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2006/12/31

何もはじまらないし 何もおわらない ~ フセイン元大統領の死刑執行がもたらすもの

 30日間どころか、議論が起こるのを抑え込む様に、控訴棄却後わずか4日で刑が執行されました。処刑場に連行されたフセイン元大統領は、手錠をかけられた手に聖典コーランを携え、「このコーランをある男に渡してほしい。バンダルという男だ」と話したといわれますが、イスラム教への信仰告白も途中で中断され、シーア派の怒号が渦巻く中、刑が執行されました。イスラムについて私はじゅうぶんな知識があるわけではありませんが、神の前には等しく平等な教徒同士で、もう逃げる手段も意志もない相手に信仰の告白さえ認めず刑を急いだ、ということに戦慄を覚えました。

 イラク高等法廷(IST)の不公正さと、死刑制度反対の立場から性急な執行を控えるよう要求していた公式監視団体アムネスティ・インターナショナルは、すぐに遺憾の意を表明しました。ドイツやフランスは、判決の是非については言及せず、死刑そのものに反対するにとどまっていますが、ロシア外務省のカムイニン情報局長は政情悪化や民族対立の先鋭化を招く恐れがあると批判し、イラクが「大規模内戦のふち」に立っており、「暴力の中に沈み、大規模な内戦のふちに直面しつつある」と警告しました。さらに、パキスタンで米国国旗を燃やす抗議行動が起こるなど、イスラム教国の中に新たな対立の火種が起こったのは間違いありません。

 フセイン元大統領の信仰告白は中断されてしまいましたが、彼の残した最後の正式声明といえる獄中書簡の全文邦訳を、イラク情勢については国内で最も信頼できるURUKニュースが提供しています。これも、米国メディア中心に恣意的な部分引用がされているようですから、先入観無しに全文に触れてみることおすすめします。

 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/uruknewsjapan2006/view/20061228/1167305775

 私が注目したのは、後半の「私はまた皆さんに私たちを攻撃した諸国の国民を憎むことなく、政策決定者と国民を区別することを呼びかける。/皆さんは、侵略国民の中にも侵略に反対する皆さんの戦いを支持する者がいること、そのなかのある者はサダム・フセインを含む拘束者の法的弁護活動を志願したを知っておくべきである。」という部分です。フセイン大統領が、イラク国内で何をしてきたか、米国の侵略の前にどのようなやりとりがあったのか、闇に葬られようとしていますが、戦争犯罪にかかわった日本の指導者が、この文章に匹敵する発言を行ったことがかつてあったでしょうか。

 もう4年前、米国のイラク侵略開始前に起こった地球規模の空前の反戦運動に対し、日本政府の中には、独裁者フセインに味方する利敵行為と中傷する人もいました。性急な刑執行に対しても、安倍首相は「イラクが安定した国となることを期待しており、国際社会と連携しつつ引き続き支援していく」と、きわめて無味乾燥なコメントを述べたきりです。米国の顔色を先読みすることしか能力のない日本の閣僚には、裁判の公正さも、今の内戦が何故起こったかの責任も考えられないのでしょう。

 わたしは、尊敬する知人達と、フセイン大統領宛に屈辱的な安保理決議1441を受諾するよう求めるメール行動を呼びかけたことを思い出します。1991年の湾岸戦争における米軍の戦争犯罪も、その後15年続いた経済制裁と食糧医薬品の禁輸処置で100万を超える生命が失われたことも、すべてフセイン元大統領の独裁の必然的帰結で済ませてしまう政府やメディアの宣伝に、あるいは、それに無関心でいる私たち自身の残酷さに、わたしは、人間として抑えきれない憤りを感じたのでした。

 イラクは、現在のあらゆる文明の揺籃地という輝かしい歴史を持ちながら、現代文明全体のエンジンである原油を大量に埋蔵するゆえに、近代史以後は列強に翻弄されつづけてきました。独立後の概略は、拙サイト「爆弾はいらない 子ども達に明日を」内のイラク年表

 http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/history.html

をご参照ください。米国や日本の政府、メディアは、ヒトラーさえ持ち出して、フセイン元大統領の悪魔的イメージを増長してきました。しかし、フセイン大統領が現れなかったら、ブッシュ大統領の言う「中東の民主化」は早期に達成できていたのでしょうか。とてもそうは思えません。原油価格は石油メジャーの言うままとなり、パレスチナの抵抗ももっと悲惨なものになっていたかもしれません。少なくとも、中東隋一の教育水準や女性の社会進出は実現できなかったでしょう。そして、フセイン政権下でもずっと残っていた子ども達の微笑を、2003年3月の侵略で、米英軍と、現在に至るまで一貫してそれを支持・支援する日本は奪い去ったのです。

 ISTは、米日の宣伝とは反対に、イラクがまだ完全に米国の支配下にあり、何としても自らの手で明らかにしなければならなかったフセイン時代の事実を明らかにする権限さえ、イラク国民には与えられていないことを皮肉にも証明しました。フセイン氏に寛容すぎるとの理由で裁判長が交代させられたり、マリキ首相が死刑判決の確定を待たずに「年内に執行されるべきだ」と主張したりしていたことを、何かイスラム社会に特有の宗派対立の結果だと考えてはならないと思います。宗教上の対立というのは、得てして別の目的の隠れ蓑になっています。米国の侵略がなければ、政府とシーア派との対立があったとはいえ、内戦に発展することはありませんでした。シーア派のマリキ首相はかつてフセイン政権時代に反体制活動で死刑を宣告され、亡命生活を送っていましたから、現時点でフセイン元大統領の死刑を性急に執行することが、国内にどういう地獄を現出させるか分かっているはずです。

 ブッシュ大統領は、最近イラクでの軍事的失敗を認めるようになりましたが、それでも軍を縮小撤退させることには頑なに反対しています。支持率の下落を補うように、今月はペルシャ湾に新たな攻撃部隊を増派し、この処刑でイラク侵略に対する世論の批判を封じ込めて、次はイランへと底なしの戦争拡大に突き進もうとし、日本の安倍首相もそれを支援するための法改正に着手しているように見えます。

 ISTは、イラク国内の問題を取り扱う法廷であり、そこでアメリカの戦争犯罪について云々せよという主張には無理があり、わたしは賛成できません。しかし、人権侵害の責任者が有無を言わさず処刑された一方で、2003年以後直接の犠牲者だけでも10万人以上、湾岸戦争以降の経済制裁を含めれば、未曾有の虐殺を率いた責任者がいまだに地球を我が物顔に弄んでいるのでは、不公平にも程があると考えるのが普通でしょう。

 その犯罪者のコメント「イラクの民主化において重要な節目」は現実には何処にも存在しません。何もはじまらないし、何もおわらない。その責任は、この戦争に加担した国の国民のひとりとして、今後も眼をそむけてはならないのです。

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2006/12/30

郷土愛と「愛国心」の遠さ ~ 反「愛国」的な安倍首相

 教育基本法「改正」案では国を愛する心と、郷土を愛する心を同列に並べていますが、わたしは違うと思います。

 郷土という言葉の対象は、自分が生まれ生活してきた気候風土や、具体的な人間関係など、当事者が特別な説明を受けなくても実感できるものです。その文化がその時点ですべて満足できるものでなくても、それらの多くは長い歴史の中で自然発生的に生まれ、そこに住む人の間で合意されてきたものですから、ひとりひとりのアイデンテティの一部になっています。そこを完全に捨てさらない限り、人々は郷土と折り合いをつけ、自分もその一部として郷土の改善に取り組むしかありません。私の住む北陸の雪は本当に厄介なものですが、しばらく他所で暮らして帰ってくると、面倒だと思いながらも懐かしさを感じる、そんな思いが郷土愛なのかもしれません。

 一方、国というものの実態は、だいぶ違います。国の政治が直接生活に影響を及ぼすとはいえ、わたし達は国を日常で実感することはありません。国に対して訴訟などの異議申し立てを起こすときは、当然国を意識しますが、それでも国全体を実感できるか、というと、そうではないと思います。国という大きな集団を破綻なく運営するには、技術上、様々な専門知識や権限の委託が必要であり、一人の人間が実感できる範囲を超えているからです。

 そもそも、国は、郷土の人間関係のように自然発生的な集団でもなければ、最初に定義があってそれを目指して作られているわけでもありません。時代によって国の役割も違いますし、そこで生活する普通の人と国との関係も違います。そのうえで、国を構成するできるだけ多くの人の利益を追求するためには、面倒でも、合意に向けた慎重で公平な議論が不可欠です。国を治める組織はそれを忠実に実現しなければなりません。ですから、国を正しく導くのは、本来的に理性と根気であって、感情ではありません。

 「国を愛する心」を子ども達の目標にすることは、全員の利益を実現するための模索と合意の努力を否定して、「一部の人間が愛する国」を議論なしに押し付ける言い訳にすぎません。

 よしんば、「国を愛する心」というのが美徳であったとしても、それは、国の行うことを無条件で支持することではないはずです。どの国の歴史も国民の間の様々な葛藤と対立のないものはありません。その歴史の中から何を選択して愛するのかが問題です。最近で言えば、何の根拠もなく始まったイラク侵略を支持したことも「愛する」べきなのか。日の丸や君が代という抽象的で合意のないものを「愛する」根拠はどこにあるのか。一方、その進歩性がGHQを驚かしたといわれる日本人の憲法研究会の憲法草案や、フィンランドが手本にして学力世界一を達成したこれまでの教育基本法や、1999年世界のNGOが集まって21世紀の目標とした憲法9条などの誇るべき宝をなぜ「愛する」ことができないのか。「国を愛する心」といっても、具体的に「愛する」項目は、とても恣意的で不公平なことが分かります。

 ひとりひとりの内心に踏み込んで何を「愛する」か決める権限は、誰にもありません。米国の哲学者サマヴィルの言葉は、愛国を叫ぶ安倍首相こそが、もっとも反「愛国」的であることを教えてくれます。

「自国に対する真の愛情は、国民から見て現在の政府が誤った道を歩んでいると見なされる時、また、その政府自体と国全体にまた自国を含む世界に対して大きな実害をおよぼすおそれのあると考えられるときには、国民がそれを正しい道に戻させ、その政策を変える努力をすることを求めるものである。(サマヴィル)」

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2006/12/29

フセイン元大統領死刑確定は「正義」ではない

 イラクのフセイン元大統領に対する死刑判決に対する控訴が26日、棄却されたことで、元大統領は30日以内に絞首刑で処刑されることが確定しました。米国政府は、スタンゼル米大統領副報道官を通じて、「独裁体制から法の支配への転換を目指すイラク国民の努力の重要な一里塚」などと評価しました。

 しかし、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ等、裁判の一部始終を見ている人権団体の批判が相次ぎ、しかもフセイン氏を処刑すれば、法の支配どころかイラク国内の宗派対立が激化するとも観測される中での控訴棄却は、イラク国民の要請というより、ベトナムを越える泥沼に解決を見出せないブッシュ政権の意向が働いた懸念を抱かざるを得ません。

 アムネスティの公式コメントを見ると、イラク高等法廷(SICT)の性格が良く分かります。

 昨年10月裁判の監視のためイラクに到着した時点で、アムネスティは「30年以上にわたって、サダム・フセイン政権下での大規模で甚大な人権侵害を記録し、これに対して行動を起こすよう国際社会に繰り返し働きかけてきた」団体として、公正な裁判への期待を述べていました。ところが、アムネスティの期待は初公判から裏切られることになります。フセイン氏は、拘束から1年間は弁護士との接見が禁じられた上、初公判も弁護士が同席しないまま行われました。そればかりか検閲がおこなわれた疑いが濃厚であり、裁判の公表も行われないのでは、「人権侵害の被害者に真の正義をもたらすためには、被疑者に対する公正な裁判が不可欠」とする原則とはあまりにかけ離れています。

 このような状態で、11月5日一審がフセイン氏を含む2名に死刑判決を下したことを、アムネスティは、「遺憾」というかなり厳しい言葉で非難しました。東・北アフリカ部のマルコム・スマート部長は、この裁判が「実に杜撰で、国際基準に合致するような公正な裁判を行なう能力があるかどうかについて、疑問が生じるような重大な欠陥」があり、「過去の犯罪に対する説明責任を公正な形で明確にする機会」が「失われ、死刑の導入によって状況はますます悪化した」と述べました。

 この裁判が政治的思惑からはなれて公正に行われることによって、イラクで行われた犯罪や社会的問題を明確にすることは、多くのイラク国民の願いだったでしょう。人間は事実を知り、それを正面から受け止めることによってしか未来を切り開けないからです。しかし、フセイン氏の証言が明るみに出ると一番困るのは、正義と民主主義を樹立するという一方的な「大義」を掲げて戦争を始めた米ブッシュ政権です。今ブッシュ政権が新たに侵略しようとしている国イランの宗教革命の波及を押さえ込むために、米国はかつて地歩を固めつつあったフセイン政権を軍事面で支援し、政治的には犯罪を看過してきたのです。

 死刑という制度が、犯罪の抑止に結びつかず、かえって暴力を繰り返す事態を生むことを、この裁判は象徴的に示していると思います。30日以内(28日CNNは一両日中という観測さえ報道しました)という近代の人権思想からは考えにくい短期執行は、米国の干渉の事実も、逆に戦争前のイラクの歴史や政治の建設的側面も一緒に葬り去ってしまいかねません。そして、同時に過去のフセイン政権の過ちの克服が、残酷な宗派戦争にすり替えられてしまうのを見るのは、とても辛いことです。

 このニュースを日本人はどうとらえているのでしょう。米国やそれに追従する日本の政治家のご都合主義で「公正」が汚され、そのために更に多くの犠牲が生まれようとしているのにあまりに無関心に思えます。最近は、被害者の人権という言葉がゆがんで独り歩きし、事実の検証に時間をかけるより、被疑者をさっさと処罰すればいい、という宣伝がされているようにも感じます。フセイン政権時代に行われたそういう「裁判」を、立場が変わったら正義の名の下に模倣するほど人間は愚かなのでしょうか。

 裁判は報復ではないし、報復は何ものも生みません。「人権侵害の被害者に真の正義をもたらすためには、被疑者に対する公正な裁判が不可欠」という立場は、困難であるけれども、あらゆる歴史の局面において一歩もひけない原則だと、私は信じます。

 そして、フセイン元大統領を葬って次はイランへと軍事介入を進めようとするブッシュ政権と、それに無批判に追従する安倍政権を、許すわけにはいかないのです。

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ブッシュと議会とハリバートンに「イランから手を引け」と言おう

 ブッシュ政権はここにきてイラン侵略の動きを具体化してきました。イラクでの失地回復を新たな戦争でカバーしようと無謀な賭けに出ているようにさえ見えます。

 今年2月にご紹介した米市民グループ「Stop War On Iran」から、この危機に対応して今日新しいメッセージが届きました。この数ヶ月が重要という認識は、インターナショナル・アクション・センターのR.クラーク氏が来年に向けた挨拶で強調していたことと一致します。

 以下、メッセージ全文仮訳しました。

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【ブッシュと議会とハリバートンに「イランから手を引け」と言おう】
Hands Off Iran! - Tell Bush, Congress, and Halliburton
 http://stopwaroniran.org/
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 私たちは、新たな戦争をとめるため、今すぐ行動しなければなりません。

 イラクでの戦争が4年も長引いている最中に、2003年に米国を戦争に導いたのと同じ政治家が、今度はイランの人々に対して新しい戦争を準備しています。

 またも「大量破壊兵器」の口実を使って、米国は可能な攻撃に備えその地域に戦力を動かしています。核空母アイゼンハウワーが率いる攻撃部隊が約800基のトマホークと爆撃艦隊とともに、ペルシャ湾に派遣されました。ステニスに率いられた第2波の空母機動部隊が、その後に続いています。ロンドン・テレグラフは、今春、「イランの核施設を米国が大規模に攻撃すれば、最悪1万人以上の人々が殺害され、中東戦争に発展するだろう」と報告しています。

 軍事力の展開に加えて米国は、12月23日国連安保理で、イランの人々の生命にかかわる技術と基金を停止することを目的とする制裁決議を通過させました。

 ワシントンの政治家がこの新しい戦争を止めることができないことを、わたし達は歴史から学んでいます。2002年、民主党、共和党どちらもイラクに戦争を仕掛けることに突き進み、その後も両党は戦争に対する資金投入に毎年賛成してきました。今また2大政党の政治家達は、イラクへ軍を増派すべきかどうか議論する一方で、イランに対して強硬な行動をとるよう声高になっています。

 この戦争を止めるのは民衆の力しかありません。そして、わたし達は、中東で新たに起ころうとしている野蛮な戦争を止めるため、あなたの支援を必要としています。

 来たる数ヶ月に「the Stop War on Iran campaign」は、戦争を止める運動をつくるために、会合や、演説会、討論会を組織します。わたし達はまた、1月17日とイラク侵略4周年にあたる3月17日に予定されている全国反戦行進を含む、反戦や進歩のための活動で使える「イランへの戦争を止める」プラカード、バナー、リーフレットを準備します。

 この数週間、そして数ヶ月にわたし達が何をするかが決定的に重要です。どうか、わたし達と一緒にブッシュの新しい戦争を止める運動をひろげてください。

■署名に加わってください。
 http://stopwaroniran.org/petition.shtml
オンラインの署名で、ブッシュ、チェイニー、ハリバートン、そして議会を「イランで戦争をするな!」というメッセージで溢れさせましょう。

■カンパのご協力もお願いします。
 http://stopwaroniran.org/donate.shtml

■お友達にこの取り組みを紹介してください。
 http://stopwaroniran.org/friend.shtml

■わたし達は、新しい戦争を止める運動を国じゅうにひろげるために、数万のボランティアを必要としています。
 http://stopwaroniran.org/updates.shtml

・イランから手を引け!
・制裁も戦争も反対!
・戦争でなく、国民の仕事や教育や健康のためにお金を使え!
・アメリカは中東から撤退せよ!

■最新情報は、「Stop War on Iran」のブログを見てください。
 http://stopwaroniran.blogspot.com/

*Stop War On Iran - 55 West 17th St, 5C, New York, NY 10011
 http://stopwaroniran.org

(以上仮訳 どすのメッキー、原文受信、仮訳共2006年12月29日)

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2006/12/23

世界で偉業を成し遂げるために国家が核兵器を保有する必要はない

 10年間の長期にわたって、米政権の干渉とたたかいながら国連事務総長をつとめたコフィ・アナン氏が今年いっぱいで退任します。

 国連事務総長は、水戸黄門ではなく、基本的に調整役ですから、総会や安保理がもめた時の鶴の一声を期待してはいけません。しかし、その膨大なステートメントの行間に、アナン氏の真意を汲み取ることはできます。

 最近は、核軍縮などに関して、記憶しておくべき発言が多くあります。その中で、日本の国連加盟50周年に向けた挨拶は、私たちに直接語りかけられたメッセージとして注目すべきでしょう。

 徳島新聞が19日付でいいコラムを書いています。

 http://www.topics.or.jp/Old_news/m061219.html

「『世界で偉業を成し遂げるために国家が核兵器を保有する必要はない』。今月末で退任するアナン国連事務総長が、日本の核保有論議にくぎを刺した。▼ … (中略) … ▼日本がもし平和憲法や非核三原則を手放せば、世界に誇るもののない、ただの小国になってしまう。軍国主義への反省から生まれた教育基本法を安易に変え、憲法まで変えかねない日本政府にとって、アナン氏の言葉は重い。」

 このアナン氏のメッセージは、国連のHPで公開されています。
【Secretary-General, marking japan’s 50th year of United Nations membership, voices hopes for its significant role in organization’s future reforms】
 http://www.un.org/News/Press/docs/2006/sgsm10806.doc.htm

 核心は徳島新聞のコラム子が取り上げた後半にあります。全文仮訳してみました。

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 以下は、昨日12月18日、日本の国連加盟50周年記念日に、東京の国連軍縮問題担当次官田中伸明氏に届けられたアナン事務総長のメッセージのテキストです。

 日本が国連加盟50周年を迎えた歴史的な記念日に、心からお祝いのご挨拶を送ります。日本は、地球全体の人間の進歩に貢献しながら、民主的で、活動的で繁栄する国へと顕著に変化するのを目のあたりにしてきました。

 1956年12月18日、日本を国連に迎えたとき、国連総会の議長は、「日本の市民は古来の文化を工業力を持つ現代文明に発展させました。そして、日本の市民はその結果、社会進歩と大きな自由の中で生きるよりよい基準を促進し、国際的な平和と安全の維持を進める重要な役割を果たすべき地位にいます」と述べました。

 これは、まさにその後の50年間で日本が達成したことです。日本にとって、国連中心主義が外交政策の基本原理となりました。国連の活動に関する日本の広範囲の支援は、社会的そして経済的開発に慢性的に挑戦し続ける組織の能力を高めました。人道主義に基づく救援に関する貢献は、地球規模の核軍縮を促進する長期にわたる努力、地球温暖化を防ぐ果敢な努力、そして国連の平和維持活動に対する強力でますます強まる努力とともに、目覚しいものがあります。こうした支援は、その寛大で安定した基金に勝ります。本当に、紛争防止と人権においてと同様、多国間主義、民主主義においても、日本は国際的に指導力を認められた擁護者なのです。

 未来を見据えると、国連での日本の貢献はまだ緒についたばかりだと、私は確信しています。私は、国連憲章の目標を早く達成するのに必要な効率と効果の水準を達成するのを保証するために、日本が国連組織の改革において将来重要な役割を果たすことを期待しています。世界で偉業を成し遂げるために、国家が核兵器を持つ必要はないのです。

 同時に、この50年間で国連自体もまた底知れぬ変化を経験しました。平和の取り組みを提案し、開発を促進し、すべての人間の尊厳を擁護する私たちの任務に変わりはありません。しかし、21世紀にその任務を達成するため、国連は新しい現実も受け入れなければなりません。

 私は、私が国連事務総長をつとめた10年間持ち続けた素晴らしいパートナーシップに関して、日本政府と日本の人々に感謝いたします。そして、来る将来に、皆さんが国連の更に重要な役割をすべて成功裡に担われますよう、願っております。(原文WEB公開2006.12.19、仮訳どすのメッキー 2006.12.22)

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2006/12/22

日本は戦後の平和主義に決別して歩き出す

 日本の多くのメディアが沈黙する一方で、海外メディアは、臨時国会で成立した教育基本法改定と防衛省設置法をどう評価しているのでしょう。

 21日付の赤旗によれば、英国フィナンシャル・タイムズは16、17日付の記事で「二つの法案は、日本の若者に大いに愛国心の感覚を教え込み、戦後の平和憲法によって無力化されてきた軍隊『正常化』させるという安倍首相の目的の中心にある」と指摘し、仏インターナショナル・ヘラルド・トリビューン16、17日付も、「日本の国会は、第二次大戦以来、初めて学校にたいし教室で愛国心を奨励するよう求めるため、教育基本法を改定したと書いています。」

 そして、もっと明確に法案の性格を報道しているのが、NYタイムズの15日付記事です。「Away From Postwar Pacifism」という見出しの言葉が重大です。以下、記事全文を仮訳してみました。

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【日本は戦後の平和主義に決別して歩き出す】
Japan Takes Steps Away From Postwar Pacifism
(by NORIMITSU ONISHI 15.Dec.2006 NY Times)
 http://tinyurl.com/yhrhnf

 日本は今日、戦後のタブーを二つ破った。愛国心を教育現場に再び持ち込み、自衛隊の地位と任務を大きくすることを国会が議決した。

 国会は、1947年の国の教育基本法(日本で戦前の愛国心の復活を防ぐためにアメリカの占領中に作成された)を改定した。新しい教育基本法は、「国を愛する心」「公共心」そして「伝統」に重点を置き、政府が学校を支配する指導力を強化する。

 参議院(安倍晋三首相の自由民主党が多数を占める)では、防衛庁を本格的な防衛省に昇格し、海外任務を自衛隊のおもな任務にする法律も可決した。衆議院は既に法案を可決している。

 安倍氏は、日本が民族的誇りを再建し、60年間続いた平和主義と沈黙の後に世界でより大きな役割を果たすよう強く主張する。だが、特に教育基本法で今取られている手法は、日本を戦後の理想から遠のかせ、1930年代の拡張主義の大日本帝国に漠然と範を取っている。

 野党が提出した安倍内閣への不信任動議にもかかわらず、法案は今日可決された。その動議は、水曜日に提出された、普通の有権者の考えを論じる場である「タウンミーティング」で、政府が長年当たり前のように八百長や小細工を行っていたという報告に促されたものだ。政府は、人々に密かに報酬を払い、ミーティングに出席して根回しされた質問をするか、教育基本法の改定を含む政府の方針を支持する発言をさせていた。

 下準備されたミーティングは、安倍氏の前任者小泉純一郎の任期中行われた。小泉氏の下での官房長官として安倍氏はタウンミーティングを組織した。また、彼はまた、彼の保守的な方針の柱として、平和憲法の改定も含め、教育基本法の改定を擁護した。

 日本の保守層は、1947年の教育法が公益に比べ個人の権利を偏重しすぎており、それが共同体の破壊から少年犯罪の増加まですべてに影響していると、長年主張している。

 日本中ですでに、保守的な政治家は教室に再び愛国心を持ち込もうと率先して努力してきた。東京の国家主義的な知事石原慎太郎は、学生が学校の式典で国歌を歌ったり国旗の前に立つのを強制しないという理由で、何百人もの教員を処罰した。他の学区では、学生の愛国心に等級付けさえし始めていた。

「教育基本法の精神に基づいて、私たちは、礼儀正しく、美しい国を造る教育の復活を推し進めます」と、安倍氏は声明で言った。

 安倍氏は、小泉の下で行われた政治経済改革を後退させたため、最近の数ヶ月で支持率が急落した。

 防衛庁に関連する新しい法律は、陸軍、海軍、空軍ではなく自衛隊と呼ばれる軍事力が、専守防衛の性格を持ち、厳しい交戦規則によって制限されるという要求を緩めるものではない。1954年にそれが創立されるやいなや、保守政治家は、政府機関の地位を省に昇格させようと考えたが、つい最近まで日本では、軍国主義を匂わせるいかなるものに対しても強い反感が残っていた。

 おもに省の地位の変化が象徴的だが、それは、軍が議会に法律を提案し、直接概算要求をすることを可能にする。そして、それは立法に関するいくつかの難問を解決するだろう。

「われわれは、単なる政府機関ではなく、政治と国防を議論できる省として他国に対処しなければならないだろう」と、来月には防衛相になる防衛庁長官久間章生はに本のレポーターに語った。

 省役人たちは、彼らが海外で配備され集団的自衛権を行使する、言い換えれば、必要があれば日本の同盟国を支援するための恒久法を要求することによって、自衛隊の役割を更に拡大していきたい、と示唆した。
(仮訳 byどすのメッキー 2006.12.21)

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2006/12/17

空気の中に秘められた音楽 ~ はじめてストリングラフィを聴いて

 昨日、福井子ども劇場の例会で、はじめてストリングラフィの演奏を聴きました。

 子ども劇場の例会は、いつも舞台の予備知識なしで参加しています。ネットで調べるのは簡単なのですが、体験前に知識を背負っていくと、自由に鑑賞できなくなってしまう気がするからです。

 ストリングラフィは、「20世紀最後に発見されたアコースティック楽器」と言われているそうです。両端に紙コップをつけた絹板を幾重にも張り巡らした外観は、そんなたいそうなものには見えません。ところが、演奏者がその絹糸に踊るように触れ始めると、想像もできなかったような大きな音が出るのです。音は弦楽器そのものなのですが、指の様々なコントロールによってひとつの楽器とは思えない多彩な音色が出ます。

 バスを奏でる最低音の糸の長さは15mにも達するので、演奏には広い場所が必要で、聴く者は、その楽器の中に身体をうずめて鑑賞することになります。今回の例会は、照明を落としたホールの楽器の部分だけにスポットをあてていましたので、聴く者も大きな楽器の一部になったかのような気分が一層高まりました。

 携帯オーディオ全盛の今、音楽も電子データの一部となり、ipodの窮屈なケースに閉じ込められている感があります。それにともなって、音楽は世界と交流する手段ではなく、自分を世界と遮断する手段に変質してしまいました。ストリングラフィが、その演奏や鑑賞に巨大な空間を必要とするのは、せせこましい現代にあって実に痛快です。

 五線譜が天にそのまま現れたような絹糸を前にした演奏者の姿は、楽器を演奏するというより、空気の中に隠れていた音を指先で拾い上げているように見えました。その動きは、パフォーマンスでもあるのだけれど、均一に糸を振動させるための合理的な動きでもあるのでしょう。自然は、いつも優雅な答を用意しているものです。

 作曲家であり、演奏者の水嶋一江さんは、山形県月山の麓の森で、森全体を大きな楽器にしたいとひらめいてこの楽器を発明したそうです。例会の様なホールもよいけれど、晴れた森の空気の中で、小鳥の囀りや風の音と共鳴しながら演奏するストリングラフイは、さぞ素敵だろうな、と思います。森はないけれど、アフガンの砂漠の中で、ストリングラフイを演奏している情景を私は思い浮かべました。米軍の侵略後、国土が荒れ果て伝統文化も回復しないまま、再び忘れられた場所になろうとしているアフガンの人たちの心をこの楽器の音色はきっと癒してくれるのではないだろうか、と。

 演奏するレパートリィの広さとそれぞれの表現力の豊かさも驚きました。私はアンコールの「カノン」が特に感銘を受けました。クラシックももっと聴いてみたいなあ。

 息子は、手作りのストリングラフィ入門セットを買って、早速家の中に糸をはって挑戦していました。音を出すのは難しくないのですが、さすがにきれいな音にするのは簡単ではありません。水嶋さんは、演奏に使う紙コップを使い捨てにせずに7年間も使っていると聞きました。(新庄選手のグラブみたい!)発見は一瞬でも、精進には時間がかかる、それもまたいい。

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2006/12/16

子どもたちへ ~ 愚劣極まりない教育基本法「改正」案成立から一夜明けて

 教育基本法「改正」案が15日参議院本会議で賛成多数で可決され成立しました。

 15日には全国から3000人を超える人が国会に集まって採決に反対しましたが、国会議事堂の中は、そんな声などどこにも見えないかのようでした。

 成立した後になっても、なぜこの「改正」案をそんなに急いで成立させなければならなかったのか、誰も説明してくれません。必修単位未履修問題や、いじめの問題や、学力低下の問題を「改正」案がどう解決するのかも説明されませんでした。中身が何も審議されず、マスコミもそれを伝えないまま「改正案」という抽象的な言葉だけが独り歩きしていました。

 現日本国憲法が「押し付け」だとして任期中の「改正」を公言する安倍首相は、「改正」前の教育基本法も同様にGHQからの「押し付け」だと攻撃したのが根拠といえば唯一の根拠のようなものでした。しかし、日本国憲法も、「改正」前の教育基本法も、戦前から命脈を保っていた日本の人権思想と、戦争国家の破綻に対する真剣な反省が結実したものであり、「押し付け」というのは歴史事実を無視した妄言です。国会図書館の資料を見れば一目瞭然です。架空の話、もし「押し付け」だったとしても、「押し付け」られた法案よりも遙かにレベルの低い内容しか立法できなかったことは、戦後60年間、自民党政治の空虚さを立証したと言えるでしょう。私はこんな基本法を認めません。少なくとも憲法がある限り。

 安倍首相は、参議院特別委員会の採決後、永年の夢に近づいたとコメントしましたが、百年の大計たる教育の骨子は、一個人の「夢」などで変えていいものではありません。「改正」前の教育基本法は、一政治家の思想がそういう風に教育に介入するのを禁じていました。安倍首相の情緒的な発言は、与党の「改正」の目的がまさにそこにあったことを無意識に自白したものです。

 民主主義は、ブッシュ大統領や安倍首相が海外に輸出したがるような抽象的なイデオロギーではなく、具体的な手続きだと私は考えます。参議院の特別委員会の採決の経過ひとつとっても最低限のルールが次々反故にされていきました。安倍首相は、タウンミーティングの法案提出責任者としての引責を恐れて審議を欠席。中曽根弘文委員長は、「採決はしない」と野党に約束して審議再開しながら、彼の一存で突然採決に踏み切り、その後抗議を恐れて、FAXもメールも着信できなくしていました。もはや議会政治ではなく、クーデターに近い。こういう人たちが、子どもに「教育」だの「道徳」だのと言う訳ですから、この国のモラルも落ちるところまで落ちたというしかありません。

 タウンミーティングでの一連のやらせだけでなく、反対者の締め出しもあったことが最近分かりました。力を持ったものが子分を雇って多数を見せかけ、意見の違うものとは話し合いさえしない。中日新聞の特報記事が批判したように。これこそ「いじめ」そのものではありませんか。

 しかし、「改正」前の教育基本法の精神は、時代の流れとともに忘れられるようなものではなく、制定の中心になった東京帝大の南原繁総長が「今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい」と語ったとおり、世代、地域を超えた普遍的なものです。多くの無批判なメディアが垂れ流した日程を、何度も市民の力で覆したように、愚劣な「改正」案は早晩歴史の審判にかけられ、葬り去られるときが来るでしょう。

 その日がいつかは分かりません。しかし、私は今の子ども達に伝えたいのです。

 君たちは、総理大臣、文部科学大臣、そして国会議員と称する多くの大人が、どれだけ卑怯で冷酷かを見てきたでしょう。この過程を忘れずよく覚えておくことです。やがて君たちが大きくなったとき、こんな大人たちが消えてなくなってしまうように、君たちが同じまねをしないように、今の悔しさを覚えていて欲しいのです。そして、卑怯な大人を見返すときまで、どんなことがあっても死んではいけません。死ぬくらいなら、弱いものに対してでなく、大人にたたかいを挑んでほしい。

「小さき者よ。不幸な而して同時に幸福なお前たちの父と母の祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。而して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。 ‥ ‥ 行け。勇んで。小さき者よ」(有島武郎『小さき者へ』から)

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