2010/03/13

肩書き

 肩書というのは妙なもので、会ったこともない、顔も知らない人でも、耳になじんだような肩書が付いているだけで、安心してその人の言動を信用してしまうらしい。資格もないのに「医師」や「弁護士」を名乗れば法に触れる。落語が話せないのに落語家と言ったらすぐばれる。しかし、著述業、ナントカ研究家、ホニャララ・コーディネーターとかは何の規制もないから、自分さえそう思えばいい、お金もかからないから気楽なものだ。その最たるものが「平和運動家」だろう。何をもってそういうのか、私には全く分からない。「家」とつくなら、狭義に物質的なものでなくても、何かを生産して社会に貢献しなければなならないだろう。彼らは何で貢献しているのか?

 今は隠遁しているが、かつて寝ても覚めても平和問題を考え発言していた時期も、私は、基本的に「一労働者」、そういうカテゴリーがなければ「会社員」と名乗っていた。どんなに活発に活動していても、それによって1円も利益を得ていないのだから当然だが、話す前から肩書で相手に対して優位に立とうという卑怯な人間に見られたくなかった。平和は個々の生活の中から生まれてくるのだから、真摯に平和を求めようとするなら、相手が本音を言いやすい肩書なしにあえてなるのが自然だ。

 まして、無責任な情報を流して、それで利潤を得ている口実に「平和運動家」という肩書が使われているなら、それは犯罪的行為であろう。もし私が何かの気まぐれで、以前にもまして活動にのめりこみ、定職を辞したとしても、決して「平和運動家」とは名乗るまい。仏の前の肩書は「人間」ひとことでじゅうぶんなのだ。

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2010/03/11

日本の先頭に立つ政治家が911の幻想を支持する!

 ワシントン・ポストの話題の社説を訳してみた。

 私は、この社説に全然賛成できない。日米同盟は、何十年にもわたって東アジアに安定どころか緊張をもたらしてきたし、民主党政権が反米などとは笑止で、自民党政権の異常な対米従属をそのまま受け継いでいる。核密約の追求は腰砕けだし、普天間基地の問題など、自民党政権よりさらにひどいやり方を押し付けようとしている。

 しかし、だ。陰謀説に対する批判に限っては異論はない。仮にも国の外交に責任を持つ立場のものが、無責任な主張を(オフレコだったとしても言っていいことと悪いことがあるだろう)軽率に行うことが、いかに外交を危うくし、ひいては地道に闘ってきた平和運動にいかに悪影響を及ぼすか、あまりにも自明ではないだろうか。

 社説子は、このような陰謀説を知らなかったわけではなさそうだ。こういう未曾有の出来事があれば陰謀説が起こるのは珍しくないと言っている。それでも、一国の政治の中枢にいる人物が加担するのが異常だと主張しているのだ。アメリカにおいて、陰謀説がどのようなスタンスで受け止められているかを象徴する態度だと思う。

 米政府は信用できないし、ワシントン・ポストは商業紙だから当てにできないと言うのなら、IACをはじめ、米国で実績のある平和運動が陰謀説を主張したことがあるだろうか。私がニュースレターを購読している範囲では聞いたことがない。ペンタゴンに突入した旅客機では実際に乗客が死んでいる。その事実を真面目に受け止めるなら、彼の主張する陰謀説は道義的に受け容れられないだろう。

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日本の先頭に立つ政治家が911の幻想を支持する
【A leading Japanese politician espouses a 9/11 fantasy】
(8/March/2010, The Washington Post)
 http://tinyurl.com/y9xv8xz

 藤田幸久氏は、日本で政権を握る民主党の主要な党員の一人である。彼は、民主党の国際局長として、また2007年の選挙で選ばれた参議院の国際・地球温暖化問題に関する調査会の理事として、米政府が最も重要視するアジアの同盟国が外交政策を決定する上で重要な地位にいる。彼は、2001年9月11日に起こった出来事が、米国の演出であり、大規模な詐欺と考えているようだ。

 最近のインタビューで私達に語ったワールドトレードセンターへの攻撃に対する藤田氏の見解は、まじめに議論するには、あまりに奇妙で、粗雑で、知性を欠いたものだ。彼は、この事件が本当にテロリストの仕業かどうか疑問だとして、陰謀を前もって知っていた闇の勢力が株式市場を操作して利益を得たと示唆している。また、19人のハイジャック犯のうち8人が健在であるという空想的な考えを受け売りする。さらに、少なくともツインタワーに隣接した7ワールドトレードセンタービルの崩壊は、火災や瓦礫のためというより制御解体とした方がうまく説明できるとほのめかした。

 歴史的に経験したことのないような規模や範囲の災害でたいていはそうなるように、9月11日の事件も、国内外で陰謀論者のサブカルチャーを盛んに巻き起こした。藤田氏の例が唯一目新しいのは、正気を失った過激派の空想に何の抵抗力もない人物が、世界第2位の経済力を誇る国の政府組織で重要な地位を占めてしまったということだ。

 藤田氏の見解が日本で広く受け入れられていると信ずる根拠はない。支持されていないだろうし、多くの日本人は当惑しているのではないだろうか。24人の日本市民が亡くなった米国同時多発テロの独自調査を日本政府が引き受けるという彼の2年前の提案は失敗した。それにもかかわらず、アメリカ合衆国に対する根深い不信に基づく彼の見解は、民主党と鳩山政権に一貫する反米思考の気質を反映しているように思える。

 昨年夏に選出された鳩山首相は、日米関係をより「成熟」させるとともに、中国との結びつきをより密接にすると呼びかけた。彼は、日米同盟はこれからも安全保障の礎だというこれまでの信条を再び断言したが、彼と民主党政権の振る舞いは、その言質に疑念を呼び起こすものだ。日米同盟が何十年にもわたり東アジアの安定に決定的な役割を果たしてきたことは、言い古されてはいるものの真実だ。鳩山氏が藤田氏の様な無謀で事実無根の主張をする党分子を見過ごすならば、日米関係とそれが地域にもたらす利益は厳しい試練に立たされるだろう。
(仮訳 どすのメッキー)
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2009/11/07

松井のMVPに言葉が見つからない

 賞賛の言葉が見つからない。

 WSの打率.615、本塁打3本、打点8も十分すごいが、打者の貢献度を最も端的に表す指標として使われるOPS(On-base Plus Slugging)になると、2.143という"incredible"(レッド・ソックス時代のペドロにブラッシュボールを投げられる前までリーグ優勝決定戦で打率5割で打ちまくっていた松井へのアナウンサーの言葉)な数字となる。0.8を超えたら一流という数字だ。いくら短期決戦での計算とはいえ、どれだけ並外れた活躍かが分かる。ちなみに、メジャー移籍以降、松井のOPSが0.8を下回ったシーズンはない。巨人時代の後半は毎年1.1を超えるOPSを記録し、これを上回る打者は王さんだけである。OPSで比較すると、イチローもこの二人には遠く及ばない。しかし、そんな数字に一喜一憂しているのはファンの方で、松井はチームの勝利以外はとんと無頓着である。

 7年間、どんな起用をされても不平を言わず、逆にどんなに活躍しても目標はもっと先だと言い続けてきた松井が、「夢のようだ」と初めて喜びを素直に表した。MVPのトロフィーを頭上にかかげた表情は、憑き物が落ちたようにすっきりしていた。心から良かったと思った。誠実(誠実と真面目は少し違う)に努力し続けてきた人間が報われるのを見るのがこんなに嬉しいことなのか、と思った。

 一時は返上しかけたクラッチの称号、この言葉を日本のファンに定着させたのも松井の貢献のひとつだろう。それは同時に、ひとつひとつのプレーが試合の流れにどう影響したか、という視点で試合を見ていく楽しみを私達に教えてくれた。個人記録を数えていくだけなら試合を見ていなくても構わない。しかし、野球はチームスポーツだ。プレーの繋がりを見ていくことで、スター選手だけでなく、9人全員の役割と個性が見えてくる。NYのファンは、そういう野球の楽しみ方を知っている。

 来年もヤンキースでプレーして欲しいと思うが、そこから先はビジネスの話なのでドライに考えなくてはいけない。デーモンだって宿敵でMVPになった直後に移籍してきて、今はヤンキースの顔のひとりになっている。これからメジャーのどこへ移籍しようと、たとえ年棒が下がろうと、WSでの輝きはファンの心にずっと残っていくに違いない。

 松井の人間性は、かつていじめ撲滅のためのメッセージを依頼され、考え抜いた次の言葉に象徴されていると思う。ファンや同僚はもちろん、報道陣まで気遣い、クラシックや読書など意外に静かな趣味も持つ松井。野球のために生きてきたが、決して野球だけの人ではない。

「僕の夢は野球そのものだった。いじめることが夢なんていう人はいないはずだ。かなう夢、かなわない夢があると思うけど、いじめは夢の遠回りになっている」

 おめでとう。

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2009/09/22

兵士達の絶望と希望を私達の胸に ~ 「冬の兵士」邦訳を読んで

 TUP(Translators United for Peace)の努力によって、反戦イラク帰還兵の会による公聴会の記録「冬の兵士」が、岩波書店から邦訳出版された。 田保寿一さんの記録映画とともに、反戦を訴える古典となる書物だと思う。(以下は、Amazonの紹介ページ、TINYURLで短縮してある)

 http://tinyurl.com/lae459

 

 運命はたいてい過酷で理不尽なものだ。人間は個人の力では変えようのない困難に出会う。しかし、その中で、何を大切にし、何を目指して生きていくかは、一人ひとりが決めることができる。「冬の兵士」公聴会で赤裸々な証言を行ったのは、国家と言う怪物にレールを曳かれた運命から、自分の人生を取り戻そうとたたかう人達である。

 国家と言う名前を背負って「合法的に」人を殺すことはどういうことなのか。引き金を引く瞬間何を感じるのか、どんな匂いがし、その後で食べる食事はどんな味がするのか、ほとんど想像ができない。ハリウッドの映画のように爽快ではないのは分かる。しかし、戦後60年家族を直接戦場へ送った経験のない私達にとって、戦場や兵士と言う存在はあまりにも日常から遠い。イラク特措法が成立し自衛隊を派兵したときでさえ、どれだけの人が理解しようと努力しただろう。

 「冬の兵士」を手にして、私は、兵士達一人ひとりの人生の重みを読み流してしまわないよう、各証言の冒頭に書かれた兵士の履歴もゆっくり読んでいった。部隊名や出身地から何が想像できるか、と言われると心もとないが、それを共有しようとする気持ちが求められるような気がしたからだ。すると、出身地域の広範さ、部隊の種類や武器の多さ、これらを日頃はどれだけ無関心に受け流しているのだろうと考えさせられる。軍隊で使われる独特の言葉遣いに、戦争という手段の不自然さが象徴されている気がした。

 用語と言うのは怖い。グァンタナモ基地で任務に就いたクリストファー・アレントは言う。直接的な暴行は言わずもがな、よしんばそうした行為がなくても、何の理由も説明されず突然家族から引き離され、いつ釈放されるとも分からない独房に閉じ込められること、これは「拷問」ではないのか、と。人間を人間扱いしない拷問のニュースに慣れてしまった私達は、直接的な暴行さえなければ人道的であるかのように勘違いしがちだ。麻痺しているのは兵士達だけではない。

 証言の率直さは、法や平和運動の要請などの外的な力ではなく、彼らひとりひとりの心の奥深く根ざした良心の声に支えられている。戦場と言う極限的な状況を通しても、外部の基準に判断を任せることを潔しとせず、自分自身の声に従う力が人間に残っていることに、私は何より感動し、希望を感じた。

 ファルージャやラマーディーに派遣されたジョン・マイケル・ターナーは、名誉戦傷章をむしりとり床に投げ捨てた。同じような姿勢を示した証言者は少なくない。これを勇気あるパフォーマンスとだけ捉えてはいけない。結果的に一部の富裕者の富を増やすために、人生や生命までも危険に晒した彼らへの代償として、名誉でもその後の生活の支援でもなく、こんな飾りしか与えられない絶望を、私達は共有しようと努力しなければならない。

 人間が人間を殺す、あるいは殺される行為がいかに不自然なものか、それを強制させられた人達の声に無心に耳を傾けることによってのみ、私達は気づかせられるだろう。あなたがアダム・コケッシュや、ドミンゴ・ローザスや、その他多くの「冬の兵士」と同じ場所、同じ瞬間に立たされたとき、違う行動が取れるかどうか、いつも自分の心に問うてほしい。罪のない人の人生や生命を奪った一撃の背後には、個人や国家のいくつもの影が積み重なっている。証言を読みながら、私は、イラク侵略直前に13歳の少女シャーロッテ・アルデブロンが、メイン州の平和集会で行った演説を何度も思い出した。シャーロッテは、犠牲となるのは、「ものごとを決められないのに、結果はすべてかぶらなければならない世界中の子どもたちです」と訴えた。武装した兵士と子ども達は同じではない。しかし、兵士も、「ものごとを決められないのに、結果はすべてかぶらなければならない」点では変わりないのではないだろうか。私達は殺し合っているのではない、殺し合わさせられているのだ。

 本を読み終えて「反戦イラク帰還兵の会」の略称「IVAW」の鋭角的なアルファベットの列が、奇しくも兵士達の茨の道程を示しているようで辛くなった。歴史的な政治の転換を始めるカードを手にした私達が、どういう一歩を踏み出すべきか。彼らの声を聞こう。

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2009/09/09

介護殺人を半日で裁けるのか?

 裁判員制度という矛盾だらけの制度については、言いたいことが山ほどある。

 解せない最大の点の一つは、普通の人の感覚を取り入れるとしながら、普通の人が日常体験し得ない殺人や重大犯罪に対象を絞っていることだ。

 山口地裁で行われた13年の介護の末、寝たきりの妻を殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた無職の男性に対する裁判員裁判は、これまで最短の半日というスピード審理で、弁護側の主張をほぼ全面的に認めた判決を下した。

 その経過は秘密にされているので知る由もない。判決自体が妥当かどうかはコメントできない。しかし、こういうデリケートな問題を「献身的な介護はすごく分かった」などと、わずか半日で結論付けることに大きな不安を感じる。

 老老介護が放置され、ハンディを持った人にまで自己責任を押し付けるこの国の残酷さは分かっている積りだ。こうしたケースを一般の殺人と同列に扱うことはできないと思う。これまでも、同様のケースで多くは加害者に同情的だった。しかし、それでは殺される方の気持ちはどうなるのか。特に障がいが重く明確な意思表示のできない場合、世間はあまりにそれに無関心すぎたのではないか。結論の拙速さは、厳しく言えば、こうした現実と向き合っていない人たちが、早く目をそらしたい手段のようにさえ感じる。

 介護はする方には地獄とも思える場合がある。楽になりたいという誘惑に一度も駆られないほど強い人はむしろ稀だろう。しかし、ほとんどの人は、切ないくらいにそれとたたかい続けているのである。

 殺す方も殺される方も命の重みに変わりはない、という避けられない現実に向かいあってこそ、悲劇を繰り返さないために、わたし達が何をすべきか見えてくるのではないか。

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2009/07/12

色あせない サイモン&ガーファンクル

 サイモン&ガーファンクルが、おそらく最後のワールドツアーの一環で来日するというのは、ポピュラー音楽に関心のある人間にとってはもう事件である。マイケル・ジャクソンの急逝があったとはいえ、メディアの扱いが小さいな、と感じたのは私だけだろうか。 期せずしてナゴヤ・ドームに1番乗りしてしまったが、ドームのコンサートにしては聴衆の年齢層がやはり高い。私はビートルズもS&Gも現在進行形でなく解散後に追体験した世代だが、S&Gは私にとって、青春そのものと言っていい。

 実は、十数年前東京ドームでの彼らのパフォーマンスはには不満が残っていた。南こうせつの前座が長すぎたし、バックも少なく、何よりアーティの声に力がなくて、さすがに年齢には勝てないのかなあ、と寂しい思いをしたものだ。だから、今回も不安がなかったといえば嘘になる。しかし、日本ツアーオープニングの名古屋公演はその不安を吹き飛ばす感動的なものだった。

 アンコール除いて20曲という曲数もそうだが、驚いたのは歌唱力だ。もちろん若い頃の様なハイトーンは出ないし、アップテンポの曲はアレンジでカバーしているところがないではない。それでも、アーティの声は前回の日本公演より間違いなく出ていたし、歌い方が胸に迫るものがあった。

 最初にぐっと来たのは、アーティのソロで歌った「キャシーの歌」。この歌は、デビュー・アルバム「水曜の朝午前3時」の売れ行きが芳しくなく、いったんメジャー活動を断念しかけたポールが一人でイギリスを旅する間歌ったもので、シンプルだがメロディーに温かみと奥行きがあり大好きな作品だ。アーティは、しとしと降る雨に重ねる心情を素晴らしく美しく歌い上げていた。

 それから、いったん2人のソロ作品の披露が合って、再びS&G時代に戻った最初に歌った「ニューヨークの少年」。アルバム「明日に架ける橋」に収められたこの歌が、既に違う道を歩き始めたアーティへのポールの別れのメッセージであることは有名だ。そして、ニューヨークにたった一人残された少年の姿は、911以降傷ついたニューヨークのすべての人の姿に重ねられてきた。ほとんどがポールのパートだが、コーラスに控えめに被せられたアーティの声が胸にしみた。2人は実は仲が悪かったなんて定評などとても信じられない。

 そして、間隔をあけずに「マイ・リトル・タウン」へ続く。これも大好きな曲だ。解散宣言なき解散後、S&Gの唯一のオリジナル曲で、チャート9位にまであがるヒット曲なのに、何故か、それ以降、ベストアルバムにも収められず、コンサートでも取り上げられず(あのセントラル・パークでも歌われていない)封印状態になっていた。しかし、生まれ育ち放課後には一緒にバイクを飛ばした故郷、しかし今は「死人と死にかけた人しかいない」故郷を2人が忘れるはずはなかった。おそらく、この歌を再度取り上げるまでにはポールとアーティの間の葛藤があったに違いない。セントラル・パークでも実現できなかった、S&Gの一体感が、安っぽい郷愁ではない、今も僕達一人ひとりにくすぶっている青春の輝きに火をつけてくれる。

 2人(特にポール)は共に寡作だ。メディアへの露出も上手なほうではない。しかし、40年の軌跡を振り返って、「きらめくナショナルギターのように」輝く作品達はどうだろう。若い頃聞いた音楽と言うのは、懐かしがって今聴くと一気に時代のギャップに気づかされることが普通だが、S&Gにはそれがない。「サウンド・オブ・サイレンス」のメッセージと疾走感は今もなお、と言うより今でこそ新鮮ではないか。ポールはポピュラー音楽に留まらず、20世紀アメリカを代表する音楽家の一人と評価されるようになったが、67歳にしてこのコンサートは今も挑戦的であり、新たな刺激を与え続けてくれる。

 きわめつけは、アンコール前大トリの「明日に架ける橋」だった。この曲を聴いた回数では私は人語に落ちないつもりだが、1番をアーティ、2番をポール、3番を再びアーティという構成は初めてだ。そして、その意味が彼らの歌声でよく納得できた。掛け値なしの友情を歌い上げるこの作品をもっともリアリティを持って演奏するには、この形がいちばん自然なのだ。そして最後の最後アーティは逃げることなく、温かく艶やかなハイトーンで歌いきった。最高だった。

 S&Gという稀有のデュオを彼らならしめているのは、彼らの音楽に対する憧れと敬意の深さだと思う。そして、もうひとつ、特にS&G時代の作品には若者の悩み、悔しさ、絶望が表現されているが、決して突き放したものではなく、どこかで2人の友情が支えてくれていること、それを改めて実感したコンサートだった。

 隣で聞いていた男性は、S&Gをリアルタイムで体験した世代で、前の晩福岡から来たと言っていた。大サービスのアンコール4曲が終わった後、思わず握手をしてしまった。

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2009/04/19

Six Days in Fallujah が受け容れられる土壌

 アレン・ネルソンさんが亡くなってもう4週間がすぎました。壮絶な人生を終えたネルソンさんが今は安らかな世界に生まれ変わっていることを願わずにはいられません。

 先日たまたま中島敦の「山月記」を読み返して、初めて虎としての所業を実感した李徴の気持ちが、ふとネルソンさんや、イラク帰還兵と重なりました。戦場において人間は本当にどんな所業でもなし得る、しかし同時に、人間一人ひとりの中には、戦闘規定よりも、憲法よりももっと根源的で強い良心が住んでいることに衝撃と感動を覚えずに入られません。この世界に縁あって生まれてきたからには、人間を生かしあうために生きたいと誰でも思っているはずですが、この世界は残念ながら内心の声を掻き消し、眠らせ、歪めることばかりに血道をあげているように見えます。

 この4月、米国のコナミグループ関連会社で、ビデオ・ゲームや携帯コンテンツ等の清製造販売を行う Konami Digital Entertainment,Inc.(KDEI)が、「Six Days in Fallujah」(ファルージャの6日間)というタイトルの戦闘ゲームを2010年に発売すると発表しました。このゲームの情報は、ネットを探せばいくらでも見つかります。

 その名の通り、2004年11月にアメリカ軍が行ったファルージャ「掃討」作戦を題材にしたものです。アメリカ軍は、米傭兵殺害の報復として「武装勢力掃討」を口実にイラクのファルージャ市を包囲し、ライフラインを断って兵糧攻めにした後、無差別攻撃を加え、少なくとも6000人以上の市民を直接的に殺害しました。イスラエル軍のガザ攻撃で最近批判を浴びた白燐弾も使われました。

 日本人人質事件の引き金にもなったこの虐殺については、何をおいても、以下を読んで下さい。

 ■ファルージャ 2004年4月
 (ラフール・マハジャン、ダール・ジャマイル、ジョー・ワイルディング、
  エイミー・グッドマン著、益岡賢+いけだよしこ編訳、現代企画室)
 http://tinyurl.com/cqblta

 私も、家族もビデオ・ゲームを全くやらないし、関心もないので、この業界がどういうものか知識がありませんが、それでも、許せるという代物ではないでしょう。コナミ・グループの企業理念「世界じゅうの人々への『価値ある時間』の創造と提供」とは、こういうことなのでしょうか。

 コナミの発表を受けて、帰還兵や、戦死した遺族から、すぐに抗議と発売中止の要望が起こりました。

 元英国軍大佐でイラク戦争の勲章も持つティム・コリンズ氏は、いまだ終結を見ていない現実の戦争はビデオ・ゲームに取り上げるのは軽率な反応で容認できない、と反対の立場を表明しましたし、2003年、イラク戦争で息子を亡くしたレッジ・キース氏は、デイリー・メールに対し「これら恐ろしい出来事は、歴史の記録に閉じ込められるべきだ。ゲームにスリルを求める娯楽として矮小化すべきものではない」と語りました。英国の市民平和団体ストップ戦争連合のタンシー・ホシキンス氏は「戦争犯罪に関するゲームを作り、何千人もの死傷者の上に利益を得るというのは病んでいます。ファルージャの虐殺は、エンターテイメントによって美化されるべきではなく、恥と恐怖として記憶されるべきです」と批判の声を上げています。

 しかし、ゲームのリアリティを高めるために30人の帰還兵がヒアリングに協力していることからも分かるように、一方ではこのゲームに期待する人たちもいるのです。海兵隊の一等軍曹ジョン・マンディ氏は、このゲームが補助的な訓練に役立つと言い、「このゲームを海兵隊は、戦闘それ自体の知識を得るだけでなく、隊員に戦闘規定を考えさせるツールとして利用できる。隊員が一緒にプレーできて、いくつかのことを学べるように、使われるだろう」と述べています。元陸軍軍曹ケビン・スミス氏は、帰還兵が日常への復帰に苦しみ、自殺率も高い現状を憂慮した上で、この戦争が市民にとって実際どのようなものだったのか理解を深めることで、帰還兵への支援が強まることを期待しています。「ゲーム愛好者がこのゲームを通して何かを『体験した』後に、このゲームが肯定的に報道され、退役兵に対する共感が高まることを本当に願っている」と彼は語りました。

 ゲーム制作会社のアトミック・ゲームズと配給元のコナミが、予想される批判等のリスクを冒しても製作や、その公表に踏み切ったということは、市場調査の結果この事業に勝算がある、つまり結局は売れて利益が見込めると判断したことを意味しています。私には、そのことが最もショックでした。

 アトミック・ゲームズのピーター・タムテ社長は、「私達の挑戦は、エンターティメントでもあるゲームの中で戦争の恐怖をどう伝えるかだが、人々に歴史の一場面を目撃させ得る手段はビデオ・ゲームだけなのだ」「私達の目標は、この事件の最中、海兵隊員でいるとはどういうことか、その町の市民でいるとはどういうことか、反政府武装組織でいるとはどういうことか、その洞察を人々に与えることだ」と、意味づけしていますが、言い訳にしか聞えません。結局イラク人を倒せば勝ちなのでしょう?

 アレン・ネルソンさんは、米国人は決して弾に当たらず、戦地の住民からも尊敬されるハリウッドの戦争映画を、全く虚構だと批判していました。たとえ反戦の意味が込められていても、そこには臭いがない、もしあの死臭が映画で表現できれば、椅子に座ってジュースを飲んだりしていられるはずがない、と。

 歴史に対する洞察を与える手段はビデオ・ゲームだけと言う発言は、随分な思い上がりか無知のように思えます。ドキュメンタリー映画「冬の兵士」や昨年邦訳が出版されたジョシュア・キーの「イラク―米軍脱走兵、真実の告発」は、もちろんわたし達は擬似的にでも戦場を体験することなどできませんが、そこで起こったことに対してわたし達が何をすべきか「洞察」を与えてくれないでしょうか。帰還兵の苦しみは、別の手段で支援すべき問題ではないでしょうか。

 ゲームに限らず、デジタル技術の発達によって、表現のリアリティが最優先の価値のひとつに置かれるようになりました。しかし、誤解してならないのは、画面の画素数が何億ピクセルになろうと、CPUの処理速度が何ギガヘルツになろうと、それは現実そのものではないし、相手の人生や心の中を描きつくせることはできない、ということです。それは、機械まかせにしないわたし達の想像力で補っていく問題なのです。

 以前、ネット上で動くゲームで、こんなのがありました。多分イラクあたりを想定した街の風景からテロリストを探してミサイルを撃ち込み、全滅させるというものです。キャラクターは漫画的でリアルではありません。最初に10人くらいテロリストがいるのですが、狙ったつもりでもどうしても民間人に当たってしまいます。爆発の後遺族がやってきて暫く泣き崩れていますが、突然小銃を手にしたテロリストに変身します。こうやって、撃っても撃ってもテロリストが増えていくので、ゲームを終えることができません。終了する唯一の方法はプレーを止めることです。

 このゲームの方が、「Six Days in Fallujah」より遙かに「洞察」を与えてくれます。

 コナミに対する抗議、要望先は以下をご覧下さい。

■コナミ・グループ(日本)の意見受付フォーム
 http://www.konami.co.jp/ja/siteinfo/product.html

■Konami Digital Entertainment,Inc. 連絡先一覧(電話とFAX)
 http://www.konami-digital-entertainment.com/contact.html

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【追記】 27日付朝日新聞等の報道によれば、コナミは、「米国での反応や、電話やメールで寄せられた意見を見て、数日前、取り扱わないことを決めた」とし、少なくともコナミからは米国でも日本でも販売されないことが決まったようです。

 こういう産業は、一般人にどれだけ受け容れられるかで採算を判断しますから、わたし達が正気を保っていれば、発売を断念させることもできるわけです。しかし、別の配給元がハリウッド映画のように巨額の宣伝費をかければ、どうなるかはまだ分かりません。実際日本のゲーム愛好家の中に発売が楽しみだという意見も多く見られたのです。

 ゲームの商品化に反対するだけでなく、「ファルージャの6日間」の真実を忘却させない、歪曲させない努力がこれからも求められています。(2009.4.27)

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2009/03/03

反戦イラク帰還兵の会は即時完全撤退を要求する

 オバマ大統領のイラク撤退期限の延期は、民主党内からも批判がある一方、逆に、マケインなど共和党からは、これまでの自分達の政策の正しさが理解されたと支持される始末です。

 これを見ても共和党やペンタゴンの中には、軍事力によるイラク支配の誤りを反省しないどころか、「対テロ戦争」を更に拡大しようとさえする考えが根強いことが分かります。油でにごった彼らの眼には、殺されるイラク人の姿も、使い捨てにされるアメリカ兵の姿も映らないのでしょう。これ以上犠牲の拡大を1日も許すべきではありません。

 先日は、27日のオバマ演説を受けてのCODEPINKの声明を紹介しましたが、今日は反戦イラク帰還兵の会(IVAW)の声明をご紹介します。

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■反戦イラク帰還兵の会は、オバマ大統領がイラクから完全な撤退を求めるのを見たい
【IVAW Wants to See Obama Call for a Complete Withdrawal from Iraq】
 http://ivaw.org/node/4932
(IVAW 27/Feb./2009)

 対テロ戦争帰還兵及び現役兵の組織として、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)は、オバマ大統領が、わたし達の仲間である兵士を帰還させるために、重要な一歩を踏み出すことを歓迎します。しかしながら、18か月という長期間をかけて戦闘旅団を動かし、しかも3万5千人から5万人の軍を2011年いっぱい残留させるという計画は、ほぼ3年間にわたって不正義な軍の占領を続け、兵士達と無実のイラク人たちの命と生活を奪い続ける計画です。

 オバマ大統領は、任務が戦闘から支援に切り替わると言いますが、過渡的な兵力の一部は戦闘態勢のまま残されていて、「対テロ作戦の遂行」の余地が依然として残されています。彼の計画にはまた、イラクに15万人以上残っている民間の防衛業務請負業者と傭兵を引き上げさせるための日程がありません。さらに、永続的な軍事基地を禁ずる問題にも言及していません。

 同時に、彼はアフガニスタンに1万7000人以上の増派をしようと計画しています。彼は、兵士が「最も重い負担」を負っていることを理解していると言いますが、イラクだけから兵士を帰還させておきながら、今度はアフガニスタンの占領拡大のために戦わせるのでは、どれだけ負担が軽減されると言うのでしょう。どちらの占領も長引けば長引くほど、不十分なケアと経済的困窮に苦しむわたし達帰還兵の要求を満たすのは困難になるでしょう。

 わたし達は、今日軍事力で達成されているアメリカのイラク支配が、狡猾な法的、もしくは、財政的、経済的、政治的な手段でこれ以上続くことのないよう保証しなければなりません。元軍警察部隊軍曹で、IVAW議長のケリー・ドーアティーは、「イラクの人々は、完全に主権が尊重され、彼ら自身によって国家を統治するに値し」、それを達成するには、イラクから占領軍すべてが即時完全撤退する以外方法はない、と言います。「これは、すべての職業軍人、兵士、防衛関係の請負業者を撤退させるとともに、すべての軍事基地を閉じ、空爆を停止し、イラクの石油を支配しようとするアメリカの権益を放棄することを意味しています」

(仮訳どすのメッキー 3/Mar./2009)
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兵士一人ひとりにも取り替えられない人生がある ~ DVD「冬の兵士」を観て

 田保寿一さんの誠実な編集が感動的な「冬の兵士」を、胸が詰まる思いで観ました。

 いかなる主張であれ、選択であれ、その行き着くところは、個人一人ひとりの命でなければならないと思います。平和は、抽象的なものであってはいけませんし、平和を求める意志は、たとえ憲法があろうとなかろうと、それが現実的であろうとなかろうと、わたしやあなた個人の情熱から生まれるものでなければなりません。

 イラクで殺された子ども達一人ひとりに名前があり、短くても取り替えられない人生があるように、イラクで人を殺してしまった兵士一人ひとりにも、取り替えられない人生があります。

 DVD「冬の兵士」は、その事実を、平和運動に参加していると自称するわたし達でさえ、ときに実感を失っている事実を、強い説得力で語りかけてきます。

 人間が、自分の意思に反して進路をかえたり、能力の発揮を妨げられる時、そこに暴力がある、とガルトゥングの平和学は教えます。最大の暴力が戦争であることは論を待ちませんが、その暴力は、戦闘行為の直接の犠牲者だけにあてはまるものではありません。戦争は国家が行うものですから、国民の生活すべてを動員します。その中で誰しも加害者にも被害者にもなり得るのです。

 自衛隊が世界有数の軍備を備え、海外派兵への道が徐々に大きくなっている今でも、わたし達日本人が戦場で戦う兵士というものを想像するのは難しい。どうしても、血の通わない戦闘機械のような見方に傾き勝ちです。しかし、彼らも、わたし達と同じ世界に住む人間なのです。

 戦争が人間性を破壊すると言いますが、戦争と言う抽象的な魔物が魔法をかけるわけではありません。戦前の日本軍兵士は、貧しい農村からじゅうぶんな訓練も受けていないまま、補給路も確保されていない戦地に送られました。洗脳のように植えつけられたアジアの人々への差別意識が、最初から略奪が前提の様な作戦で何をもたらすでしょう。南京虐殺やマニラの火あぶり等等は、そうした具体的問題が集積した必然として起こったのです。

 目を覆うようなイラクでの米軍兵士の残虐行為も、交戦規定の軽視、中東の人々やムスリムの人々への差別意識の擦りこみ、デマによる恐怖の植え付け、指揮系統の混乱、過剰な装備の投入など、政策の誤りの必然として惹き起こされたものであり、兵士個人の暴走でかたづけてしまっては、公正とはいえないと思います。

 片足だけでなく、PTSDの発作によって仕事も家族も失い、何度も自殺を考えたマイク、二度目の召集で自殺を図るまで追い詰められながら戦友に対する負い目に苦しむクリストファー、テロと戦争の違いはどこにあるのかと問うリアム…。彼らはアメリカを愛し、自分の人生を他人の幸福のために使いたいと思って志願した人達です。しかし、アメリカは、ブッシュは、殺されたイラクの人の命にも、アメリカ兵の壊された人生にも責任を取りません。この作品が訴えるように、ブッシュは、イラク人、アメリカ人含め、この世代をまるごとぶち壊したのです。政権が変わっても、真の敵はまだ、手の届かないところでほくそ笑んでいます。

 ウィンター・ソルジャーを開いた反戦イラク帰還兵の会は、イラクからの軍の即時撤退、帰還兵の福祉の実現、イラクへの賠償を要求しています。アフガンへの増派や、イラク撤退の大幅延期を発表したオバマ大統領には、彼らの叫びが聞えていないかのようです。

 わたしは、以前宮沢賢治の童話「北守将軍と三人兄弟の医者」の作品論で、殺されることはもちろん辛いが、人を殺してそれが罪に問われないことはもっと辛いかもしれない、と書いたことがあります。身体的、経済的、精神的に苦しむ帰還兵がありのままの事実を人前で話す苦痛と勇気は、わたしが想像できるような容易なものではありません。

 戦争の生き証人である彼らの声を聞けば、戦争は例外なく酷く、汚いもので、「よい戦争」「悪い戦争」の区別などあり得ないことが、改めて胸深く刻みこまれるでしょう。

 あなたの大切な人と、彼らの声を聞きましょう。何度でも向かい合うべき作品だと思います。

 この作品が、一人でも多くの人に鑑賞され、やがて、平和を求める日本市民とアメリカ市民の連帯へと繋がっていくことを願ってやみません。

■「冬の兵士」ホームページ

 http://wintersoldier.web.fc2.com/wintersoldier.html

 上記から、DVDを購入できます。個人と団体の区別なく、上映会で使用する場合でも1本3000円です。3分の予告編も視聴できますので、どうかアクセスしてみてください。

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2009/03/01

オバマのイラク撤退計画は「公約違反」である

 オバマ米大統領は、2月27日、海兵隊基地キャンプ・レジューンで行われた演説で、イラクからの撤退計画に触れ、現勢力約14万人のうち、戦闘部隊約10万人を来年8月末までに撤退させるものの、残りの部隊については当面残留させ、完全撤退は2011年末とする方針を明らかにしました。

 選挙公約だった就任後16か月での撤退が延期されるという噂はありましたが、この演説はそれを裏づけるもので、しかも19か月という大幅な駐留延長となりました。(最初の撤退でさえ、3か月遅れています)残留部隊の役割について、オバマ大統領は「イラク人部隊を訓練するほか、軍事顧問として活動し、一部は限定的な対テロ作戦や米国人保護にあたる」としています。しかし、「冬の兵士」の証言でも確認されるとおり、イラク国民の多数の意志はアメリカ軍すべての即時撤退です。オバマ大統領は、「イラクは正統な統治機構を持つ主権国家」であるという自らの主張とどう整合をとるつもりでしょうか。

 この変更を、実務上のやむを得ないものとするのか、本質的なものとするのかアメリカでも意見は分かれているようです。全体的には、時期は公約どおりではなかったが、約束どおり手はつけたということを評価する意見が、日本のメディアなどでも多いように感じます。

 しかし、これはつい最近始まった占領ではありません。大義のないまま6年間も続き、侵略開始から既に「少なくとも10万人程度」、実際は100万人とも推定されるイラク人が犠牲となっているのです。イラク人、アメリカ兵ともに、これ以上の犠牲に何の意味があるのでしょうか。イラク戦争が誤りだと本当に認めるのであれば、即時全面撤退に着手するしかないはずです。

 以下は、アメリカの女性平和グループCODEPINKが、27日のの演説を受けてすぐ発表したコメントです。

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■オバマのイラク撤退計画は「公約違反」である
【Obama's Iraq Timetable for Withdrawal is 'Broken Promise'】
http://codepinkalert.org/article.php?id=4713
(Code Pink, 27/Feb./2009)

 オバマ大統領が今朝、イラクからの撤退期限を選挙公約より遅い2010年8月とし、一部は2011年まで残留させると発表したことに、CODEPINKは失望しました。

 オバマに投票したアメリカ人の多くは、彼が最初から、2009年じゅうに占領を終わらせると主張したことへの賛同によるものです。

「撤退への動きが積極的になる中で、この日程と何万人もの軍が残されることは、占領の終結と言うよりむしろ、その継続のように思えます」CODEPINKの共同設立者メディア・ベンジャミンは述べました。「そうはいっても、撤退に後ろ向きな過去8年間と比べれば、今は、撤退をもっと積極的に進めるよう政府に圧力をかけ続けることができる雰囲気があります。」

 CODEPINKに参加する女性達は、オバマとその政府に対し、イラクに残留する兵も含め、アメリカの軍隊すべてを直ちに撤退させるよう要求します。アメリカ政府は、軍隊による占領の替わりに、外交、人道支援、および難民の再定住に力をもっと注ぐべきです。軍隊を駐留させ続けることは、イラクの中に反対する武装勢力を増やすだけであり、イラク政府と各勢力に交渉力を与えることにはならないでしょう。さらに、アメリカ軍が駐留し続ければ、国際社会はアメリカの撤退の意志を疑い、外交と復興に関する努力への投資を控えるでしょう。

 「後に残される5万と言う兵力は大きな数字です」CODEPINKで企画宣伝を担当するダナ・バリッキは語りました。「そして、イラクに残された軍事基地が、アメリカの納税者から、本来家庭で必要とされる10億ドルを台無しにし続けることについて、いかなる言及もありませんでした。しかし、撤退とその期限は、小さくても過去の政策から前に進む第一歩です。大胆な変革へオバマを動かすのは、わたし達市民の役目なのです。」
(仮訳どすのメッキー 1/Mar./2009)
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