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2006/04/29

教育基本法「改正」案国会提出と戸塚校長の出所

 政府は昨日28日、とうとう教育基本法「改正」案を閣議決定し、国会に提出しました。

 奇しくも、今日29日、体罰がもとで4人が亡くなった「戸塚ヨットスクール」事件で、傷害致死罪等で服役していた戸塚宏校長が、刑期を満了して静岡刑務所を出所しました。戸塚氏は「体罰は教育」などと改めて正当性を主張しこれからも学校運営にかかわっていく意向を示しました。教育基本法の実質的破壊をすすめている石原都知事は、戸塚ヨットスクールを支援する会
http://www.totsuka-yacht.com/

の会長を努めており、二人の教育「思想」が深い部分で一致していることをうかがわせます。上記サイトで紹介されている「教育改革に関する意見」
http://www.totsuka-yacht.com/kaikaku.htm

では、「世界人権宣言の第1条には『人は生まれながらにして…理性と良心を付与されており…』とあります。戦後の人権思想は、この言葉を無批判に『正しいもの』として受け入れてきました。しかし、ここでいう『理性を付与したもの』は神(=エホバ)であって、キリスト教的な理性天動説にほかなりません」などという荒唐無稽な主張で戦後の「人権教育」を否定しています。
 自民党の教育基本法「改正」案で鼻につく日本の独自性の強調、伝統文化の歪んだ尊重要請も、こうした何の論拠もない「独自性」を論拠に人間が長い歴史の中で積み上げてきたものを簡単に否定する点で共通しています。
 それは、似非科学作家が、何度も定量的観測や実験によって証明されている相対性理論を、そんなことはあり得ない、と自分の理解力の不足を逆手にとって否定するのにも似ているし、西洋に対するコンプレックスの裏返しにも見えます。(だいいち、戸塚氏や石原氏は、もともと教育や発達の専門家でもなんでもない)

 先日手に入れた東京都教職員組合
http://www.tokyouso.jp/

のリーフレット「憲法と教育基本法の改悪NO!」はとてもよくできたもので、是非みなさんご覧になって、東京都以外でも普及していただきたいのですが、そこには、日本から見れば小さな国であるフィンランドが、学力調査で連続世界一になったのは、日本の教育基本法を手本に教育改革を進めた結果であることを紹介しています。

 そうした優れた基本法があるにもかかわらず、国民の多くがそれを目にする機会もなく、今の教育問題が教育基本法のせいだ、と言われると、そうか、と同意してしまうのは理由を考えてみる必要があると思います。奈良県の少年補導条例の場合でも、単純に石原氏や戸塚氏のような連中だけがそれを支持しているわけではありません。一定の良識を持ち、規則だけで押さえつけるのは反対とする方でも、秩序の維持と人権侵害の危険性を天秤にかけたら、前者を優先してしまう傾向があるのは何故なのでしょうか。

 一昔前、投げやりな行動に走ろうとしている若者に語る最後の切り札は、死や社会からの逸脱の恐怖や、家族や身近な人の悲しみでした。そういう説得の仕方がいいかどうかは別として、今、同じような場面で「そんなことをしたら死刑(私は基本的に死刑反対)になるよ」「お母さんが悲しむよ」と言われても、それでも構わないという若者が増えています。人間が生きていくうえでいちばん大事な自己肯定の気持ち、とにかく自分は生き延びて幸せになりたいという意欲がない、家族とのつながりも肯定的にとらえられない、そういう若者がどうやって「矯正」できるというのでしょうか。自分が好きでなくなった人間はある意味怖いもの無しです。
 「戸塚ヨットスクール」に預けられた子どもの中には、本人の同意なしにスクールに預けられた者もいました。ここで両親の判断を安易に批評することは避けますが、家庭内暴力などがあったとはいえ、死んだ子ども達にとっては金儲け主義の暴漢に自分が捨てられたという思いだったのではないでしょうか。

 私の2人の子どもは、浄土真宗系の幼稚園を出ましたが、そこでは、ひとりひとりがかけがえのない存在であり、どんな時でも阿弥陀様がひとりひとりを見て愛してくれる、だから誰が偉くて誰が偉くないということはないのだ、ということを繰り返し教えてくれました。今の若者達に不足しているのも、とりかえようのない自分が好きだ、と思えることだと私は思います。(最近読んだ天童荒太さんの「包帯クラブ」はとても良かった)
 ところが、政府与党が今国会で成立を画策している教育基本法「改正」案は、まったく話が逆で、個人よりも国家を優先せよ、家庭の教育も国家の統制の下に行え、と言っているのです。これでは、ますます事態を悪化させるばかりです。自分を大切にできない教育が、他者の立場を思いやれる教育と両立するはずはないのです。

 大人たちも、次々と打ち出される悪政の結果、日々の暮らしをしていくのが精一杯で、様々な問題を粘り強く考える余裕も根気もなく、手っ取り早い解決のみを期待しがちです。まだこの国では、悪政が悪政への抵抗力を産むのではなく、抵抗力がそがれる一方のようにも見えます。
 第二次大戦中、そして戦後のソ連の干渉下の教育で歴史がゆがめられても母親や父親が家庭で真実を子どもに語り継いできたポーランドの人たちに会った感動を私ははっきり覚えています。

 教育の問題を教育という一分野だけの問題としてとらえずに、リストラと国民サービス切捨ての嵐が吹き荒れる中でも、大人自身が自分を肯定し、自分を国家に譲り渡さないという姿勢を示すことから、たたかいを始めたいと思います。

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2006/04/26

愛国心の強制でなく

 現役の弁護士で福井1区選出の衆議院議員稲田朋美氏
 http://www.inada-tomomi.com/

が、今年2月11日、建国記念の日の式典に参加し、そのあと、「小泉訴訟の靖国参拝訴訟では、憲法教という振興宗教にかかった裁判官が意見判決を書くことがある」などと憲法を愚弄した発言をした事は以前別の場で紹介しました。

 25日付の福井新聞によると、自民党文部科学部会と文教制度調査会の合同会議で文科省から説明を受けた際、稲田氏は教育基本法「改正」案の前文に現基本法同様「日本国憲法の精神にのっとり」という言葉が残っている事に反発し、「自主憲法作りが党の存在意義。この文言は削除すべきだ」などと修正を訴えたそうです。

 ちょっと待ってください。

 たとえ憲法を変えたほうが良いとする立場にたったとしても、教育の場において、現行の憲法の精神を教える事が良くない、などと現職国会議員が主張した例が他にあるでしょうか。私は知りません。誰か教えてください。

 しかも、その理由たるや、国の財産である子どもの発達にそぐわない内容があるからとか、子どもの権利条約に追いついていないとかではなく、現憲法が米国に押し付けられたから、という筋違いなものです。

 同じ場で、稲田氏は、「改正」案に盛り込まれる予定だった「愛国心」が公明党の一定の反発で「国を愛する態度」という中途半端な表現になったことにも異議を唱え、「国を愛する心」にするよう求めています。

 国を愛する心がそんなに大切なら、まずは、米海兵隊のグアム移転をめぐって、ラムズフェルド長官に事実上白紙小切手を渡した上、まさか合意できるとは思っていなかった、などと無責任を決め込む額賀防衛庁長官の卑屈な姿勢に対し、異議申し立てをして欲しいですね。

 散々祖国を蹂躙させておいて、手切れ金を要求しても良いところを、泥棒に追い銭やるたあ、貴様それでも日本人かアって啖呵をきってこそ、主張にせめてもの筋が通るというものでしょう。

 政治家の仕事は、愛国心を強制することではなくて、祖国を愛する価値のあるものにすることです。

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2006/04/25

54,144人の人の心に灯った灯

 3月12日の旧岩国市住民投票から1ヶ月余、新岩国市の市民は、基地強化反対を市長選で改めて明確に示しました。

 住民投票では、約8万5千人の有資格者中半分を超える43,433人が投票所に足を運んで反対の意思表明をしました。今回の市長選挙では、122,079人の有権者中、54,144人が基地反対の井原氏に票を投じました。全有権者の半数とはいきませんでしたが、自民党の要職が次々に応援にかけつけた味村氏の倍以上を獲得し、住民投票での反対支持者数を1万人以上伸ばしました。これは歴史的勝利といっていいでしょう。

 また、「沖縄二番目の都市であり、嘉手納基地を抱える沖縄市で、自公勢力を相手に革新が共同して立ち向かった初めての市長選挙」(共産党市田書記局長)となった沖縄市長選挙で革新無所属の東門美津子氏が勝利しました。

 これに、千葉7区補選、東広島市長選と与党が続けて敗北しました。大メディアでは、何故か岩国や沖縄のことはあまり取り上げないで、千葉7区の僅差での民主党勝利を強調し、小沢効果などと持ち上げています。

 また、与党の連敗と、小泉政権が戦後歴代3位の長期政権になった事をとりあげて、政治や世論の流れが変わった、与党の圧倒的影響力が低下したとする論説?が目立ちますが、事実はそんなに単純なものでしょうか?

 小泉人気のみに頼る戦術はもう飽きられ始めたかもしれませんし、小泉「改革」が格差を広げているというのは支持政党によらず認められるところとなっています。しかし、多くの国民が望んでいるのは、小泉路線の大胆な変更ではなく、微調整に過ぎません。それが証拠に、あいかわらず政権交代しか政策のない民主党が一定の支持を集め、次期総裁として安倍官房長官が圧倒的な期待を集めているではありませんか。

 与党が最もおそれ、大メディアが蓋をしようとしているのは、国家の行政行為によって不利益を被る時、該当地域の住民や自治体が異議を申し立てるのは正当である、という確信を岩国や沖縄の人々が持ちはじめたことだと思います。

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"I have no right to comment on national issues such as security, but it is only natural for the people of Iwakuni to speak out on aspects that affect their lives."
http://tinyurl.com/pncsw  (China post 13 Mar. 2006)

(私には、国防のような国家的事項に言及する権利がありません。しかし、自分の生命に影響する局面で率直に意見を述べるのは岩国の人たちにとってまったく当然のことです。--井原勝介氏)
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 住民投票の結果を受け、一連の選挙の中でも、岩国市長選挙は、与党がその面子をかけてリベンジをはかったはずです。ここでも基地か振興策か、というアメとムチの懐柔は行われました。
 それをはねかえせたのは何故か。個々の具体的な教訓を汲み取ってこそ、次のたたかいに活かせようというものです。漠然とした流れの変化などで総括させてはいけません。

 井原氏が事実上現職であり、実績を持っていたことが有利に働いたのも事実でしょう。
 そして、いかに昨年の衆議院議員選挙で大勝したといえども、味村氏が自民党一党の支持しか得られなかった(公明党の公的協力が得られなかった)のは大誤算だったと考えられます。それでも、味村氏は、基地問題を争点から外す事はできませんでした。
 これまで、平和の問題が重要視された選挙でも、多くの場合、与党側は巧みに争点隠しを行い、住民の身近に迫った生命や財産の危機が表に出ることはありませんでした。名護市市長選挙でも、表面上は全候補者が沿岸案反対の立場をとることにより、経済振興が争点になりがちでした。
 基地を受け入れるか否か、それを争点に押し上げ、しかも正確な判断材料を提供することができたのは、直前の住民投票とそれに至るまでの市民の運動の成果に他ならないと思います。
 住民投票で投票者中87%以上が反対を示したことによって、住民投票自体に反対をしていた地方議員も、国会議員も、住民の圧倒的意志を無視してまで基地強化賛成を表明することはできず、態度保留に追い込まれました。

 住民投票には拘束力はありません。

 しかし、拘束力のない住民投票が市長選挙でも54,144人を動かしました。この人たちの多くはきっと自らの意志で勇気ある票を投じたのでしょう。
 人間は、拘束力だけではなく、自分の意志と責任で足を踏み出すことができることを、住民投票と市長選が示しました。選挙というと、しがらみや強制のドブ板式が当たり前としか思っていない人たちには、54,144人の人の心に灯った美しい灯は見えないのです。

 しかし、これらの結果を受けても、政府は在日米軍再編計画を修正しないと言っています。

 何より地元山口県の二井関成知事が、井原氏が「県と協議をせずに住民投票を発議した」ことにより「信頼の糸は切れた」などと言い、「市の意向を尊重することと、(県が)行動を一緒にするかどうかは別問題」と、住民の意志を軽視している事は重大です。この期に及んでどういうメンツなのか知りませんが、昨年11月、額賀防衛庁長官との会談ではっきりと「これ以上の基地機能の増強は賛成できない」と返答した姿勢にたちかえるよう、働きかけることが必要だと思います。

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