とんとんとんからりと隣組 同じ考えの人だけの集団目指す「再生会議」
また「社会奉仕活動」か。これからボランティアやってる人を見たら、交通違反した人か、ともかく悪いことして捕まった人じゃないかと勘ぐってしまうな。せっかく学校や会社を離れて自発的にやってることにまで口を出し、点数をつけるなんて、考えただけでゲロゲロだ。
いじめをしている子どもは影響力が大きくて一緒に議論できないから、別の部屋に隔離して先生とサシで話をするんだと。先生に正直な気持ち言えるならいじめなんてやらないや。いじめられている子どもと、いじめている子どもが顔を合わせず別々に結論を出すわけだな。自分がいじめる側に分類されなくてよかった、そう思ってびくびくしている子どもがたくさんいるだろう。下手な発言はできない、ってね。だいいち、影響力があるなんてどうして決め付けられるの?その逆から始まってる場合もあるんじゃない?社会に出れば、「影響力」があるのは結局エリートなんだってことくらい、知ってるさ。
緊急のときっていうのはあるから、きれいごとを言ってられない場合もある。でも、そういうときのやり方は、当事者しかわからない。お上からマニュアルで指示されてもしょうがないんだって、なんで気付かないのかなあ。
大事なのは、いじめてる子どもも、いじめられてる子どもも、傍観している子どもも、一緒に話すことだよ。今の子どもにコミュニケーション力が不足しているのは本当だと思う。どんなに四六時中メールをやり取りしても、顔を見合わせて話すのにはかなわない。膝を突き合わせて話すのが怖くて、メールやバーチャルな世界に逃げているのかもしれない。子どもがドロだらけになって遊ぶ広場も、ケンカの仕方を教えてくれるガキ大将もなくなってしまったんだから、それは子どもの責任じゃないんだ。
それを取り戻すチャンスじゃないか。クラス皆んなで正直な気持ちを話し合うって言うのは。いじめっ子を隔離したんじゃ、いじめっ子はいつまで経ってもいじめっ子のまま、いじめられっ子はいじめられっ子のままだよ。
いじめを放置した先生を処罰するというのもおそろしい。人間関係は、ひとつも同じものはないんだよ。努力がなかなか実を結ばないときもあれば、小さなひとことがこころの壁を崩してしまうときもある。そのテンポはひとそれぞれだと思う。直接子どもに接している先生よりその子のことを分かっているはずのないお偉方が、その途中を見て、あ、こりゃ怠慢だな、とか、不十分だな、とか決めるんだろうか。そこでその先生が飛ばされちゃったらその子も救いがないよね。
知ってる?子どもの自殺は悲惨だけど、先生はもうその10倍も自殺してるってこと。ほとんどのまじめな先生はもう限界なんだよ。これ以上先生を見張ってプレッシャー掛けたら、ますます先生の自殺が増えるか、お偉方がこわくて、ほんとのことを言わないか、どちらかだよ。そんなんじゃ、いじめは絶対なくならない。
先生を絶対だなんて思わないし、子どもはそんな先生がほしいんじゃない。子どもの声をちゃんと受け止めてくれる普通の大人がほしいんだ。結論は自分で決めるよ。そのかわり、結論を出すまで最後まできいてくれる先生がほしいんだ。
そして、社会で威張っている人が、子どもが目標にできる生き方をしてくれなきゃ。うそ臭い言葉を子どもが信じていると思ったら甘いよ。そう、「再生会議」とかいうSFアニメにでも出てきそうな名前のあんたたちも。傍観しているのもダメっていうのなら、あんた達が手本を見せてよ。自分の損得でなく、人間が行動を起こすことがあるってところを。
都合の悪い奴を目に付かなくするのが、問題解決だって思ってるでしょ。皆んな、そうやってこんなにしてしまったんだね。この日本を。
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