慈悲深い」国がくれたお金すべてと、スピーチや出版の報酬として受け取ったお金すべてを使いました。私は29年間の結婚生活を犠牲にし、ケーシーの兄弟や姉妹から離れて長い間旅をしてきました。また、健康を損ね、命を落としかけた昨年の夏以来私の治療費は増え続けています。この国がつみもない人たちを殺戮するのを止めるために、すべての精力を使い切ったからです。私は、小さな心がおよそ思いつくあらゆる卑劣な呼び方で呼ばれ、何度も生命を脅かされました。

 しかし、今朝私が悟った結論でもっとも打ちひしがれるのは、ケーシーがまさに無駄死にだったことです。ケーシーは、彼が愛した家族から遠く離れた国で、彼自身が恩恵を受けている国、同時に私達の考えまでもコントロールする戦争マシーンに走らされている国によって殺され、かけがえのない血を流しました。私は、ケーシーが死んでから、彼の犠牲を意味のあるものにするためにあらゆる努力をしました。ケーシーは、民主党と共和党が人の生命で政治的駆け引きをしている次の数か月の間にもどれだけ多くの人が殺されるかということより、誰がアメリカの次のアイドルになるかに関心の高い国のために死にました。私がそのシステムを長年受け入れて、ケーシーが自ら代償を払って忠誠を示したことを知るのは、私にとってあまりに苦しいことです。私は息子を見殺しにしてしまいました。これ以上辛いことはありません。

 私はまた、平和や人間の命よりも個人のエゴが優先されるような平和運動の中で活動しようとしてきました。あるグループは別のグループとは一緒に活動しようとしません。彼女が行くなら彼はそのイベントに参加しない、とか、何故シンディ・シーハーンばかりがいつも注目されるのか、とか。平和運動と呼ばれながらあまりに多くに分かれてしまったなかで活動するのは困難です。

 私達の国の勇敢な若者達やイラクの女性達は、彼らを破壊のチェス盤のボーンのように彼らをぐるぐる動かす臆病な指導者によって、無期限に棄てられました。イラクの人々は死と選挙によって更に悩まされた災厄を押し付けられてきました。それでも、5年、10年、15年もすれば、わたし達の兵士達は別の惨めな敗北に足を引きずりながら家に帰ってくるでしょう。そして、10年、20年たって私達の子どもの子ども達は愛する人々が何の意味もなく死んでいくのを見ることになるでしょう。彼らの祖父母達がこの腐敗したシステムを受け入れた結果として。ジョージ・ブッシュが弾劾されることはないでしょう。なぜなら、民主党が彼を深く追求しすぎると自ら墓穴を掘ることになりかねないからです。こうして、このシステムは自ら永遠に存続し続けるでしょう。

 私は、まだ残っているものすべてを持って家に帰ります。家に帰ったら、生き残っている子ども達の母親になり、私が失ったものを取り戻すつもりです。私は、ケーシーが死んだ時強いられた旅で出会った前向きな関係を大切に育てたい、そして、残念ながら動かしがたく硬直して偽りの大理石に刻みつけられた現在のパラダイムを変えようと一途に取り組んだこの改革運動を始めて以来バラバラになってしまったものを、私は元に戻したいのです。

 キャンプ・ケーシーは役目を終えました。今売却先を探しています。テキサス州クロフォードの美しい5エーカーの土地を欲しい方はいませんか?適切な申し出にはご相談に乗ります。ジョージ・ブッシュももうすぐその地を去るだろうと聞きました。そうなればもっと居心地の良い場所になります。

 これはアメリカの反戦運動の「顔」としての私の辞職願です。古き良きアメリカ合衆国と言う帝国に傷つけられている世界中の人々を支援するのをこれからもやめるつもりはありません。だから、これは私の「挫折」の瞬間ではありません。けれども私は運動の内部で活動するのを終わりにします。と言うよりはこのシステムの外に出ます。このシステムから支援を受けるには抵抗が強すぎて、活動に加わる人を消耗させてしまうからです。私や私の大切な人々がすっかり消耗し、万策尽きてしまう前に、私はシステムの外に出ようと思うのです。

 さようなら、アメリカ。あなたは私の愛する国ではありません。そして、結局、わたしがどんなに犠牲になっても、あなたがそう望まない限りそういう国にはならないことが分かりました。

 今、それはあなたにかかっているのです。

 シンディ・シーハーン
 (28 May 2007)

※仮訳 どすのメッキー(最終訂正版 4 June 2007)
    mekkie@nifty.ne.jp
※これはあくまで仮訳です。つたない訳が、尊敬するシンディの真の意図を誤って伝えてしまうことがあるかもしれません。是非原文
 http://www.afterdowningstreet.org/?q=node/23018
もご参照下さい。文章の責任はすべてどすのメッキーにあります。

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