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2006/10/31

生きたかった涙 瑞浪中少女の自殺について

 人間は、たった一人でも自分を理解してくれる人がいる、あるいはいると信じられるだけで、ずいぶん辛い状況にも耐えられるものだ。

 団体競技で、意識的に疎外されることの悔しさは、思春期の子どもにとって決して受け流せるものではない。特にバスケットの様に室内の比較的狭い空間で顔を見合わせてするスポーツでは逃げ場がない。私も娘がバスケット・チームにいたころ、パスの練習、シュートの練習を何度も見てきた。へたくそでも、声だけは枯らすなとよく叱咤された。取れるパスをわざと逸らせてなじる、エールを送りあうシュート練習の時に無視される、という行為がいかに陰湿なものかは、自分や子どもがバスケットボールの経験がある人なら理解できるはずだ。それでも、自殺した瑞浪中学2年生の少女は、チーム・プレーを目指したのだろう。同じようにいじめられていた後輩に彼女だけが声を出していたという。少女にとっても彼女が支えだったのかもしれない。

 一緒にいじめに耐えてきた後輩が退部した後の孤立感と切なさは、察してあまりある。もちろん後輩が退部したのは正当だ。彼女も今辛いと思う。何とか乗り越えてほしい。

 第三者が、自殺するのが弱いと批評することはたやすい。しかし、少女は、生きたかったはずだ。少女のロッカーの中には図書館で借りた「生きる」というタイトルの詩集があったという。

 こんな状況を顧問や監督が気づかないはずはない。ロッカールームに閉じ込めていびったりするのとは訳が違う。いわば「神聖な」コートの中で堂々と行われていることだからだ。娘が3年間を過ごしたチームの監督も口は激しく厳しかったが、一人ひとりがその子なりに頑張っていることをお互い理解させようとした。こずるいテクニックで勝つことを嫌い、弱くても正々堂々と食らいついていくことを褒めた。

 現実の世界が汚くても、それを乗り越える勇気とフェア・プレーを教えるのがスポーツではないのか。いじめの温床になっているくらいなら、スポーツなんか止めてしまえばいい。

 一人で40人前後の様々な子どもに対応しなければならない担任の苦労は、わたし達の想像以上だと思う。子どもの変化やサインに気づけないことを教員個人の資質や努力不足のせいだけにするつもりはない。

 それにしても、である。いじめがあったとか、なかったとか、二転三転する校長はいったい何を考えているのだろう。いじめがなかったと説明がつけば、自分達は何もしなくていいとでも思っているのか。ひとりの生命が失われても保身に走るこうした姿をわたし達は何度見せられただろう。わたしも、不登校児の相手を教頭に任せながら、うちの学校に不登校や学級崩壊はありません、と嘯く人も身近に見た。ホームルームの前に見せた少女の涙に心を動かされないような大人が、生命を大切になどと空論をたれても、子どもの心を満たすことがどうしてできようか。

 いじめをしたり傍観していた子ども達が、その事実を告白しているのはせめてもの救いだ。彼らが、したことの重大さを気づくためにはあまりにも重い代償だが、大人がもう少し早く勇気を出していれば、彼らの心も傷つくことはなかった。

 聖人君主の国といえば、小説やマンガではウソ偽りの世界と相場が決まっている。

 いじめの数の統計が問題ではない。安倍首相も認めたように、いじめは何処にでもあるし、誰でも、ふとしたことで、いじめる側にも、いじめられる側にもなりうるのだ。

 わたしは、小さい頃身体が弱く、親の考えに依存した子どもだったので、もともといじめられやすかったのかもしれない。中一の体育祭を喘息の発作で休んだことをきっかけにクラスでかなりいじめられた。暴力的な担任は、いざこざが起こると言い分も聞かず、加害者、被害者両方に往復びんたで応えた。ところが、彼は、厳しいしつけの教員として保護者には評判がよかったのだから皮肉なものだ。わたしの場合、その悔しさを部活で耐えられたのが幸いだった。2年生になりクラス替えと同時にわたしへのいじめも消滅した。

 しかし、わたしも小学校の時は、同じクラスの少女をいじめていたことがあった。クラスで徒党を組んでというのではなかったし、好き嫌いの表現のひどいもの、という程度だったが、変なあだ名をつけたりもした。当時はいじめという意識もなかったが、思い出すと謝りたい思いでいっぱいになる。

 相対立する二つの経験は、その後のわたしに、意識的無意識的におおきな影響をあたえているように思う。

 人間の心は誰しも弱い。そして、その弱さ加減は一人ひとり皆んな違う。それを認めることがまず大切なのだと思う。いじめや喧嘩を苦い糧として成長するには、それなりの時間とひとりひとりにあった後押しが必要だ。それは決して教員だけでできるものではないし、子どもに「既成の疲れた宗教や、道徳の残滓の色あせた仮面」を押し付けて解決するものではない。

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2006/10/29

「近核保有国」日本は本当の「核保有国」になるのか

 今年のノーベル平和賞の受賞が決まったバングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏が28日、広島市を訪れ、原爆ドームや原爆資料館を見学した後、「軍隊を持たずに大国になった日本は国連の常任理事国になり、安全保障について発言権を持ってほしい」と日本への期待を述べたそうです。

 なんと申したらいいでしょう。

 ユヌス氏が期待しているような国に、本来なるべきだったのに、という羞恥心を抱かないような人をわたしは信用できません。ところが、マスコミの記事の見出しは「日本は常任理事国に」こればっかり。恥を知りなさい。

 ユヌス氏は、「核兵器の潜在的脅威は世界中どこにでもあり、私も被爆者であるように感じた」とも語っています。こうした痛みをリアルに感じる感性が、氏の活動を後押ししてきたのでしょう。

 ユヌス氏が掛け値なしにこう語った前日27日には、訪米中の自民党中川政調会長が、「キューバ危機のように、キューバが核を持ち込もうとし、切迫した状況に似ている。情勢急変のなかで日本の安全を真剣に考える必要があり、核の議論もされてしかるべきだ」などとし、改めて日本の核武装論議が必要だとの見方を強調しました。中川氏は、キューバ危機も、北朝鮮危機も、歴史的経緯の中で捉えるという作業がまったくできないようです。まあ、それができていたら、自国の歴史を改ざんしようとするはずもありませんが…。

 中川氏は、米首脳と会談した時に、いろいろな意見があったと冷静を装っていますが、日本の核武装化は、一部のネオコンをのぞいて、米国では好感をもたれていないと思います。本格的に日本核武装化の「議論」が起こったら、北朝鮮やイランに対するのと同様、米国は日本を潰しにかかるでしょう。

 この問題について、オーストラリアの新聞が、見通しのよい記事をかいています。シドニー大学国際戦略研究センターのアラン・デュポン博士の分析がメインになっています。日本はその気になれば、2年で実用的な核兵器をつくる能力があるとみなされています。

 わたしは、せめて、デュポン博士が分析する程度には日本の政治家と防衛族が賢明であることを祈りたいです。

(以下、どすのメッキーによる仮訳)

【Why Japan refuses to go nuclear】
(なぜ日本は核武装を拒否するのか)
(Peter Alford, THE AUSTRALLIAN, 28,Oct,2006)
 http://tinyurl.com/ynat3u

 「核武装する」ことをせめて検討はすべきだと、東京とワシントンの極右政治勢力は長い間待ち焦がれていた。そして今、主流の政治家でそれに同調する者がいるとすれば、それは安倍晋三だろうと予想されている。

 それは重大な検討だ。核に対する意見で日本は独自の立場を占めている。

 アラン・デュポン氏(シドニー大学国際戦略研究センター長)は、日本を永続的な「近核保有国(near-nuclear state)」と形容する。

 しかし、北朝鮮やイランの様に危機に瀕した国とは異なり、日本は経済超大国であり、大規模で完全な民需核サイクル、20トン(武器グレードではないが)を超えるプルトニウムを持ち、いつでも核武装できる財政的、工学技術的、電子技術的、ロケット工学的能力がある。

 20年間日本の軍隊と戦略能力を研究しているデュポン博士は、日本がそう決めたら2年以内に「粗雑ではあるが完成した」核兵器能力(弾頭、ミサイル、誘導装置)を持つことができると見積もる。

 52歳の安倍氏が総理大臣になったわずか13日後の10月9日、小さな核兵器を爆発させたことによって、北朝鮮の危険な金正日政権は、日本が公式な戦略要素を根本的に見直す口実を提供した。

 新しい首相は反応したが、ネオコンの評論家チャールズ・クラウスマー、ディック・チェイニー米副大統領の側近、そして「核武装した日本」を応援するような類の人たちにとって、期待はずれだった。

「非核三原則(three non-nuclear principles)を堅持する政策に変更はない」安倍首相は言った。「それについて政府内で議論はしない」

 この発言は、先任の同僚麻生太郎外相や、深刻化する北朝鮮の脅威を考えれば核武装の議論が必要だと促した自民党政調会長中川昭一氏への叱責だった。

 中川氏の口実は目新しく聴こえるかもしれないが、日本が核武装する問題は新しいものではない。

 日本の防衛庁は、少なくとも1970年と1994年の2回、秘密裏に非公式の検討を行い、1990年代半ば以降少なくとも5回、問題が政治に持ち出された。

 自民党内の国家主義勢力の新星安倍氏自身、2004年4月、学生に向かって、日本の平和憲法が、「厳密に防衛用と限定できるほどに小さい」核弾頭を日本が保持することを禁じるものではない、と語っている。

 安倍氏の祖父岸信介氏は、日本国憲法が防衛目的であればそのような兵器を禁じていないと最初に指摘した日本のリーダーだった。1958年4月のことだ。

 しかし、その後岸氏は、「日本が核兵器で自国を武装したり、領土に核兵器を持ち込むのを許すことはないだろう」と表明した。彼は、米国の核の傘に入る以外、日本が選択できる戦略はないと信じていた。

 安倍氏は、彼が賞賛し見習う祖父がいた首相官邸の主となり、明らかに同じ結論に達し、戦略の主流と協調をはかった。

 この問題を長い間熱心に研究したデュポン博士は、日本の戦略司令部は、核兵器を保有することは安全保障を強固にするどころかむしろ傷つけると信じている、と言う。

「なぜなら、第一にそれは、日本が決して勝つことのできない核武力行使、すなわち中国との核紛争、の直接的な危険に彼らをさらすことになるからだ」と博士は語った。

「第二に、核武装しながら米国との同盟を維持するのは、政治的に極めて困難だ。それは米国の戦略上の利益に完全に反するので、他の国に対する場合と同様、甚大な圧力を加えて核武装を阻止するだろう」

 日本の防衛組織に密接な関係を持つベテランの防衛評論家たおき しゅんじ氏は、その判断に賛成する。さらに、彼は、日本の核抑止力が北朝鮮に対する目的をうまく果たせるどうか疑問を呈している。

 たおき氏は昨日語った。「核抑止力は、理屈の通じない破れかぶれの相手には効果がない。抑止の概念は、相手が合理的で、自己保存を追及するという仮定に基づいている。しかし、北朝鮮がもし核攻撃を始めるとすれば、それは、すでに米国に攻撃されているか、国が崩壊しているときだろう」

(仮訳おわり)

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2006/10/28

「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」採択の意味

 国連総会第1委員会は、26日(NY現地時間)、日本が提出した核軍縮決議案『核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意』を賛成169、反対3(米国、インド、北朝鮮)、棄権8の賛成多数で採択しました。

【北朝鮮を名指し非難、国連軍縮委が核軍縮決議案を採択】
 http://tinyurl.com/ybdb7l (読売27日)

 北朝鮮の核開発への非難も盛り込まれたようです。「ようです」というのは、こうした文書に関していつも不満なのですが、提出元の外務省が、決議案を日本語訳(通常国連提出文書原文は英語)のしかも要旨しか一般には公表しないためです。

【「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」決議案(骨子)】
 http://tinyurl.com/yg5kou (外務省)

 私たちの生存に直接かかわり、また、デリケートな内容を含むことが予想される、核軍縮の文書については、外務省の責任で英語と日本語の全文を公表すべきです。

 上記要旨中には、読売記事に記載された「北朝鮮を名指し非難」は見つかりません。しかし、提出日の11日の外務省談話で「10月9日の北朝鮮による核実験実施に関する発表を踏まえた記述が盛り込まれている」とあり、 これまで12年間毎年提出していた「核兵器の全面的廃絶への道程」という同趣旨の決議を、本年から「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」とわざわざ改めていることから、北朝鮮の核開発を強く意識したものであることは理解できます。

 それなら、要旨にも明記すればよさそうなものですが、そうしないのは、予めこの決議に北朝鮮が反対することを予想して、その投票行動をいかにも根拠のない頑迷なものに印象付けようとする思惑があるように思えます。

 さて、「新たな決意」という安倍首相の好きそうな美辞麗句を冠した決議案は、それに見合う内容なのでしょうか。なにせ全文が分からないので評価しようがありませんが、要旨を見たところ、従来と大差ないか、後退しているようにさえ見受けられます。

 たとえば、超大国に大量の核兵器と大量破壊兵器を温存したまま、その脅迫によって核不拡散を維持するという体制が印パや北朝鮮の核開発で崩壊の危機を迎えている(安倍氏らが好きな比喩を使えば「制度疲労」)のに、日本の要求は、採択後の外務省談話

 http://tinyurl.com/ykowmt

で自ら述べているように、速やかな核兵器全廃ではなく、「現実的かつ漸進的」な取組みの範囲を超えていません。また、「すべての国が核兵器の全面的廃絶に向け、更なる実際的及び実効的措置をとる必要性」や13項目の具体的措置の合意を含む2000年最終文書の取り扱いについては、「再確認」でも「強調」でもなく、「想起」という曖昧な表現にとどめています。(それぞれの日本語に相当する英語は不明)

 ただし、そうは言っても、核軍縮の「決意」が毎年国連総会の場で確認されることは重要な意味があり、決議案の提出国としては、「安全保障政策における核兵器の役割を低減させる必要性を強調」「核不拡散・核軍縮促進における市民社会の建設的役割を奨励」という内容を、国内法の整備や行政において、誠実に履行する義務があるのは言うまでもありません。

 これに照らせば、自民党中川政調会長の「核武装論議」発言の不撤回や、政府や自民党内では非核三原則を堅持するが国民全体で「核武装論議」を「封殺」(この言葉は彼らに都合の悪いときのみ使われます)することはできない、とかいう安倍首相のコメントが、少なくともこの決議が採択された日本時間27日以後無効であることは明白です。

 ましてや、横須賀港を「新た」に米国の核空母の母港にする等という行為は論外です。お金ばかりかかって、技術的に検証もできず近隣の緊張を高めるだけのミサイル防衛計画も破棄すべきです。

 さて、北朝鮮は日本が毎年提出していた核軍縮決議案に、昨年までは「棄権」の立場をとっていました。一貫して反対し続けているのが米国です。

 外務省が北朝鮮を批判するのは当然としても、同時に、決議の最大の妨害者である米政府への抗議や批判がなければ、その姿勢は、はなはだしく整合性を欠くといわざるを得ません。

 ブッシュ政権は、核軍縮のみならず、あらゆる軍縮の枠組みを妨害し続けています。非核6カ国が準備した重要4課題に関する国連総会下の特別委員会の設置に対しても、ブッシュ政権は提案提出を阻止するため、各国に書簡を送付したことが伝えられています。

 日本のあるシンクタンクの推定によると、北朝鮮の国力は、日本の千葉県船橋市と同じくらいだそうです。核開発は許容できませんが、世界第1と第2の軍備を持つ米日両国にとって、北朝鮮がどれだけ脅威になり得るか、冷静に考えれば分かるはずです。

 スペインの偉大な画家フランシスコ・デ・ゴヤの最後の版画集「妾(スペイン語では「でたらめ」の意味もある)」に「恐怖の妾」という作品があります。巨大な作り物のおばけに驚き兵士が逃げ惑う様を、陰鬱な闇を背景に描いています。実体のない、わけのわからないものに対する盲目的な恐怖におどらされているのは、200年後の私たちも同じではないでしょうか。

 理性のみが恐怖に打ち克つことができるのです。

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2006/10/25

エルバラダイIAEA事務局長、「制裁より対話を」

 2003年ハンス・ブリクス氏と共に国連武器査察官のチームを率い、イラクの大量破壊兵器査察によるイラク危機の平和的解決に努力したエルバラダイIAEA事務局長が、23日、北朝鮮への制裁処置を批判しました。エジプト人の彼は、2005年ノーベル平和賞を受賞していますが、国際法協会およびアメリカ国際法協会のメンバーでもあります。

 彼は23日、ジョージタウン大学で講演し、北朝鮮やイランへの制裁について、「両国内の強硬派に主導権を握らせることになるだけだ」と述べ、制裁の効果に疑問を示したそうです。

 イラク開戦に最後まで抵抗し、その後の一部始終を知っている人物の提言として、また、インターナショナル・アクション・センター(IAC)の呼びかけを補完するものとして重要と思われますので、関連記事を仮訳しました。

(以下、どすのメッキー仮訳)
【国際原子力機関の長、北朝鮮との対話を】
 Talk to N Korea - IAEA boss
 http://tinyurl.com/yd5p7d
(News24, 23.Oct.2006)

 ワシントン:「北朝鮮の核開発計画を抑制しようとすることに対する現実的な選択は、孤立した政権と対話することしかない」IAEA(国際原子力機関)の事務局長が月曜日(10/23)に語りました。

「私は、制裁は罰としてはうまくいかないと思います」モハメド・エルバラダイ氏は、米国務長官コンドリーザ・ライス氏と会談した後に言いました。

 ほぼ10年間の間国連の機関を運営してきたエジプトの外交官は、「彼らは孤立していると感じています。彼らは、必要な安全保障が満たされていないと感じています」と、ジョージタウン大学で話しました。

 国連安保理は、ほとんど米国の主張したとおりに、北朝鮮との危険な物資の貿易に制限を課しました。

 ライス氏は、アジアとロシアを歴訪し、制裁の履行を促進し、それをためらっている同盟国に米国の安全保障の支援を保証するよう申し入れて、日曜日(10/22)に帰国しました。

「ライス氏は、訪問した国々が引き続き米国の核の傘の下にあることを彼らに保証しました」と、エルバラダイ氏はジョージタウンの外務職員学校(foreign service school)で言いました。

 エルバラダイ氏(IAEA事務局長としての彼の地位は、2年前ブッシュ政権が剥奪しようとしたが不成功に終わりました)は、米国が北朝鮮と対話する場として、核実験防止に失敗した6カ国協議か、それとも2国間交渉かは重要ではない、と語りました。

「結局、わたし達は、嫌でもじっと我慢して、北朝鮮とイランに対話を呼びかけなければならないのです」と彼は言いました。

 国連安保理によって課された輸出管理は、北朝鮮に核兵器やその他の危険な武器の製造をやめさせるには「充分ではない」と彼は言いました。

「彼らに懲罰を課することは解決にはなりません」と彼が言いました。

(仮訳おわり)

 しかし、ブッシュ政権は、クラウチ米大統領次席補佐官(国家安全保障担当)が同日、ワシントン市内で講演したように、米政界で出ている米朝の直接交渉を求める声にを「間違っている」と批判し、6カ国協議以外の話し合いを拒否する姿勢に固執しています。

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2006/10/23

下品なのはあなただ!

 「やればやり返すという論理はあり得る」という無神経な核武装発言(15日)に続き、東北アジアの危機に対する世界の努力をあざ笑うかのように非科学的で、糖尿病患者を差別する発言をした中川昭一自民党政調会長が再び暴言をはきました。

「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許はく奪だ」

 この人は、従軍慰安婦を否定する目的でもずいぶんひどい発言を繰り返しています。こういう人物が政権党の政策決定の責任者であることに深い絶望を覚えずにいられません。また、私ががっかりするのは、たとえば、糖尿病発言のように、政治家の公的発言にあるまじき差別的で根拠のない発言を報道するのに、通信社が何の注釈もなく「北の核攻撃、可能性に言及」などと無批判に報道していることです。

 下品なのは日教組の組合員ではなく中川氏のほうではないでしょうか。教員の不祥事や、子どもに向き合おうとしない教育行政が問題になっていますが、これは基本法のせいでもなんでもありません。むしろ基本法に基づく教育を敵視してきた自民党の政策とその押し付けの結果です。多くの教員は自分の健康を害してでも真剣にもがき努力しています。相次いだいじめによる自殺事件で教育現場が何をすべきだったか、基本法を読めば方向は明示されているのです。

 それにもかかわらず、メディア自身が誘導したような補選勝利をもって、基本法「改正」に弾みがついたような報道をしているのは、死んだ子ども達を2度殺すにも等しいメディアの責任放棄だと思います。

 基本法「改正」について、一方の当事者である子どもの声をまったく聴こうとしない「議論」はそもそも不健全ではないでしょうか。おそらく、「改正」推進者は、教師や子どもは国家の政策に従順に従えばよいのであって、それに異を唱えたり、なじまなかったりする者は教員だけでなく、子どもも教育を受ける権利を奪われてもいいというのが本音ではないでしょうか。(「教育を受ける権利」とは、その子どもが自分の能力を開花させるに足る処遇を受けることまでを指しますよ、念のため)

 先日、いじめによる自殺をめぐって、ベテランのTアナウンサーが、「君たちは国の宝だ、ということをよく思い出して自殺を思いとどまって欲しい」というような訴えをしていました。一見もっとものようですが、違います。個々の子ども達は、国家に役立つから尊いのではなく、国家があろうとなかろうと、それ自身宝なのです。国家ではなく個人が先である、というのは近代立憲主義が到達した譲れない原理です。近代立憲主義に基づいた教育基本法は、それゆえ、画一な教育で子どもを行政に合わせるのではなく、子どもに合わせて多様化できる能力と責任を行政に求めているのです。

 おそらく、Tアナウンサーは、その言葉の危険性について意識せず善意で発言したと思います。でも、同席したコメンテーター(その中には被いじめ経験者もいました)の誰からも疑問の声が出なかったことに、わたしはぞっとしました。

 中川氏のサイト
 http://www.nakagawa-shoichi.jp/
トップページに、ランダムに現れるキャッチフレーズに、こんなものがあります。

「自分たちの『国』、そして『自分自身』をもっと誇りに思いたい」

 「誇り」という言葉を政治家が使う時は要注意です。これは、自己満足や、多様性の否定と往々にして同義語となります。

 野党は、教育基本法審議に入る前に、中川氏の一連の発言を曖昧にせず、発言撤回と自民党内での処分を求めて徹底的に追求すべきです。

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2006/10/18

もう、私たちは何も恐れはしない

 元気をもらえるDVDを紹介します。

 良質の映像を地道に提供し続けているマブイ・シネコープ制作のシンディ・シーハーン第2作

【シンディ・シーハーン~母の日のメッセージ】

 http://homepage2.nifty.com/cine-mabui/video_cindy2.htm

です。

 今年5月、ホワイトハウス前を花で埋め尽くした500人の母親を前に語ったシンディのスピーチを完全収録したもので、シンデイ・シーハンの肉声を紹介する唯一の映像です。

 彼女のスピーチでいちばん印象に残ったのは、次の言葉です。

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☆今日私たちがここに集まったのは、『もう、私たちは何も恐れはしない』ときっぱり言うためです。
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 イラクには大量破壊兵器がある、北朝鮮のミサイルが日本を攻撃する、第2第3の911が準備されている…。恐怖は、それ自身何も根拠がなくてもひとりひとりの心の中で、コミュニティの中で増殖していきます。ルワンダで、ボスニアで起こったこと。恐怖は恐怖しか生み出しません。自分が滅ぼされる側に立って考えたことのない米政権や、多くの権力者はそれを利用します。

 しかし、恐怖とは、多くは自分自身の弱さや醜さの裏返しなのです。自分の弱さ、世界における自分のずるさを直視し、失うものに固執しない人に恐怖はありません。

 それに気づいた民衆ほど権力者にとって怖いものはないのです。だから、彼らは次々にもっと怖いものを考え出さなくてはいけません。それに便乗して似非ヒーローになる人も居ます。しかし、そういう人も本当の安寧は得られないでしょう。

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☆今日私たちがここに集まったのは、『もう、私たちは何も恐れはしない』ときっぱり言うためです。
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 シンディは目覚めています。

 ホワイトハウス前花を持って座り込んだ母親に対し、シンディが「民主主義とは何?」と呼びかけると周囲が「民主主義とは私たちのこの行動だ!」と答えます。そしてそれが自然発生的に繰り返されていきました。

 北朝鮮という新たな恐怖の前に、わたし達が対話を求めるのは、理想に酔っているからではありません。

 わたし達はきっぱり言おうではありませんか。

 私たちは現実主義者であり、現実主義者とロマンティストは両立し得るのだ、と。そして、誰かの生命を犠牲にしながら正義を語る者に未来はないのだ、と。

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2006/10/17

北朝鮮を孤立に追い込むことは危険な考え方だ

 ライス米国務長官は16日、国連安保障理で採択された北朝鮮への制裁決議を受けた日中韓露への歴訪を前に国務省で記者会見し、「北朝鮮の国際社会から孤立させるために、制裁の確実な履行を求めていく」と述べました。

 北朝鮮からの2国間協議の申し出をはねつけるだけでなく、関係諸国にも外交的解決より制裁による力の解決を強要するのは、危険な考え方です。北朝鮮はすでに孤立して追い詰められているのであり、今必要なのは孤立から対話の場に引き戻すことです。

 ブッシュ政権は、アフガンやイラクの時と同様、世界を単純に二分化し、その時点で残されている多様な選択肢を摘み取ることによって、相手国が窮鼠猫をかむ行動に出るのを待っているように見えます。

 米国は、北朝鮮だけでなく、制裁に反対する国家やグループをも孤立させようとしています。残念ながら、日本政府はおそらくここでも米国と一緒に中韓露を説得する立場にまわるでしょう。

 しかし、平和を願うサイレントマジョリティの存在は、世界全体で見れば、決して無視できるものではありません。

 私の希望は、この問題をより具体的に把握できる次期国連事務総長、韓国の潘基文外交通商相が、問題の解決に自ら積極的に動き対話をする意欲を語っていることです。

 世論に対する一時的な孤立は怖くありません。怖いのは、人間の尊厳に反する行為をわたし達が選択することなのです。

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2006/10/15

国連の北朝鮮制裁決議採択をめぐって

 北朝鮮の核実験実施発表をめぐり、国連安全保障理事会は14日午後(日本時間15日未明)、日米韓など9カ国が共同提案した北朝鮮制裁決議を全会一致で採択しました。

 国連憲章第7章の適用が41条の「非軍事的措置」に制限されたとはいえ、もともとの意図が中露などが重きを置く外交的解決よりも、まず制裁を優先する点で本質的に原案との差はありません。

 イラクを米英が攻撃するまでの過程を思い出してみましょう。2002年11月8日に全会一致で採択された対イラク安保理決議1441も、仏ロ中の抵抗で「自動的武力行使を排除した」とされていました。ところが、自動的武力行使どころか、決議に基づいた査察が順調に行われているにもかかわらず、米英は国連を無視して攻撃を開始したのです。

 今の国際社会の力関係で、41条への限定は、おそらく武力衝突回避の保証にはなりません。

 小泉首相も、イラク問題について、2002年10月の時点では「問題解決のために国際協調を維持し、国連を通じた一層の外交努力が重要」とし武力行使に関する言及を避けていました。ところが、米政権の攻撃決断が濃厚になった03年1月21日には「重要なのはイラクが査察に協力し安保理決議を履行することだ」と攻撃反対を拒否、2月17日には、安保理で査察継続と平和的解決を支持する意見が大半だったにもかかわらず「ボールはイラク側にある。国際社会としてイラクが早くきちんと協力しなさいとメッセージを出す必要がある」と外交努力の放棄を表明しました。この間、イラク側からの査察の妨害や武力攻撃はいっさいありませんでした。米国とそれに追従する諸国だけで勝手に緊張を高めていったのです。そして3月19日の攻撃時に、すかさず小泉首相が全面支持を表明したのはご存知の通りです。

 また、イラクは1441採択7日後に無条件受諾を表明しましたが、北朝鮮は採択直後に受諾拒否を明らかにしました。情勢はさらに深刻な面さえあります。

  基本的に経済制裁が政権の路線変換に結びつかない愚策であることは、アフガンやイラクで事実として証明されている訳です。日本が経済封鎖の打開を口実にアジア太平洋戦争に突入したことを想起しても分かりそうなものです。

 さらに、制裁がなくても多くの子どもが餓死や凍死する国です。国連の人権機関は制裁による被害を心配しています。

 国連人道調整官が「制裁が人道支援を阻害しないことを望む」「今冬の餓死、凍死者を避けるべきで、各国は人道援助を継続することを望む」と発言しています。制裁があっても同事務所は北に食料医薬品の援助を続行する構えです。

 ユニセフのスポークスマンが制裁決議に関し、「子どもに悪影響が出ないやり方で実施されることが重要だ」「北では食料、基礎医薬品、冬場の燃料油が不足している」など人道懸念を表明しています。

 金正日政権を追いつめるのに、罪もない子ども達を犠牲にしてもいいのか、ということに無関心でいてはいけないと思います。

 決議採択を受けたボルトン大使の発言も重大です。彼は、この決議によって、対立が北朝鮮と米国の2国間から、北朝鮮とその他の全ての国になったと述べました。911後、ブッシュ政権が世界をテロと戦う国か、テロを支援するかに2分化し、どちらにつくかの選択を押し付けてきました。その愚行が繰りかえされようとしています。

 結局、米日政権にとっては、世界を2極化する踏み絵の根拠を示してくれれば国連の役目はもう終わったも同然で、その後どう行動するかは、世界の警察米国が決めること、なのでしょう。日本は本来国内法の制約で対応の必要のない「臨検」を行うための特措法改定まで進めています。こんな決議を国際協調努力の成果と喜んでいるメディアや評論家、そして政党はどうかしています。

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2006/10/14

「北朝鮮に干渉するな!」まず米国の挑発と武力威嚇をやめさせるキャンペーン

 対話の模索無しの独自制裁を米国は支持、安倍首相は、北朝鮮との緊張が高まったのに便乗して、MD計画の前倒しまでほのめかしだしました。

 日本では、とにかく100%北朝鮮が悪い、という風潮ですが、韓国では(当然抗議はするものの)日本より冷静ですし、国連も今は北朝鮮の話しばかりしていると思いきや、国連のニュースレターを見る限り、レバノンや、東ティモールや、ウガンダのことなど、様々な問題のひとつに過ぎません。

 そうした中、つい数時間前(日本時間13日午後11時ごろ)、インターナショナル・アクション・センターから、ブッシュ大統領、地区選出の議員、重要な指導者、そしてメディアに、北朝鮮に対する戦争挑発的なキャンペーンをやめるよう呼びかけるキャンペーンを始めたというニュースレターが届きました。
 http://www.iacenter.org/iacdonate.shtml

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【Join the campaign to say, "Hands Off North Korea!"】
北朝鮮に干渉するな!

(簡易手順)
1.下記URLにアクセス
 http://www.iacenter.org/koreacampaign.shtml
2.必要なら、ブッシュ大統領に送るサンプル・レターを編集して下さい。
3.メッセージの内容を確認し、受取人を選んで下さい。
4.メッセージを送信します。

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 これは電子メールで、思いをそれぞれ届ける方法をとっていますが、たたき台(というには立派過ぎる)がすでに用意されています。その仮訳をしましたので、ご紹介します。

 日本国内の宣伝に慣れていると、あまりに北朝鮮に肩入れしているように感じるかもしれません。
 しかし、東北アジア地域で本来緊張を高めてきたのが米国であることは動かしようのない事実です。とくにブッシュ政権になってからは、北朝鮮を「悪の枢軸」と決め付け、その政権転覆をもくろむだけでなく、そのために先制核攻撃する権利まで正当化している(その後未臨界核実験も繰り返してきました)わけですから。ブッシュドクトリンが発表された時、国際社会は批判したものの、日本はどうだったでしょう。国連安保理で非難決議はあがったでしょうか?

 北朝鮮がテロを繰り返したり、深刻な人権問題をかかえているのも事実です。しかし、だからといって、個々の問題をどうせあの国のやることだから、と検証もせずに非難するのでは、権力側の思うツボです。

 ぜひ、このサンプルをご覧いただき、皆さんご自身の手で事実を確認されるとともに、安倍首相はじめ、日本の閣僚や国会議員にも手紙を送っていただきますよう期待いたします。

(サンプル・レターの仮訳)

 私は、米国政府が現在行っている、北朝鮮に対して脅威と中傷を煽る国際的宣伝に反対し、それをすぐにやめるよう要求するためにこの手紙を書いています。

 北朝鮮が最近行った所定の核実験に対し、ブッシュ政権は北朝鮮への制裁やその他の敵対的なアクションに国際的な支持を取り付けようと躍起になっています。

 現在の危機は、北朝鮮自身ではなく、北朝鮮に住む人々への米国政府の敵意により起こったことは明らかです。

 50年以上にわたって、北朝鮮は米国との関係を正常化しようとしてきました。しかし、ワシントンは、朝鮮戦争を正式に終了する和平条約への調印を拒んでいます。その戦争(1953年の停戦で事実上終了した)で、米国は400万人の朝鮮人を殺害しました。

 北朝鮮は、地域の平和を実現するためあらゆる努力を払ってきました。北朝鮮は、地域の非核化を繰り返し現実にしてきました。また、北朝鮮は不可侵協定を要求してきました。北朝鮮は、米国政府が主権を認め、攻撃に対する保証をし、関係を正常化するならば、核兵器の研究を放棄することを提案してきました。北朝鮮は国家を防衛し存続させるために核兵器の製造が必要になる事態を避けられるようあらゆることをしてきました。

 それに対するブッシュ大統領の答えは、北朝鮮を「悪の枢軸」のひとつとしてレッテル貼りし、「政権転覆」を目標に掲げることでした。「政権転覆」がイラクの人たちに拷問、死、そして大量破壊をもたらしたのを全世界の人が目撃したように、北朝鮮が憂慮するのに足る理由があり、北朝鮮は自分自身を護るために必要なあらゆる処置をとる権利があるのです。

 現在、北朝鮮は、米国艦船、爆撃機および戦闘機部隊、核兵器、そして韓国に駐留する3万の米軍に包囲されています。

 その地域の平和に対しどの国が真の脅威になっているかを判断するために、ミサイル発射を正確に位置づけることが大切です。北朝鮮は1個の小さな核実験を行いました。これに対し米国の核備蓄には約1万発の核弾頭があります。その中の、5735発の実働あるいは運用可能な核弾頭には、5235発の戦略核弾頭および500の戦術弾頭が含まれています。米国は、さらに予備用として、あるいは現在実働していない備蓄として、およそ4225発の弾頭を保持しています。これらの武器の多くは、朝鮮半島地域の航空機、ミサイル、そして潜水艦に搭載されており、直接的な脅威となっています。

 さらに、米国は、核兵器を民間地域に使用したことのある唯一の国です。2002年のNPR(核体制見直し)において、ブッシュ政権は、政権転覆のグローバル戦略の中で北朝鮮に対する核兵器使用の権利を宣言しているのです。

 平和および地域の安全保障に対する真の脅威はワシントンに起因するものです。現在の危機をもたらしたのは、ブッシュ政権なのです。

 私は、次の方策によって、ワシントンがこの危機を打開するよう求めます。

・米国および国連の北朝鮮に対する敵対行動をやめること
・米国の威嚇、武力行使、戦争行為をやめること
・米国との関係を正常化する二国間協議に応じること
・戦争ではなく、和平条約に調印すること
・朝鮮半島から米軍を撤退させること

(仮訳byどすのメッキー、ここまで)

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 原文は以下をご覧下さい。

【Petition - U.S. Hands Off North Korea!_】
http://www.iacenter.org/koreacampaign.shtml

■(参考)2002年のNPR(核体制見直し)について

原文(英語)は↓
http://www.globalsecurity.org/wmd/library/policy/dod/npr.htm

(以下は発表当時の私のコメント)

 NPRは、米国が準備すべき非常事態として次の3つを想定しています。
 
 1.即時の非常事態
 (例:イスラエルか周辺諸国へのイラクの攻撃
    北朝鮮の韓国攻撃
    台湾の地位をめぐる軍事対決)
 2.潜在的な非常事態
 (例:米国や同盟国に反対する、大量破壊兵器保有国を含む軍事連合の台
頭)
 3.予期しない非常事態
 (例:現有核兵器が敵対的指導部の手に渡るような突然の政権交代)
 
 こうした猜疑をどんどんあてはめていくと、北朝鮮、イラク、イラン、シリア、リビアが真っ先に懸念材料となり、中国も「即時または潜在的な非常事態に関与しうる国」であり、ロシアも「米国を別として、最も膨大な核戦力を保持して」おり、関係は改善されているものの、将来関係が悪化したときには「核戦力水準・態勢を修正する必要がある」と述べています。
 その結論として、今後20年間に少なくとも7種の核弾頭を刷新し、寿命延長を図り、とくに地中貫通能力を高める兵器の開発に力を注ぐとしています。
  そこには、相互理解とか協調といった姿勢はまったく見られません。核兵器廃絶は遠い将来の目標ですらなく、未来永劫にわたって核の恐怖による支配を続けていくと宣言しているように見えます。

(by どすのメッキー 2002/3/19)

 「米国や海外の米軍、友好国、同盟国が生物・化学兵器で攻撃された場合、『核兵器を含む圧倒的な軍事力』で報復することを認める『国家安全保障大統領指令』に昨年9月の段階で署名していた」と報じたワシントン・タイムズ記事の全訳(翻訳は、石野祥子氏、萩谷良氏)は↓

http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/nuclear/012.html
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/nuclear/013.html
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/nuclear/014.html
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/nuclear/015.html

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2006/10/11

手紙(一)

 不幸なことに、わたし達は、生まれてくる国と時代を選べません。誰からも祝福され、温かい食事を食べながら将来を迷う楽しみが与えられる場合もあれば、帰る家もなく空腹を抱えて銃剣の前をさまよう場合もあります。だから、わたし達は、どこの国の人かというだけで、見下したり、軽んじたりすることはできません。

 国家がひとりひとりの単純な総和ではないように、ひとりひとりは国家の小さなコピーではありません。あなたが彼らに怒り、あざ笑う立場にいるのは、百分の一くらいの偶然です。百分の九十九を思うことは、あなたの兄弟を見つけることです。

 人を理解するのはむつかしいけれど、憎むのに努力はいりません。その憎しみは、あなたを刺し貫く矢となって、死ぬまであなた自身を苦しめるでしょう。その矢を抜かなければいけません。

 彼らとあなたが違う言葉を話し、違う物差しで世界を見ているのなら、あなたの言葉を押しつけたり、彼らの物差しを奪うのではなく、新しい物差しを作りましょう。あなたの国の祖先が、あなたの国の文化を営々と一から築いてきたことを思えば、きっとたやすいはずです。

「敵の願い。味方の願い。これらがあなた自身の願いとなってかなえられますように」(マリ共和国のバンバラ族がタバスキとラマダンに交わす祝いの言葉から、渡辺一男氏訳)

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北朝鮮の挑発に振り回されず、核抑止体制からの脱却を

 金正日政権が、国際社会の警告を嘲笑するように、核兵器を開発し、それを駆け引きの材料として利用することは、どんな理由があるにせよ許されることではありません。その後のさらに挑発的な態度も、1回目の実験が失敗に終わっても免罪されることではないと思います。

 ただし、核軍事バランスということを考えると、北朝鮮の核兵器のレベルは、米国の圧倒的な核の傘を揺るがすというレベルのものでは到底ありえません。

 これまでのミサイル発射実験は、北朝鮮の外貨獲得手段である兵器輸出のデモンストレーションという意図も推測できますが、今回の核実験がもたらす外交的メリットを見つけるのは困難です。

 おそらく、主目的は、外交的なアピールというより、四面楚歌状態の金政権が国内に向かって求心力を維持するためのパフォーマンスのように感じます。核兵器は独裁政権延命の最後の切り札なのでしょう。

 自国の力を水増しして宣伝するのは金政権の瀬戸際外交の常套手段です。とすれば、核実験声明を非難しつつも、国際社会が北朝鮮の挑発に振り回されず、科学的に事実を確認した上で、冷静な対応をとることが肝要だと思います。

 ここで過剰な対応をすれば、金政権はその孤立と非難を逆手にとって、国内に自らの影響力を誇示し、制裁に対する憎悪で国民の目を自らの失政からそらせてしまうでしょう。

 ところが、日本は1回目の実験の内容も明確でないまま、NHKと読売が2回目の実験を誤報する始末で、すでにパニックが始まっています。それは、あの安倍首相が国民に向けて冷静な対応を呼びかけざるを得ないほどです。国民の非理性的衝動は、すでにその動員を狙う為政者の予想を超えてしまったと言えるかもしれません。湾岸戦争で有名になった某軍事評論家などは、比較的大きな核実験を予想した手前、その矛を収められず、危険な方向に世論を導くおそれがあります。

 北朝鮮の国民に今メッセージを送ることは極めて困難です。しかし、たといどんなに隣国が不愉快で不安でも、金政権もろとも縁を切ることなどできないのです。

 わたし達はこの国とずっと付き合っていかなければならないのであり、その前提で外交的解決を無条件に志向していかなければならないと思います。

 同時に、こういう暴走は、米国の「核の傘」の脅迫に依拠し、拉致問題などに関しても外交より脅迫と制裁による解決しか求めてこなかった日本政府、自国の港を米国の核空母に提供するなどという破廉恥な行為を受け容れる日本政府の安全保障政策の失敗である、という事実を直視しなければなりません。

 万一北朝鮮の核に更なる強力な軍事力で対抗するという手段がとられるなら、それはこの地域にくすぶっている新たな核開発や既存の核兵器強化の誘惑に火をつけ、次善的に一定の効果を果たしてきた核拡散防止体制を崩壊させることになりかねません。

 北朝鮮の核兵器開発は、一部の国が核兵器の脅迫を根拠に世界秩序を維持することがもはや幻想であることを示したものです。

 人類は核兵器と共存できない。この原則は、時間や場所を問わず、適用されなければなりません。

 その点で、安倍首相が10日の衆院予算委員会において、公明党東順治副代表の質問に答え「わが国が核保有する選択肢は全く持たない。非核三原則は一切変更がない」と答えたことは重要です。

 もちろんこの発言と彼の集団的自衛権をめぐる発言との間には矛盾もありますし、北朝鮮への威嚇の手段として述べたきらいはありますが、この時点で、この発言を真正面から捉え、その履行を強力に求めていくことが、日本国民として核拡散の悪循環をとめる最も現実的な方法だと信じます。

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2006/10/09

経済破綻で年間8000人自殺も、サラ金保護の法改正

 10月9日付の赤旗1面に恐ろしい記事が掲載されていました。

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【サラ金大手五社、『自殺率』2割の社も/借り手死亡で保険金受け取り】

 サラ金が借り手を被保険者にして掛けている生命保険「消費者信用団体生命保険」(団信保険)で、サラ金大手五社が2005年度、借り手の死亡で保険金を受け取った、各社別の死因における自殺の割合が、日本共産党の大門実紀史参院議員の調査でわかりました。「自殺率」が件数・金額とも20%を超える異常な高さとなっている会社もありました。

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 大手五社とは、アコム、アイフル、武富士、プロミス、三洋信販。金融庁が社名を伏せているため、20%超が具体的に何処かは不明です。普通は自殺だと生命保険は支払われないのに、サラ金と契約している生命保険会社は死亡診断書提出の省略を認めているため、生保が一緒になって、お金が払えなくなったら自殺に追い込んでいることになります。
 これって、合法的な殺人といっても良いのではないでしょうか。

 日弁連, 国民生活センターの調査でも、潜在的な多重債務者は200万人、過去5年間に自己破産した人は100万人以上、経済的理由による自殺者は年間約8000人で交通事故による死者数を上回つていることが分かっています。

 1968年、利息制限法を超えた金利は取り戻せるという判決を最高裁が出してから、払い過ぎの利息をサラ金に対して取り戻すための裁判が各地で起きました。それに危機感を抱いたサラ金業界は、当時の法務大臣などに政治献金をして、任意に払った利息は取り戻せないという法律「貸金業の規制等に関する法律」を83年につくらせました。

 それでも、全国の弁護士は、この法律を厳格に適用することによって、一定の基準を満たした場合でなければ、利息制限法以上の利息は認められず、返還請求できるという訴訟を起こして努力してきた結果、今年1月、最高裁は、利息制限法を超える利息は原則として取り戻せるという趣旨の判決を出すにいたりました。

 最高裁の判決まで20年以上もかかったのは、現在、利息制限法が定める金利(最高年利20%)と出資法が定める金利(最高年利29.2%)の2つの金利基準があるためです。これにより、利用者が誤解させられ、利息制限法の金利より高い金利を支払わされる事態が後を絶たないのです。

 今、これをどちらも低い方の20%に統一する法改正が準備されています。ところが、金融庁と一部与党政治家は、「急激な金利引き下げで借りられなくなる人が出る可能性がある」「業者のシステム整備などに時間がかかる」として、改正法成立後、施行を1年後とした上、施行の3年後に上限金利を引き下げ、さらに、元本の上限50万円、返済期間1年以内の特例金利(28%)を最長5年間設ける案で合意しようとしています。定期預金金利が0.5%のこの時代に、です。

 交通事故よりも経済的破綻による自殺者が多い異常な社会でなお、国民に冷たく、サラ金業者にあたたかい法改正。これでどうやって「再チャレンジ」しろというのでしょう。

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2006/10/08

卑怯な書き換えでも、遊就館の本質は変わらない

 靖国神社の最高意思決定機関崇敬者総代会が、10月5日、神社が管理する「戦史博物館」遊就館の展示のうち、米国から批判が出ていた第二次世界大戦の米国関係の記述のみを年内に修正することを決めたそうだ。ただし、その他の国からの批判については今後も黙殺するらしい。

 正当な宗教施設ならば、こんなにご都合主義で根本の思想を変えたりはしないだろう。だから、卑怯だというのだ。

 遊就館は、1882年に軍事博物館として開館し、戦後、A級戦犯を合祀した松平永芳宮司が再開した。「遊就」とは聞きなれない言葉だが、「高潔な人物に就いて交わり学ぶ」の意味だそうだ。「高潔な人物」が誰を指すかは、展示品を見れば嫌でも分かる。神のように飾られた山本五十六の写真と「不自惜身命」の文字。「不自惜身命」とは、文字通り自分の命を惜しまずということで、元来法華経のお経『寿量品』にかかれた日蓮の言葉で、仏に対する信仰の純粋さを説いたものだったが、国柱会など全体主義と結びついた在野日蓮宗団体が、国家のために命を捨てる標語として使い始め政府が定着させた。そして、明治天皇一家の絵が添えられた軍人勅諭の掛け軸。明治以来この国の行った戦争や事件が、徹頭徹尾当時の大義名分のまま説明されている。

 例えば、少なくとも30万人移住の民間人が殺害されたとほとんどの歴史研究者が認めている1937年の南京大虐殺に関して、博物館の説明は概ねこうだ。松井岩根大将(A級戦犯)は、軍規を厳密に守るよう命令を出し、日本人は中国民間人を保護するための安全地域をつくり、歴史的文化的遺跡を守るよう努力した。都市の中で居住者は再び平和な暮らしを送る事ができた。云々。

 人間爆弾「桜花」(実物大レプリカ?)も展示されている。片道分の燃料で、コクピットを覗いても、まるで計器もないに等しい、アメリカではバカ爆弾と嘲笑された、航空機の体さえなさない乗物に、大勢の若者が乗り込み無駄に命を落としたと思うと怒りを抑えられない。 彼らは、自らの選択で死を覚悟したのではない。たとえ覚悟したとして、それは石原都知事が制作している映画の題名「俺は、君のためにこそ死にに行く」のように、愛する家族や恋人のために死を選んだのか?否である。本人の選択とは無関係に、「きみ」ではなく天皇のために死を選ばされたのではないのか。体当たりも遂げられず、戦地で餓死、病死し、大砲に撃ち落され、整備不良の機とともに海に墜落した多くの若者の霊を慰めるのは、彼らを神に祀りあげ、あとに続く死を準備することではない。

 彼らは、アジア太平洋戦争は間違っていなかった、東京裁判史観こそ誤りだ、と主張してきた。なぜなら、日本が戦争を始めたのは「鬼畜米英」からアジアを解放するためだったから。それなら、何故今「鬼畜」アメリカの批判に対して堂々と反論せず、在日米軍に対するそれと同じように、卑屈な姿勢に堕して主張を曲げるのか。首相は靖国に参拝して当然、教職員は君が代を歌え、と声高に主張している人たちは、この矛盾をなんとも思わないのか。

 私は、はじめてこの「戦史博物館」を訪問した際、展示物のキャプションが日本語でしか書かれてないのを不当に思った。「東京裁判史観」に憤慨し日本人の誇りを訴えたいならば、靖国神社と遊就館は外国人向の必須観光地に指定し、どこの国の人が来ても理解できるように現在の日本語に忠実な翻訳を添付すべきだった。

 しかし、小泉首相の度重なる靖国参拝が、皮肉にも世界の目をこの「戦史博物館」にも向けさせることになった。中国や韓国だけでなく、ニューヨーク・タイムズはじめ、米国やヨーロッパのメディアからも一斉に驚きと批判の声が起こった。遊就館の展示内容は、アメリカが今でも唯一胸を張って正義の戦争だと語り継げるたたかいの誇りをまっこうから傷つけたのだ。

 また、欧州では、大戦終結60年を記念する式典で連合国と敗戦国が並んで和解を祝ったが、日本はアジアでかつてなく孤立した。英タイムズは「使い古された遺憾と後悔の言葉を繰り返すだけでは、正当な補償の要求に応えることはできない」とかき、仏ル・モンドは、「日本の真の誤りは、日本の戦争の役割を論議するときに、日本による戦争犠牲者の声を拒否してきたことだ」とかいた。米紙「THE CENTURY FOUNDATION」は、今年元日のトップ記事に"The Best and the Worst of 2005: The World"と題して、昨年の海外ニュースのベスト10とワースト10を掲載し、そのワーストの方のひとつに、小泉政権のアジアでの孤立が取り上げられている。

 余談だが、YASUKUNIやTSUKURUKAIは、既に翻訳無しでローマ字のまま通じる国際語である。YUSHUKANが加わる日も近いかも知れない。

 日本のメディアはそうした海外の記事を紹介しないので、今でも多くの日本人は、中国と韓国だけがしつこくいちゃもんをつけているかのように思っている、だが、それは井の中の蛙というものだ。海外の声に目を閉ざし、政府の宣伝を鵜呑みにしている点では北朝鮮の状況を批判できる資格があるのか問いたくなる。しかも、わたし達は、独裁国家北朝鮮とは違って、その気になれば情報は得られるのに、である。


 私は昨年から靖国や遊就館に関する英文記事をできるだけ原文で読む努力をしてきた。氷山の本の一角にしか過ぎないが、その中から昨年9月、衆議院議員選挙後、オーストラリア人記者の記事の仮訳を紹介する。学校ではあまり教えられないオーストラリアでの戦争被害に関心を持つきっかけとなれば幸いである。ただし、稚拙な訳なので、原文をあたって間違いは正して欲しい。【 】で括った部分は記事原文にない訳者が加えた註記、文中の首相はもちろんすべて小泉首相。

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【日本は過去の暗黒に目を閉ざす】
'Japan blind to a dark past'
http://tinyurl.com/9s53y
(The Age 25th Sep.2005 by Russell skelton)

 国家が戦争中の残虐行為をいまだに否定しているのを見つけるために、ラッセル・スケルトンは東京の靖国神社に戻ってきた。

 東京の新しい靖国の戦争博物館【注:「遊就館」のこと】のコーナーには、「大東亜戦争」における日本の積極的な植民地主義の野望を表現するために、平凡なアジア太平洋の地図がかけられている。地図には、ハワイを起点として太平洋を横切りオーストラリアを包囲する細く赤い線がかかれている。

 その線は、天皇ヒロヒトの下の帝国日本軍が私たちをその視野にしっかりおさめていたことを確かにする。しかし、それは、この博物館で来訪者がオーストラリアについて、もしくは、2国がかつて戦争していた事実を見つけるおそらく唯一のリファレンスである。

 ここで、チャンギでの残虐行為やサンダカン・ラナウの死の行進、ビルマ鉄道(ここで、何千人もの連合軍が虐待され、殴り殺された)の恐怖に対する言及を見つけることはできない。ミルン湾【注:1943年4月7日から15日にかけて、日本海軍はガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾などに対して大空襲を行った】でオーストラリア軍が初めて日本軍に敗北したことさえ触れられていない。カコダ【注:カコダで日本軍の捕虜になったオーストラリア軍は「死の行進」で多数殺された】はまるで起こらなかったように見える。

 日本の軍事史家がオーストラリアについてこれほど近視眼的とは知らなかった。5年前、博物館の展示品のひとつには、オーストラリア人が日本の戦闘部隊を非常に賞賛したので、シドニー湾で爆死した潜水艦乗務員のために完全な軍葬が行われたとかかれてあった。

 何名かのA級戦犯も含めて日本の戦死者の魂を臆面なく奉っている悪名高い靖国神社に隣接して建てられた新しい博物館の管理者は、信じたくないグロテスクな歴史のひずみを切り捨ててしまった。

 私が東京の中心にある優雅な神社を最後に訪れてから6年がたち、博物館は今穏やかで格好のいい建物に作りかえられている。数十年間癒されない暴力と殺人に対して、静けさが神社を包んでいる。うっとうしい湿気に混じって蝉の集団が都市の騒音をかき消している。年配の女性の一群が死んだ親類の魂に祈っている。神道の言うところによれば、決して彼岸に去ることなく、平和と融和を求めて此岸に永遠にとどまる魂に。

 近くに、20歳の神風特攻隊パイロットが、彼の母に最後に当てた遺言が展示されている。「私は死ぬ運命です。私はアメリカを攻撃します。なぜなら、私は日本人であり、日本人でありたいからです」恭しい額縁が、悪意ある過去をなきものにしたい国家の宗教的な信条に奉られた価値観を象徴している。

 最後の訪問からほとんど変わっていなかった。人間魚雷「回天」、無邪気に命名された「桜花」(自爆操縦のための片道飛行のロケット)そしていにしえの「零戦」等が展示されている。

 兵器の印象的な展示に加え、自らを振り返るという能力が博物館の管理者に驚くほど育っていないのも容易に明らかになる。日本軍が戦った戦争、特に第二次世界大戦に関する情報操作、虚偽、はなはだしい歪曲が、オーウェル風の広間にもとのまま完全に残っている。展示室を散策すれば、日本の役人が未だに利己的で歪んだ歴史観にしがみついているのが明らかだ。それは、中国や南北朝鮮を挑発するにとどまらず、(最近再選された小泉純一郎を含め)、日本の侵略行為に対して、不十分ながらも日本の首相が最近行ってきた謝罪をも無視するものである。

 最近の率直な瞬間に、小泉は靖国への定期的な参拝に対する中国の理解を求めると発言した。単純なのは言うまでもないが、これは、どちらかというと非現実的な要望に思える。中国は、1千万人以上が殺され、日本の手で最多の死傷者を出したのだ。

 朝鮮も20万人以上を失った【戦死者および行方不明者。ほかに強制連行による犠牲者が6万4千人以上。また4万8千人の朝鮮人が被爆しそのうち約3万人が死亡したと見られている】。1万8千人のオーストラリア人を含め、6万人の連合軍兵士、民間人、捕虜(POW)が日本軍に殺された。侵入者であり侵略者であった日本は310万人(そのうち三分の一は戦闘によらない死だった【日本兵の半分以上が餓死や病死だったことを考えるとこの割合はもっと大きいと思う】)が死んだ。

 博物館は、来訪者に、パール・ハーバーへの日本の奇襲がアメリ侵略のために避けられなかったと語る。南京大虐殺(30万人の命を奪った日本軍の殺人的暴行)は、中国の人々が占領のルールを理解していたのでほとんど死者がいなかったような「偶発事件」として扱われている。

 他の場所では、日本兵と侵略とたたかった中国の愛国者が、テロリストとして片付けられている。日本の侵略は、フランス、イギリス、そしてアメリカ等西洋列強と差がないというメッセージを受け取るのは容易だ。

 これらすべては歴史の驚くべき公式な否定に等しいが、天皇ヒロヒトが1930年代以来関係した数多くの主戦的な出来事に彼が現れないことほど驚くことはない。呪わしい出来事を想起する展示から彼は抹消されて、平和をつくる調停者、ヒロシマとナガサキの後に日本人の命を救った尊敬すべき姿として突然登場する。その死においてさえ、ヒロヒトは彼の行為の道義的政治的責任の一切を回避している。

 靖国神社(その名前は「平和な国」を意味する)は1869年に明治天皇の命によって建立された。日本のために戦って死んだ人に捧げられた神社は、権宮司が、合祀者リスト【「霊璽簿」という】におよそ1000人の戦争犯罪者(その中には戦争中の総理大臣東条英機をはじめ14人のA級戦犯が含まれている)をひそかに組み込んだ1970年代を通して、論争で水浸しになった。

 国際的な憤慨にもかかわらず、戦後の首相の圧倒的多数を含む日本の政治エリート達は、初詣にこの神社に繰り返し通っている。逆説的に、平和と犠牲者の魂を祈っていると主張しながら。

 しかし、神社や隣接した博物館は、戦後ドイツが採用し成功を収めた立場とは好対照をなす、日本の外では受け入れられない、好戦的で忌まわしい歴史観を表現している。ドイツのC.G.シュレーダーを含むドイツの首相は戦争とホロコーストに対し無条件に謝罪し、巨額の賠償を払い、ナチスの戦争犯罪を断罪してきた。

 かつて、日本の自民党政府によるどんな明瞭な説明もなかった。ドイツのリーダーが、ナチスの戦争犯罪を追悼する神社に定期的に通う理由を説明するためにイスラエルを訪問するなど、思いもよらないままである。

 日本の懺悔の歴史には深い欠陥がある。これまで行われた謝罪(1番最初は、1950年代の後半に、日本の首相岸信介がキャンベラでオーストラリアの憲兵隊に対し行った)は、戦時の侵略に対する後悔と遺憾の念を表明を超えるものではない。ドイツのリーダーのはっきりとした詳細な謝罪と比べると曖昧だ。

 対外援助は気前がよかったが、日本は侵略し占領した国々への賠償金の支払いを拒絶した。帝国陸軍によって売春を強いられた女性【原文の"forced into prostitution"は「強制された売春」だが、事実は軍隊による強姦であり、「売春」という言葉は不適切である 】への賠償においてはとりわけしみったれている。検閲結果を取り下げるよう当局に対する判決【家永裁判は1995年最高裁で確定】が出たのに、日本の学校は、いまだに戦争について無害の話ばかり載せている。初老の歴史家家永三郎の努力は、法廷闘争に勝利したにもかかわらず、大部分が無視されてきた。

 そうすると、日本の支配層はなぜこんな歪んだ歴史観にこれほど挑戦的に執着するのだろう。日本の世論調査では、若い世代は日本が戦争をした過去についてほとんど知らされていないままであり、戦争中の捕虜の扱いや南京大虐殺の話を聞けば、彼らがショックを受け当惑することは明らかだ。

 第二次大戦の終わりに、日本の知識人の影響力のあるグループのいくつかは、ヒロヒトが戦争犯罪のかどで裁かれるのを望んだ。しかし、彼らはアメリカに任命された統治者ダグラス・マッカーサーに受け入れられなかった。マッカーサーは900人近くの戦争犯罪者を彼らが裁かれる前に解放した。

 表現された考え方や靖国の象徴主義がすべての日本人に支持されているというのは誇張だ。事実、マッカーサーは戦後の日本を安定させようと急いでいたため、天皇の実権を維持しただけではなく、戦時中の政府に忠実だった多くの官僚も、有力な地位に強固に留めておいたのだ。

 選挙の票や買収資金にあてる資金を供給する神道や遺族会、退役軍人の強力な組織の支援が必要なために、毎年靖国神社への参拝が要求されるのだ、と支配的な保守政治家達はよく言う。彼らは、靖国神社と遊就館への合法的な支援を試みて失敗した【「靖国法案」は、1969年から74年にかけて5回国会に提出されたがいずれも廃案になった】と指摘する。それは事実かもしれないが、歪んだ歴史観を永続することや翼賛的な価値観を少しも正当化するものではない。

 北アジアは急速に変わっている。そして、日本の狭い視野への許容量は少なくなっている。近い将来日本に変わって世界第二の経済大国になる運命の中国は、靖国の愛国主義の表現にそれほど寛容でなくなっている。

 歴史もまた、それが記述されなければ、血の争いが続くことを示唆している。日本の公式な戦争史の番人は、戦争中のオーストラリアとのかかわりの跡を、記録からすべて消し去る事が可能かもしれないが、急速に自信をつけ経済的に強力な中国は、日本の国会議員たちと人気のある首相に対し、まったく異なる問題を示している。この首相は、過去の残虐行為など、茶の湯の席でうまく誤魔化してきりぬけられると考えているようだ。

(以上、仮訳どすのメッキー)

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2006/10/05

何がおかしいか、安倍首相の集団的自衛権

 古いものほど新鮮に見えるのはよくあることだ。集団的自衛権なんていうのもそうじゃないだろうか。

 安倍首相は日本国憲法の平和主義がもう古いというが、集団的自衛権の歴史はもっと古い。集団的自衛権とは、同盟を結んだ国が攻撃されたりされそうになった時は、一緒に応戦するというものだから、特段難しい考え方ではない。しかし、そういうシステムが、結局多くの国を巻き込み、戦火を拡大してしまうことは、20世紀の2度の世界大戦で実証済みである。

 だから、国連憲章はそうした過剰な自衛を認めず、自国が直接攻撃を受けている最中しか自衛権を認めていない。安倍首相はこの辺はちっとも「研究」してくれない。その手法は現実的にはイラク戦争も防げなかったし、まだ有効に機能しているとは言いがたいが、理想が実現していないということと、方向が間違っているかどうかは別の話だ。非同盟国家を名乗る国が今も増えているのはその表れだ。

 集団的自衛権は、必然的に軍事ブロックへの囲い込みと、ブロック間の対立をもたらすから、永遠に安定した平和は来ない。危うい軍事バランスに依存したピンポイントの平和のみである。指導者同士が会談して核兵器廃絶とか軍縮とか言っても、軍事ブロックの縮小解消を同時に目指さない限り、絵に描いた餅だ。軍事バランスは一般市民が関与することもできない。冷戦時代、そうした暗闇を我が物顔に、軍需産業は肥え太ってきた。

 それに対し、敵味方を固定せず、対話によって緊張関係そのものを少しずつ緩めていくことによって平和を維持するのが国連や非同盟の思想である。もちろん日本国憲法の平和主義もその延長線上の最先端にいるのであって、安倍首相が毛嫌いするように世界で孤立しているわけではない。平和を目指すならこういう方法のほうがコストはかからないし、多数の人が参加できる。軍需産業は別だが。

 第一、「集団的」というが、日本が攻撃されそうになった時、米軍は本当に日本を守ってくれるのか。在日米軍と日本国民の関係を考えてみよ。最後っ屁みたいに横須賀に放射能を残していく軍隊は危険とは言わないのか。北朝鮮の外交政策は支持できないが、もし日本に米軍基地がなければ、金正日総書記に核実験のカードを切るタイミングなど与える隙はないのではないか。

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2006/10/03

安倍首相「イラク戦争支持は正しかった」の答弁に見えてくるもの

 安倍首相は、3日民主党の伊藤基隆氏の質問に答え、イラク戦争での日本の米国支持について「イラクは国連決議に違反し続け、大量破壊兵器を保有していると信じるに足る理由があり、正しい決定だった」と述べ、小泉前首相同様、ブッシュ大統領やブレア首相でさえ一部は認めた誤りを一切認めませんでした。

 これは、アジア太平洋戦争についても「さきの大戦を始めた原因が誰にあったのかという歴史の分析について語ることに政治家は謙虚であるべきだ」などとして、責任を明確にしない、いや、一部の利益のためなら美化しようとさえする姿勢と軌を一にするものです。

 今の日本人の多くは、私も含めアジア太平洋戦争を体験していませんから、そうした願望的誤解も、本人ばかりを責められないかもしれません。しかし、イラク戦争については違います。わたし達は、この国が戦争当事者として参加しているのを目撃しているのです。

 通常、国の責任者というものは、行為を始める意図は間違っていなくても、その結果について責任を持つものです。仮に「イラクは国連決議に違反し続け、大量破壊兵器を保有していると信じるに足る理由」があったとしても、最も控えめな計算でもこれまで5万人以上の市民が犠牲になった事実に対し、目を背けることは許されません。

 小泉前首相や安倍首相の答弁は、最初から事実と違います。米英が攻撃を開始する前、イラクは国連決議に従い査察を受け入れ、その成果もあがっており、大量破壊兵器があるという直接的証拠は何一つ見つかっていませんでした。米国の大規模な買収工作にもかかわらず、査察を継続せよという声が安保理でも国連全体でも圧倒的多数だったのです。同じ国会答弁で「日本は半世紀以上にわたって自由と民主主義、そして基本的人権を守り、国際平和にも貢献してきた」と胸を張る安倍首相にとって、米国のような国連を無視した「国際貢献」は想定内なのでしょうか。安倍首相は、日本国憲法の平和主義も敗戦国の「詫び証文」と軽視しています。だとすれば、安倍首相はいったい何を基準に平和にとって正しいか、正しくないかを判断するのでしょう。そこをまず質したい。

 万一イラク戦争の開戦が正しかったとしても、攻撃の方法は、最低限国際社会で合意された人道法に基づくものでなければなりません。米軍が、武装組織せん滅(おそろしい言葉です)と称して一般市民を無差別に攻撃し、水道や病院などのインフラを真っ先に破壊したこと、放射性物質を含む新型兵器を市街地に投入したこと、占領中罪もない市民を投獄してなぶりものにし、街頭で見せしめに殺害したこと、これらはいずれも証拠があり、国連をはじめ、人権団体、各種調査機関に批判されています。米軍は、フセイン時代よりましだろうと高をくくっていましたが、今はそんなことを本気で信じるイラク人は少数です。こうした非人道的行為に対し、やはり同じ答弁の「日本は戦後一貫して民主的な平和国家として発展してきた」という発言とは裏腹に、安倍官房長官(当時)や小泉首相(当時)は、一部の事件で憂慮を表明しただけで、ほとんどを支持・容認してきたのです。安倍首相の目指す国際社会でのリーダーシップとはどういうものなのでしょうか。

 なすすべもなく、悔しさにもがいて亡くなっていった何万ものイラクの人たち。彼らが命を落とし、人間を信じられなくなった責任は誰にあるというのでしょうか。それをもし「自由主義社会の敵」テロリストと言うのなら、テロリストを生み出し育てたのは誰なのか、テロを根絶する最も有効な手段は何であると考えるのか。対テロ戦争が泥沼に陥り、米国民を911以前よりも不安で見通しのない迷路に追い込んだブッシュ大統領の後を追いかける限り、答えは見つからないでしょう。

 日本人の中にも、イラクで命を落とした人がいました。自衛官の自殺も急激に増加しました。彼らはイラク戦争がなければ、そして日本が攻撃を積極的に支持し、兵站と占領に加担しなければ死なずにすんだ人たちです。彼らの死について、日本政府の長として多少なりとも道義的責任を感じ謝罪する気持ちがあるのかを問いたい。安倍首相は、国家政策を遂行する上で、そのくらいの犠牲はやむを得ないと思っているように思えてなりません。

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2006/10/01

【補足訂正情報】平良夏芽さんの不当逮捕をめぐる報道について

「平良夏芽さん釈放」の記事で取り上げた、星条旗新聞や琉球新報の記事に事実と異なる点があるようです。

 具体的に指摘します。

☆琉球新報25日記事:「市教委の調査を容認する立場のヘリ基地反対協議会、ティダの会はこの日の阻止行動には加わっていない」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-17497-storytopic-3.html

ですが、25日の抗議行動にはティダの会も参加しており、これまで身体をはっていたオバーたちも悲鳴を上げていたそうです。基地建設阻止の運動が分裂しているわけではありません。当山さんの言うとおりです。

☆親川氏は、その傷は、平良氏が車の下に身を投げ出したときミラーに引っかいてつけたものだと言った。(星条旗新聞記事)

命を守るためのたたかいは凄絶です。約束を反故にした調査強行に抗議して車の前に座り込んだ人たちを機動隊が力づくで引き抜いていきます。それでも沖縄の海と平和を守るため、人々はやむを得ず車の下に潜り込んでいったそうです。その決意を道交法違反だと言って笑って済ませる人は、自分自身の背中に近づいている危険を感知する能力のない人でしょう。25日平良さんは車のミラーに近づくことさえできなかったと言います。親川氏の証言のウソは、これから目撃者の証言が暴いていくでしょう。

☆「わたし達は新しい軍実施設建設を阻止するという共通の目標で一致しています」と当山氏は言った。(星条旗新聞記事)

これこそが、真実です。ヘリ基地反対協議会は「条件をのむ限り阻止しない」と言ったのであって、無条件で調査を容認したことはありません。25日は、ヘリ基地反対協議会と平和市民連絡会の双方で確認したとおりの阻止行動だったのです。

私含め本土の市井の人間が辺野古に駆けつけることは容易ではありません。しかし、これからも、事実をつきとめ、非暴力的抵抗を一致して支援しましょう。

チバリョー。

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日本が法治国家なら、日の丸や君が代の強制はできない

 9月21日、東京地裁で、学校で日の丸・君が代を強制し、従わない教職員を処罰する東京都教育委員会の通達と指導は違憲であるとし、原告側完全勝訴の判決を下しました。これは、国立第二小学校の卒業式で「国旗国歌の完全実施」を強制しようとした校長らに抗議して、卒業式でピースリボンをつけたことを理由に処分されたことを違法として訴えた裁判が12日同じ東京地裁で敗訴したのと対照的なものでした。

 今度の判決は、日の丸・君が代の是非に疑問を呈しているわけではありません。国旗国歌法で決められている、日の丸が国旗であり、君が代が国歌であるということを認めながら、そこには国旗と国歌が定義されているだけであり、それを強制するような法的根拠は何もない。したがって、最高法規日本国憲法19条で保証された思想・良心の自由が優先されない理由はなく、強制は不当である、と言っているのです。

 何も国家の伝統をひっくり返すとかそういう立場にたったものではありません。

 だからこそ、都教委の通達前には自主的判断で自分自身は君が代を歌っていた教職員も、その「強制」はおかしいとしてこの裁判の原告に加わっているのです。

 法治国家を自認するのであれば、法律によらない権利侵害が認められないのは当然のことです。フランス革命の「人および市民の権利宣言」も、次のようにうたっています。

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第4条:自由は、他人を害しないすべてをなし得ることに存する。その結果各人の自然権の行使は、社会の他の構成員にこれら同種の権利を享有を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は,法によってのみ、規定することができる。

第5条:法は社会に有害な行為でなければ、禁止する権利をもたない。法により禁止されないすべてのことは、妨げることができず、また何人も法の命じないことをなすように強制されることがない

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 また、公立学校の教職員は、採用の条件として国歌国旗への忠誠が条件となっていないはずですから、雇用者と従業員との間の契約上も、正当な理由なくしてそれに従うという根拠はありません。

 当たり前のことを確認したまでなのです。

 ですから、この判決に対し、非常識だとか、「共産党と落ちぶれた日教組の残党を喜ばせるだけ」とか、星条旗やユニオンジャックにも血塗られた歴史があるとかいう批判は、まったく見当違いの言いがかりでしかありません。

 そして、こうした都教委の行為に法的根拠を与えようとするのが、安倍政権の目指す教育基本法の「改正」に他なりません。

 9月にNHKが行った世論調査では、安倍首相の改憲構想に対し、すでに過半数58%の人が「評価する」と回答していますが、教育基本法の改定を評価するという人は意外にも15%に過ぎませんでした。

 国民の多くは、教育の問題に多くの不安を抱え、時に感情的な反応を示しながらも、まだ慎重な姿勢を崩していないと思われます。

 この判決の意味を単なるエポックにしてしまうか、教育再生の手がかりを提示したできごととして発展させるか、これからが勝負です。

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輝きのない人生なんてない 「純情きらり」の生き様の余韻

 昨日、NHKの朝の連続TV小説「純情きらり」が終わりました。最終週をBSで一気に見て、なんだか胸が浄化されたような想いでした。

 平和への真摯な表現で注目を集めたドラマですが、それだけでなく、主演の宮崎あおいさんの演技力はびっくりするほどだし、脚本がとにかく素晴らしかったです。制作者自体の実世界に対する感度が低く、既存ドラマの再生産でしかない昨今の多くのドラマでは、筋を知らなくてもああこの次はこう言うな、と予想できてしまうものが多いのですが、「純情きらり」では、ひとつひとつの言葉が生きていました。特に、人間が意を決して言う時の言葉や、言いたくてもどうしても言えないでいるときの言葉が美しい。

 脚本家浅野妙子さんは、以前インタビューに答えてこんなことを語っておられました。これは安倍首相の「再チャレンジ」社会と対峙する感覚ではないでしょうか。

 『従来の連続テレビ小説は、女性のサクセスストーリーで気持ちよく終わるというものが多いようですが、世の中には、名もなく、はかなく終わった女たちの一生がたくさんある。そんな人生にも意味がある。そこを描けたらすてきじゃないか、って思っています。』(赤旗日曜版9月3日付記事から)

 輝きのない人生なんてない、人生の中で無意味な1日なんてない、というメッセージは、格差を拡大し、グローバリゼーションに奉仕する人間以外は価値がないとでも言いたげな安倍政権の姿勢に、深いところで待ったをかける力があると思います。

 主人公の桜子は、戦争を生き抜き、よき伴侶と結婚し、やっと好きな音楽ができると思った矢先に結核に冒されます。無理を承知で男の子輝一を出産しますが、産んだわが子を一度も抱きしめることなく、ノートに書いたメッセージを夫の龍彦に託して世を去ります。一般的な意味での母親らしいことは何もできない状態でも、何より輝一に生命を与え、寂しい時は音楽の中に母親がいると曲とメッセージを残した生き様は、どんな運命も、人間がもう一人の人間を愛することを奪い去ることはできないことを教えてくれました。

 人生の輝きは、その人が社会的に何らかの形で成功したかどうかで決められるものではなく、以前教えてもらった言葉を借りれば「志の美しさ(「高さ」ではない)」がもたらすことのように思います。わたしは、人生の輝きという言葉で、トナミ運輸を内部告発し、ずっと差別されながらも「窓際」で勤務を全うしこの9月20日に退職された串岡弘昭さんを連想しました。

 そういう人間のひたむきさと共感が、うそを見抜き、かつそれを許さない世の中を少しずつつくっていくことを願っています。

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